第123話 二人、歩く文化祭
昨晩はよく眠れた。ステージから見た観客席の様子や、終わったあと、主演の二人を抱きしめてお礼を言う相沢さんの姿が私の心を満たしてくれた。
やりきった。あの時私は、そんな気分だった。それは夜、ベッドに入って眠りに落ちるまで続いて、私に安眠をもたらしてくれた。
だが、しかし。文化祭は二日間あるわけで。むしろ私にとっては、今日の方がよほど、勝負の日だったわけで。
今日、九十九くんとどんな風に文化祭を過ごすかなんてまるで考えていなかったことに、朝になってから気がついた。
「ど、どこ行こうか」
「昨日は?」
「えっと……」
九十九くんがパンフレットを広げてくれたので、昨日回ったところを指差していく。
その途中で気がついた。当たり前のように彼は私を優先して、まだ回っていないところに行こうとしてくれている。
二日目開始直後に捕まったと思ったら、もうこの調子だ。また彼に甘やかされている。これでは逃げるのをやめた意味がない。
「九十九くんは? 昨日はどこに行ったの?」
「昨日はほぼ間宮のメンタルケアだ。大して回ってない」
間宮くん。夏休み明けから九十九くんによく話しかけるようになった男子のうちの一人で、皇瑛士役を務めあげた我らが主役。
「今日は、間宮くんと一緒じゃなくていいの?」
私じゃない方が、なんて、この期に及んでまだそんな事を考えるのを止められない。九十九くんはまるで気にしていないように視線を遠くに投げた。その先を追う。
「皇くんじゃ〜ん! 今日は皇子様モード?」
「ええ、姫。ご機嫌麗しゅう」
きゃあ、と黄色い歓声が上がった。あれは何だろう。ファンサービスかな。
リボンの色を見るに声をかけたのは三年生だし、劇を見てくれただけの知らない先輩という雰囲気だけど、よくあんなにスムーズに役を引き出せるものだ。
「本番前は緊張でガチガチだった癖にな」
九十九くんは呆れ顔をしているけれど、そこには軽口を叩けるだけの親しみがある。
「間宮くんと、仲良くなったんだね」
「まあ。ただ、あれには付き合えん」
そうだろうな、と思う。歩いているだけで色んな人から声をかけられるのは、九十九くんの好むところではないだろう。
「
「周りに女子が多いから、守られるだろ。本人もそこまで弱くはない」
小平役、鈴鹿さんは器用に二面性を演じきった間宮くんと違い、相沢さんの当て書きによって小平弥生を生み出させた女の子。
最初は自信のない気弱な女の子という設定であった小平があんなにも無敵な天然少女になったのは、彼女本来の性格あってのことだった。
本人も自己評価が低めな割に、妙に行動力のある子だ。ヒロイン役に立候補したりとか。なので確かに、そこまで心配はいらないだろう。
「ここからでいいか」
話している間に、最初の目的地を定めていたらしい。向かった先は、脱出ゲームを催しているクラスだった。
脱出ゲームは、想像通り九十九くんの得意分野らしく、次々に謎を解いていった。どうして分かるのかと聞くと、彼は私のお陰だと言った。
「お前が全部口に出してくれるからな。これは何だろうとか、これにはどういう意味があるんだろうとか」
「じゃあ、このマス目は?」
「十二分割か……暦、十二星座、干支」
「あ、分かった。これは――」
九十九くんも思考を口に出してくれたことで、私にも一つ解けた。気づいていなかったところで、私も力になれていたらしい。
私はそれまで以上にいろいろ口に出してみることにした。すると、九十九くんも口に出してくれるようになって、そこに、同じ回に参加した他の生徒や外部からのお客さんも混ざってくる。
九十九くんはちょっと人見知りしてたけど、最後には全員で脱出出来た。
お化け屋敷にも入った。九十九くんは想像通り、怖いのや暗いのは平気らしいけれど、私も平気だし、リアクションが大きい方ではない。
そんな二人が入ればどうなるか。
ゆらり、と急に眼の前に現れる幽霊。バンバンと激しく音を立てる壁。奇声をあげて駆け寄ってくる化け物。直ぐ側を横切る、静電気で浮いたビニールテープの妖精。
ありとあらゆる仕掛けをノーリアクションで通過する九十九くん。流石にちょっと可哀想だった。
驚いたね、とかリアルだね、といえば返事はしてくれたけど、それだけだ。テープの精なんか、あれはどうやってるのだろうと聞いて九十九くんに解説させてしまった。
仕掛け人の気持ちを思えば、思い返すだに申し訳ない。もし今日、まだ真咲ちゃんや結季ちゃんと回る機会があれば、その時はお詫びの代わりに連れてこようと、こっそり心に決めた。
「他には、行ってない所あるか」
「これ。時間かかるからって、昨日できなかったやつ」
少し回って、すっかりぎこちなさが取れた私が選んだのは、学校全体を使ったスタンプラリー。
各チェックポイントで出される課題をクリアして、全てのスタンプを集めると景品が貰えるらしい。
「分かった。行こう」
「うん」
先を歩く九十九くんの後を追うように、スタンプラリーのスタート地点に向かう。会話が途切れて間が空いてしまうと、途端に何を話せばいいか分からなくなってしまう。
九十九くんの背中は、ずっと変わらない。背中越しでも私を気にしてくれているのが分かる。
人が密集していない道を選んで歩きやすいように先導してくれるし、私が速度を落としたり、歩みを止めれば、すぐに気づいて合わせてくれる。背中に目でもついているみたい。
私は、これまでどんな風に彼と話していたかも、分からなくなってしまっているのに。
「劇、成功してよかったね」
やっと絞り出せた話題は、それだった。
「ああ」
「九十九くんはどうだった? あの劇。二人の気持ちとか、分かる?」
「ああ」
私と同じで、よく分からないって言うんじゃないかと思っていたのに。今もまた。今もまだ。私が見ているのは彼の背中で、その瞳の向こうに、誰が居るのかが分からない。
見たい。知りたい。私の願いに、呼応するように。
「分かるよ。お前が、教えてくれた」
こちらを振り返る九十九くん。その瞳に、映っていたのは――。
「昔の話を、していいか」
寄り道をしながら。ゆっくりとスタンプを集めながら。彼は話してくれた。
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