第124話 〝正しくした〟論理

「皆。本気だったな」


 途中で買った「はしまき」を食べながら彼が最初に発したのは、そんな言葉だった。


 私は「はしまき」という初見の食べ物に興味を引かれてしまっていたのもあって、意味を測りかねる。


「劇のこと?」


「文化祭自体に」


 それはその通りだと思う。劇にも、部活や委員会の仕事がある人はそっちも、全部に本気で、一生懸命で、全力だった。


「どこでも、こんな事ばかりじゃない。非協力的なやつもいる。上手く進行出来ないやつもいる。こんな風にやれる要素は揃っているのに、ほんの少しボタンをかけ違っただけで台無しになることもある」


「そう、なったことがあるの?」


 気づくと私は、彼の隣に並んで歩いていた。見上げた横顔は寂しげで、視線はどこか遠くに向いている。


「三年前までは、これが普通だと思っていた。一生懸命に取り組むことも。そうすることで、周りの人の気持ちを汲もうとすることも。そこに生じる責任と向き合うのも」


 三年前。私達は、中学二年生。私が親友と仲違いして、妙な〝感覚〟が生まれた頃。九十九くんにも、何かあったのだろうか。


「その時までに、全部もらったんだ。何が正しくて、何が間違いかを量る秤も。俺の良心も。大切な人たちにもらった物で出来上がった」


 私はそれを知っている。見たことがある。去年、二人きりの教室で、彼の心の透明な箱に元から入っていた結晶達。あれのことを言っているのだ。


「俺はそれを使って、家族を壊した」


「お母さんと、二人で暮らしていること?」


 何度も彼のお家にお邪魔して、流石の私も気がついた。彼と彼のお母さん以外の人間の痕跡が、あの家にはない。


「よくある話だ。小さな不満が積もって、相手のことを認められなくなっていって。少しでも自分が否定されれば、過去のことを持ち出して攻撃しあって。そんな風になった家族に、俺は正論を押し付けた」


「でも、正論だったんでしょ?」


「正しい論理じゃなく、〝正しくした〟論理だったけどな」


 どういう意味だろう、と思ったそばから、彼はこちらを一瞥してから、説明してくれる。


「物理の問題みたいなものだ。空気抵抗はないものとする、摩擦係数はゼロとする、みたいに。複雑な条件を無視すれば正しく簡潔に物事を指し示せる。自分の複雑な感情をそんな風に無視した上で成り立たせた正しさなんか、押し付けられる側は堪ったものじゃない。そんなことに、あの時は気付けなかった」


 ようやく少し、理解できた。九十九くんが何を押し付けたと言っているのかは分からないけれど。


 そう出来ない感情があるのに、それを無視してこうすればいいじゃないか、なんて言われても困る。きっと、そういう状態にしてしまったのだろう。


「家族は何も言えなくなった。それでそのまま離婚して、姉は父について行った」


「お姉さんが、いたんだね」


「仲良くはなかったけどな」


 何も、知らなかった。それはきっと、ずっと、目の届く範囲にあったはずなのに。


「どうして、今、話してくれたの?」


「お前に、信じて欲しい話があるからだ。重い話をされても困るとは思うが、それでもお前は、知りたいと思ってくれると、思った。今でない方がいいなら出直す。逃げないでいてくれるならな」


「うん。知りたい」


 九十九くんの手を取る。なんだか、こんな風に君に触れるのは、すごく久しぶりな気がする。


「だから、今、教えて」


「……着いたぞ」


 はぐらかされた、と思ったけれど、そう言えばスタンプラリー中だった。眼の前には、最初のスタンプと係員。


 話の続きは、スタンプを手に入れてからだ。






 最初の課題はクイズだった。問題は、校長先生の名前。一問目に適した難易度だと思ったけれど、九十九くんはうろ覚えのようだった。


「九十九くん、流石にそのくらいは覚えておこうよ」


「……悪い」


 苦笑する係員の生徒に、次の場所のヒントをもらう。校長先生。まさにそれがヒントでもあったらしい。


 とりあえず校長室に向かおう、と動きながら、気になった教室にも入ってみる。


「冷凍フルーツのサイダーだって。去年出したアイスサイダーも良かったけど、これも良いね」


「コストかさみそうだけどな。気になるなら、来年提案してみたらいい」


 来年、か。でも、飲食店は去年やった。今年はステージでの演劇。なら来年は、教室でのアトラクション系もやってみたい。お化け屋敷とか、縁日とか。


 想像してみるだけでも楽しそうだ。お化け屋敷なら、どんな仕掛けをやろうかな。九十九くんはお化け役はやりたがらないだろうな。いや、そもそも。その時君は、側にいるのだろうか。


「来年も、同じクラスになれるかな」


「さあな。ただ、クラスが違っても、回ることは出来るだろ」


 それは、一緒に、って受け取ってもいいのかな。そうしたいと思ってくれてるって、思っていいのかな。


 それが知りたいのなら、話の続きをしなくては。君のことをちゃんと知らないと、私はきっとまた、迷ってしまうから。

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