第122話 『ありのままを見つけたら』
主人公、
『クラス委員も、日直も、果ては掃除当番すら押し付けやがって。はあ、くそ。しんど……』
『あ、あの、大丈夫ですか?』
『っ!?』
『ご、ごめんなさい! 私、影が薄くて』
いつの間にか背後に迫っていたのは、ヒロインの
皇子様、と学校中から尊敬を集める爽やかイケメン男子、皇の素の態度を小平が目撃した、物語の始まりのシーン。
『おま……いや、小平さん、どうしたの? 先に帰ったんじゃなかったの?』
『え? いえ、掃除場所の「教室」がどこの教室か分からなくって、先生に聞きに行ってたんですけど』
『バカじゃねえの!?』
客席から笑い声が湧き上がる。掴みは上々。一生懸命に皇子様キャラを取り繕おうとしたそばから天然発言に振り回され、ボロボロと本性が現れていく皇。素で困らせる小平。
二人のやり取りが次第に漫才味を帯びていく。
台詞回しはスムーズで、声も出ている。速すぎず、聞き取りやすく、でもキレのある会話のテンポ。今までで一番良い滑り出しだ。
「ノッてんな、あいつら」
「うん。絶好調だね。真咲ちゃんはどう?」
「当然、負けねえよ。見てろ」
舞台裏から、舞台上でスポットライトを浴びる二人を見て、真咲ちゃんの瞳に火がつく。真咲ちゃんだけじゃない。主役の二人の演技が、その熱が、控えの皆に伝播していく。
『あーっ!?』
『頼むからもう一人でやらせてくれ!』
小平がひっくり返したバケツの水で水浸しになった皇の、悲痛な叫びを最後に暗転する。舞台チェンジだ。
背景ポスターを教室から校庭に入れ替え、水の表現に使った青いビニールテープを片付け、机や椅子などの小道具をカラーコーンに入れ替える。その間に、主役の二人は体操服姿に早着替え。
スタンバイを済ませたら、我々裏方スタッフで合図を送り合い、照明担当が点灯する。舞台上には、真咲ちゃんと主人公たち、それとその他数名の生徒役。
『今日の体育は持久走だ。準備運動は済ませたな? オラ! 校庭十周ー!』
『先生! ただ走るだけなんてつまらないから嫌です!』
『よし、そういうやつには特別メニューだ。あたしの竹刀の錆になりてえやつから前に出ろ』
『みんな! たまには仲良く汗を流そうじゃないか!』
文句を言う生徒を押し退けて皇がクラスを引っ張る。真咲ちゃんの演技は夏休みに見たものより、格段に上達している。
これまでに受けた指摘も完璧に落とし込んでいるあたりが流石だ。竹刀を構える姿から放たれるプレッシャーは客席まで届いているだろう。
ただし、あとには引かせない。あれはきっと、真咲ちゃんにしか出来ない。
走りながら、小平が皇に声をかける。最初のシーンの最後でずぶ濡れになった皇の体調不良を見抜いているのだ。
鼻声ですよ。熱もありますよね。皇の手を掴みながら詰め寄る。意識してしまってどぎまぎする皇が微笑ましい。小平はそれに気づかず、なおも詰め寄る。
『ジャージの上着はどうしたんですか?』
『友達に貸した。問題ねえよ』
『寒いですよね。私のどうぞ』
『入らねえよ!』
『カイロもどうぞ! 冷えピタもどうぞ!』
『冷やすか温めるかどっちかにしろ! ていうか何で持ってんだそんなもん』
『生姜湯飲みますか?』
『どこから出した!?』
ちょっとだけ、いいなと思う。体育が男女合同だったら、私も九十九くんとあんな風に話すこともあったかな。九十九くんは、あんなにノリよく突っ込んでくれたりはしないだろうけど。
−−−
劇はつつがなく進行していった。
コメディタッチの部分が多いけれど、完璧でいなければ誰の助けにもなれはしないのだと、そう皇が思い込むに至った原因を描く家庭内シーンでは、息を呑む音まで観客席から聞こえてきそうだった。
だからこそ、映えるシーンもあった。
『駄目だって、いいじゃないですか。皇子様じゃない、ありのままの皇くんだって優しいですよ。いつも失敗ばかりの私を助けてくれる。完璧なんかより素敵です』
小平のその言葉で、皇の心がどれだけ報われたか。込み上げる思いは、きっと客席まで伝わっている。
『私を見てくださいよ。ダメダメですよ。それに比べたら、ちょっと性格が捻くれてるくらいなんだっていうんですか』
『ダメダメじゃない』
『す、皇くん? 捻くれてねえよって突っ込む所ですよ?』
『失敗ばかりで、人の弱みに寄り添えるお前だから、お前だけが、俺の上辺だけじゃない所に気づいてくれたんだ。ありがとう、小平』
そしてそれは、今度は小平へ。
『え、いや、そんな、私はべつに、そんな、えっと、その、ご、ごめんなさい!』
しどろもどろになって逃げ出す小平を追うように、一瞬の暗転。
奇声を上げながら下手へ駆けていった小平が、明点とともに、全ての道具が片付けられたシンプルなステージへと上手から飛び出す。
『どうしよう、どうしよう、どうしよう!』
ステージの真ん中。一人、身じろぎしながら感情を吐き出していく。
『顔が熱い。耳がジンジンする。心臓の鼓動が、ここまで響いてる。胸が、苦しい。苦しい! 止まらない!』
観客席から、舞台袖から、全ての意識が持っていかれる。強く惹きつける感情の演技。
『どうしよう、どうしよう! そんなつもりじゃなかったのに! 皇くんは皆の皇子様で、高嶺の花で、なのに』
身を焦がす感情に悶えるような動きを止めて、緩やかに上を向いていく視線。見惚れかけてしまっていた。慌てて合図を送るとステージの照明が落ち、スポットライトだけが彼女を照らす。
きっと今、九十九くんから音響担当の子へ合図がでた。
遠く、遠く。天を見上げた彼女の視線の先に浮かんでいるであろう姿を思い浮かべていると、エコーのかかった録音済みの音声がスピーカーから響く。彼女の心の声。
《胸を打つこの鼓動が、頬を染め上げるこの熱が、頭の中から消えてくれない彼の笑顔が。この感情の名前を叫ぶ》
『私、皇くんが好きだ』
《気づいてしまったから。もう知らない振りは、出来ない》
中盤の見せ場。その名演技。いい演技はやはり、他の役者の演技を引き上げる。特に、相方である皇役は特に影響を受けた。
終盤の演技はもう、演技には見えない。ありのままの感情をそのまま発揮できるのが気持ちよさそうだった。私には、そう見えた。
先程の私みたいに、演技に惹きつけられて手が止まりそうになる人もちらほら出始めた。それを一つ一つ、こまめにフォローする。些細なことでこの流れに綻びを生みたくない。
舞台内の時間も秋になった。文化祭、皇のクラスも演劇を出し物にする。そして、これまでの軌跡を最初から焼き直すように、皇は劇の中で小平との日常を追っていく。
初めて小平以外の前で、演技を通して本当の自分を出していく皇。たとえ演技でも、皆の前で素を出している皇を見て、心が満たされていく小平。
やがてそれは二人の時間を追い越して、演技の中で一足先に、二人は結ばれる。
《今はまだ、借り物の言葉だけど》
『お前が好きだ』
《今はまだ、役を借りた私だけど》
『私も、あなたが好きです』
《いつか、ありのままでまた、この言葉を》
『ずっと、側にいて下さい』
重なる二人の声を最後に、幕は下りた。再び幕は上がり、カーテンコール。
役者を務めた皆の後ろから見た、体育館を埋める観客席は。そこから上がる、とめどない歓声は。
私達の心に、溢れんばかりの達成感をくれた。
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