恋を運ぶ文化祭

第116話 スリーアウト

 九十九くんと距離を空けることは、夏休みが明けてすぐ、一条さんにも伝えた。


「そう。自分で言っておいてなんだけど、いいのね?」


「うん。でもその分、一条さんも気を配ってあげてね。九十九くん、放っておくと一人で抱え込んじゃうから」


「言われるまでもないわ」


 一条さんは罪悪感を抱えながらも、力強く返事をしてくれた。切っ掛けはどうあれ、ちゃんと自分で考えて決めたから一条さんのせいではないのにな。


 それに、絶縁したわけではないのだ。自分のためにそうしろと冬紗先輩にも言われた。彼に必要なことを知るために距離を置いて、それが分かったら、今度こそ。


 私は彼の隣に並んで立つんだ。他に彼の力になれる人がいても、私にもそれが出来たらいいなと思うから。


 二人きりのプールの思い出を最後の思い出にしないように、彼を見守るんだ。


 私が彼の、足りない一になる。今度こそ、その決意を形にするために。




 とはいえ、適切な距離感が分かるかといえば、別にそういうわけではなかった。


 結局、話しかけることも、近寄ることも出来なくなってしまっている。一度してしまえば、我慢が効かなくなるのが目に見えているから。


 新学期恒例行事、席替えがあったおかげで助かった。すぐ右斜め前、常に視界に入る位置にいた九十九くんは、この九月からは完全に死角の位置にいる。


 私の席は、窓側から二列目の一番前、彼は同じ列の一番後ろだ。プリントを回すために真後ろを向いても、他の生徒が壁になってよく見えない。


 そうでなければ、TPOなどお構い無しで彼のことを四六時中気にしてしまっていただろう。まあ、最も。結局視覚に頼らないで気にしてしまってはいるのだけど。


「ツクモ、飯行こうぜ」


「ハジメでいい」


「お前、毎回そう言うよな」


 背後から聞こえてきた声をキャッチする。一条さんはいろんな方面へ手を回しているようで、男女問わず様々な人が彼に話しかけるようになった。あだ名ではなく、本名で。


 お昼ごはんも、彼はいつも一人で食べていたのが、声をかけてくれた人と食べるようになったらしい。男子が多いけど、呼ばれた先のグループには女子がいることもある。


 今日のお相手は、クラスメイトの天パ男子、間宮まみやくん。呼びに来たのが彼ということは、その先に居るのは他クラスの子も混ぜた、男子二人、女子三人のグループだろう。


「今日は追わないのか」


 私もお昼にしようと教室廊下側後方、結季ちゃんの席に集合すると、真咲ちゃんから声をかけられた。


「行き先もそこにいる人も分かるから」


「一透ちゃん、すっかり戻っちゃったね」


「何に?」


 首を傾げつつ聞く。結季ちゃんは凄く答え辛そうで、余計に気になってしまう。こういう時は大体、真咲ちゃんがフォローしてくれるのだ。


「ストーカーにだろ」


 期待を込めて視線を送ったりするんじゃなかった。まさか墓穴だとは。


「ストーカーじゃないよ。見守ってるだけだよ」


「ストーカーは皆そう言うんだよ」


「ひよこの一透ちゃんの方が可愛かったのになあ」


 散々な言われようだ。冬紗先輩のアドバイス通り、他の人との関係性を観察して、私と彼の関係性を改善するヒントを探しているだけなのに。


 やっていることだって、どんな人とどんな会話をしているのか聞き耳を立てたり、トラブルに巻き込まれないか、下校する彼をお家まで見守ったりしているくらいで、そんな大したことはしていない。


「それは十分大したことだよ」


「ツーアウトだからな。気をつけろよ」


 こういう時は、皆まで言うべきではなかった。


 いや、すでに何度かやらかしているけれど、今もう一度学んだのだから、大丈夫なはずだ。なってしまったらどうなるかは分からないけれど、スリーアウトはない。



−−−



 放課後、アルバイト先では、なんとか一応ちゃんと働く事ができている。


 面白いのは、いや、面白がってはいけないのだけど。九十九くんが来店すると、私よりもマスターの方が気を張り詰めるのだ。


 九十九くんが来ると、私が明らかにポンコツになるためである。


 本当に申し訳ない。九十九くんの接客を全てマスターに任せることで仕事に支障は出なくなったので許して欲しい。


 任せる、といえば聞こえはいいけれど、単に取り上げられただけではあるので、私は寂しい。だけど、距離を置くと自分で決めた時点で今更だ。これはもう仕方がない。


 彼が来店してくれた時が一番彼の近くに居られる時間になったので、ドアのベルが鳴る度に、彼の姿を期待してしまうようになったことも。


 今日も、ベルの音につられてそちらに顔を向ける。彼ではなかったけれど、知っている相手だった。


「いらっしゃい、一条さん。いつものでいい?」


「ええ」


 彼女は、夏休みのあの日、九十九くんに連れられて以来すっかり常連になってくれた。


 彼女のいつものはピーチティー。九十九くんと来た時は彼に合わせていたけれど、本来彼女は紅茶派らしい。


 紅茶もだけど、特に飲み物を単品で注文したお客様にだけサービスでつけているクッキーがお気に入りらしく、それをばっちり見抜いたマスターは、彼女の時だけこっそり一枚多く提供している。


 こういう細かな特別サービスは、実は常連の数だけあったりする。例えば九十九くんに対しては、コーヒーの味が彼好みになるよう、粉の量やお湯の温度などを細かく調整しているそうだ。


 因みに、彼好みのコーヒーの淹れ方を教えてもらおうとマスターに頼んだらまだ早いと言われたので、細かいことは把握できていない。


「おまたせ、一条さん」


「ありがと。ああそう、あなたにちょっと、言いたいことがあったのだけど」


 いつも通り一枚多く提供されたクッキーを齧りながらカウンターに座る一条さんに声をかけられる。彼女が仕事中の私に個人的な会話を振ることは滅多にないのに、なんだろう。


「あなた、九十九とどんな会話をしたのか聞いて回るのはやめなさい。皆怖がっているから」


 んぐ、と喉の奥から変な音が鳴った。確かに最初は皆快く教えてくれたのに、最近は困らせてしまうことも多くなったなと思ってはいたけれど。


「だめ、かな」


「あなただったらどうかしら? 例えば大野と話をする度に、ある特定の男子から会話の詳細を聞き出されるようになったら」


 確かにそれはちょっと、怖いかもしれない。全部横流しにするのも真咲ちゃんに悪い。


「私に聞くのもやめてくださいね」


「ごめんなさい」


 何より、一番被害を受けているマスターからもそう言われてしまえば謝る他になかった。


 スリーアウト。チェンジはしたくないので、真咲ちゃんには黙っておこう。

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