煩悶クリスマス
第72話 撮る覚悟、撮られる覚悟
クリスマス当日にもなれば、もうすっかり不安なんて忘れて、私は期待一色になってソワソワと過ごした。
放課後になると、誰よりも早く支度を済ませて九十九くんに話しかける。
「九十九くん、いこ」
「少し待て」
「いこ」
帰り支度をする九十九くんをゆさゆさと揺らして急かす私を、進藤くんは教室の入口側で呆れた顔をして見ている。
今日はこのまま三人で校門に向かい、そこで先輩と合流して、庭園へと向かうのだ。
「おっ、きたね」
男子二人を引きずるようにして校門へと向かうと、先輩は既に待ってくれていた。私達を迎える先輩に、まずは九十九くんを紹介しなければ。
「先輩、こちら、九十九くんです。九十九くん、こちら、冬紗先輩」
「はじめまして。噂は聞いてるよ」
「……どうも」
先輩が、じっと九十九くんを見つめる。彼も見つめ返す。そのまま、数秒。
「冬紗先輩?」
どうしたのだろう、と進藤くんは声をかけるが、私にはなんとなく分かる。今、二人は交信中なのだ。私もときどきすることだ。言語外のことを視線でやり取りする。傍からだと、何を交わし合っているのかまではわからないけれど。
少しして、先輩がふふふ、と笑い出す。
「聞いていた通り、面白い子なんだね」
「……買いかぶりです」
「ふふ。よろしくね、ハジメ君」
彼がそれに会釈で返したのを見て、とりあえず移動しましょうと、進藤くんのリードで動き出す。
なんだったの? と九十九くんに聞いている進藤くんの後ろを歩きながら、私も先輩に聞く。
「どうでしたか?」
「ふふふ。期待以上かも」
「期待、ですか?」
「うん。彼にはちょっと、期待しているんだ」
それは、九十九くんが言っていた、先輩が探しているもののことだろうか。カメラをやめる理由。あるいは、やめなくていい理由。彼なら見つけてくれると、そういう意味だろうか。
「冬紗先輩」
それも気になる。そして、もう一つ。
「どうして、ハジメって呼ぶんですか?」
それがあだ名だと知ってから、九十九君と呼んでいたはずだ。
私がそう聞くと、先輩は慈しむような目で答えた。その視線は、九十九くんではなく、私に向いていた。
「だって、一透ちゃんがあんまり特別そうに呼ぶんだもの。私も同じように呼ぶのはなんだか野暮だなって、そう思っちゃった」
「そうですか?」
「うん。自覚ない?」
表に現れている自覚はない。だけど。
「はい。でも、そう見えていたなら、嬉しいです」
彼の名前を呼ぶたびに、かつての決意が胸にまた湧いてくる。
私が彼の、足りない一になる。
名前を呼ぶ。何でもない、ありきたりのことだけど。私にとっては、彼の名前を呼ぶのは確かに少しだけ特別なことで。
それがちゃんと形になっているのなら私は嬉しい。
「ふふ。いいね。羨ましいなあ」
「先輩も、呼んでもらえてるじゃないですか。進藤くんに」
あっ。と、言ってから気がついた。先輩があまりにも自然に言うものだから、思わず口が滑った。
伝わってしまっただろうか、と様子を見ると、心から、本当に、心から困っているように言った。
「うん。そうだね」
その心の背景が分からなくて、私は何も言えなくなってしまった。
−−−
庭園に着いた。今は、私が進藤くんと並んで前を歩いていて、後ろから先輩と九十九くんの会話が聞こえてくる。
「ハジメ君は、前にも一透ちゃんと別のとこに行ったことあるんだよね。その時はどういう風にエスコートしたの?」
「特に何も」
「本当? カッコよくリードしてくれたって聞いてるけどなあ」
「放っといたら勝手にあちこちに興味持って歩き回るんで、ついていくだけでしたよ」
そんな風に思われていたのか。確かに、舞い上がった私が、あれは何、こっち行こう、なんて彼を振り回していたような気はするけれど。
「お父さんと娘じゃないんだから。デートならちゃんとリードしてあげないとダメじゃない?」
「形式より、本人が楽しめる方が大事じゃないんですか」
「おお、良いこと言うね。じゃあさ」
先輩が、九十九くんの上着の袖を控えめに摘む。
「相手が私なら、どんな風にしてくれるの?」
「さあ。先輩のことは、まだよくわからないので」
先程から、先輩は九十九くんに対してなんだか距離が近い。女の私でも先輩にはどぎまぎしてしまう事があるのに、九十九くんはよくあそこまで動じずにいられるものだ。
ただ、九十九くんが動じていなくても、やはり進藤くんは気にしてしまうようだ。
まあ、半分くらい先輩にぐいぐい来られて困っている九十九くんを面白がる気持ちもあるようなので、余裕はありそうだけれど。助け舟くらいは出しても許されるだろう。
「九十九くん。私たちは写真も撮って回るけど、どうせなら九十九くんも撮らない?」
「おっ、いいね。教えさせるよ? ウチの弟子に」
しまった、そうなるか。私が教えれば、進藤くんは先輩といられるかと思ったのだけれど。
「さらっと僕を巻き込まないでくださいよ」
「私が教えたこと、ちゃんと身についてるか確かめてあげるから、やってみなさい」
「俺の意思は」
次々に話が進んでいくので堪らずといった様子で抗議を飛ばしてくる九十九くん。
「いいから、ほら」
私は彼の側に寄って、園の中心にある大きな池を指差す。撮ってみよ、と言いながら彼を見上げると、彼はスマホを取り出して、私に向かって、シャッターを切った。
何か文句でも? とでも言いたげな顔だ。
「九十九くん」
そのケンカ、買おうじゃないか。
「人を撮るってことは、撮られてもいいってことだよね」
スマホを取り出す。使うのは進藤くんや先輩が設定してくれたものではなく、連写モード。
彼が逃げる。私が追いかける。
何分かの間、冬紗先輩と進藤くんの笑い声を浴びながら、私と九十九くんは追いかけっこを楽しんだ。
「ふふ、ふふふふふ」
「笑いすぎですよ」
「だって、ふふ、本当に仲良しなんだね」
「はい」
先輩にはしっかり返事をしつつも、ようやく諦めて抵抗をやめた九十九くんの横顔を連写し続ける。走っていた間に撮ったのはブレが酷いだろうから丁度いい。
「いい加減カシャカシャうるさい」
手でスマホのカメラ部分を押さえられ、えー、と抗議してみるが、進藤くんからもストップがかかった。
「その辺にしといてあげてよ。あと、撮った写真あとで僕にも送って」
「うん。わかった」
「やめろ」
九十九くんの制止は聞き入れず、皆でお茶屋さんへ向かう。理由は前と同じで、放課後で閉まるまで時間がないからというのが主だけど、走って疲れた私達が休むためでもある。
向かう途中、九十九くんが話しかけてきた。
「おい」
「消さないからね」
まださっきの写真を消すように抗議されると思っていたので先手を打ったのだが、違っていたようで、彼のスマホを渡される。
「あんまり気にし過ぎるな」
画面には、さっき撮ったであろう、屈託のない顔で彼を見上げる私の写真。
「そういう顔しとけ。楽しみに来たんだろ」
進藤くんのこと。冬紗先輩のこと。気にしてしまっているのを心配して言ってくれているのだろう。
そして、それに甘えてしまえば。きっと彼は、私に楽しいものだけを見せて、大変なことは、見えないところで一人で片付けようとするのだ。
「九十九くんもね。ほら」
だから、私はもう一度、自分のスマホを取り出して彼に向ける。今度は連写モードじゃなく、私専用の設定で。
「笑って」
ずるいなって言いながら君の優しさに甘えるだけの私でいるのは、もうやめた。あの時、誓ったから。
困ったように、でも、そう言ってもらえるのが嬉しい気持ちを誤魔化せないみたいに、やんわり苦笑する君の写真を撮る。
冬紗先輩が、私の知らない私を撮ってくれたみたいに。私も、君の知らない、私だけが知っている君を映し出したいから。
いつか、心から笑う君を撮ろうと、自分で立てた決意に、目標を一つ追加した。
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