第114話 一日限りの特等席

 子ども用プールを除いた三つのプールは、前に女子三人で来た時と同じ順番で回ることにした。


 二十五メートルプールでは今回はビーチボールではなく、別の遊びを考えてきたので、それに九十九くんを巻き込む。


 九十九くんの肩を、ぺたり。


「はい。九十九くん鬼ね」


 九十九くんの理解が追いつく前に、人をかき分けて逃げつつ、潜って視界外へ。これで時間を稼げるだろう。


 しめしめと笑みを浮かべながら潜水、浮上を繰り返す。次第に私も彼を見失ってしまったけど、元いた方向に注意を払っていれば大丈夫なはずだ。


「ぅわ!」


 そう思っていたら後ろから肩を掴まれた。水上も水中も、どちらもよく観察していたはずだけれど、わずか数分で回り込まれてしまったらしい。


 後ろにはもちろん、九十九くん。


「人混み、大丈夫なのか」


 見失う前に触り返さなきゃ、と焦る私を意に介さず、肩を掴んだまま話しかけてくる。


「うん。前にも来たけど、大丈夫」


「……すぐに気付けないところには行かない。キツくなったら言え」


 そんなハンデはいらないよ、と言おうとしたけれど、振り返ろうとした動作の勢いが増すように私の身体を回転させながら、九十九くんは私を突き飛ばした。


 背中から勢いよく水に突っ込んで、顔を上げた頃にはもう、彼はいない。


 この勝負、負けてなるものか。






 何度か鬼が入れ替わった。九十九くんが付かず離れずの位置にいてくれるからかも知れないけど、どれだけ人が多くても、彼を視界に捉えればすぐにそれが彼だと気づけた。


 ただし、それは彼も同じらしく、どれだけ人混みに紛れてもすぐに見つかってしまった。


 距離を取ろうと潜りながら端へ移動したのは特に失策だった。追い込まれて逃げられなくなってしまうことくらい考えれば分かるはずなのに。


 均衡が崩れたのは、私の鬼が五回目を超えた時。それまではすぐに見つかった九十九くんが全く見つからなくなった。


 くまなく辺りを見渡しながら歩き回ること数分。影も形もない。フェアな勝負で勝ちたかったんだけど、仕方ない。そろそろ鬼ごっこはお開きにしよう。


 一緒に来ているのに彼の存在を感じられず、一人で練り歩くのは寂しくて、絶対に捕まえられる切り札があったから。


 我ながら卑怯だと思うけど、最後にこれを切らせて貰おう。


「九十九くん」


 なるべく人の密集していない方へ移動し、彼を呼ぶ。少し待つ。来ない。もう一回呼ぶ。


「九十九くん」


「大丈夫か」


 瞬間、急に眼の前に浮上してきて、ちょっとびっくりした。同時に、彼が見つからなかった理由が分かった。


「ううん。寂しかった」


 ぎゅ、と彼の手を掴むと、一瞬で心配の目が批難するような目に変わる。


「おい」


「九十九くんもラッシュガード脱いでずっと背中向けてたでしょ。おあいこ」


 最大の特徴が知らぬ間に消えていた上に、下の水着も黒いシンプルなデザインで、髪型も濡れて張り付いていればこれといった特徴が見受けられなくて、その上顔を見せてくれないのであれば見つけようがない。ずるいのはお互い様だったようだ。


 それでも約束を守って助けに来てくれるあたりが、やっぱり九十九くんだなと思う。


「悪かったから、離せ。俺の番だろう」


「ううん。鬼ごっこはもういいや。ウォータースライダーに行こ」


 掴んだ手を離さないまま、九十九くんを引っ張って移動する。


 プールから上がる時は離さざるを得なかったけれど、先に上がった九十九くんが手を貸して引っ張り上げてくれたので、またその手を離さないようにする。


「おい」


「ほら、早く」


 文句はわざと聞き流す。それだけで、相変わらず握り返しはしてくれないけれど、好きにさせてくれる。


 ごめんね、九十九くん。


 今日一日は、我儘でいさせてね。君とこんな風に過ごせるのは、最後かも知れないから。


 夏休みが明けて、君にたくさん友達が出来たら。他の男子達や一条さんに囲まれて、君がいろんな人に受け入れられたら。


 それでもそこに、私の居場所はあるかな。


 君の心を埋めてあげられる人が他にいて、私じゃなくても良くなったら。それでもこんな風に、君と一緒に過ごせるかな。


 私は、たとえ側にいられても、きっと今とは変わってしまうんだろうなって、そう思ってしまうから。


 だから、今日だけ。今日一日だけ、独り占めさせてね。


 他の誰の邪魔も入らない、君に一番近い席。

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