第99話 はじめてアルバイト
翌日、日曜日。予定通り、九十九くん常連の喫茶店へ向かう。履歴書も一応用意してきた。いきなり面接になっても問題ない、はずだ。
手に汗を握り、店内に入る。
「いらっしゃいませ」
壮年の店主さんに迎えられ、会釈を返してカウンター席へ。メニューを手に取る。前に来た時は、九十九くんにおすすめを聞きながら決めたっけ。
前と変わらずフレンチトーストセットを頼もうとして、やめた。バイトのお話をしに来たのだ。もぐもぐと食事をしながら話すのはなんだか気が引ける。大人しく飲み物だけにしておくべきだろう。
「あの、アプリコットティー、アイスで」
「かしこまりました」
店主さんは、前に来た時は気にならなかったけれど、なんだか九十九くんに雰囲気が似ている。
見た目は渋いおじ様という様相で、そこだけ違うけれど。寡黙で、愛想がなくて、黙々と作業をして。
「お待たせしました」
紅茶を差し出す仕草はとても丁寧で、思いやりがあって。目の奥に、温かい優しさの色がある。
「あの、ここによく通う友人から、ここでアルバイトの募集をするか検討していると聞いたんですけれど」
目が合う。私の目から何かを読み取ろうとしている感じがする。これも、九十九くんみたい。
「あの子の友人ですか」
「分かるんですか?」
「いや、思い出しました。秋頃、一緒に来てくれたことがあったでしょう」
たった一回来ただけなのに。何か特別な注文をしたとか、会話を交わしたとかでもないのに。覚えていてくれたらしい。
「親御さんの了承は」
「あ、はい。取れてます」
「勤務時間の希望は」
「えっと、平日の放課後と、日曜日に一日」
「志望動機は」
奥へ、とかもなく、カウンターで次々に質問される。開店直後でまだ他にお客もいないけど、それにしてもちょっと想定外だった。
「お店の雰囲気が気に入って」
「古臭いところがですか」
もしかして、これが圧迫面接というものだろうか。思わず震え上がりそうになる。いや、くじけちゃ駄目だ。おどおどビクビクしている人を採用したいと思うだろうか。いや、そんなはずはない。
「前に来た時は、他にも、お客さんがいて」
ここなら、〝感覚〟の心配がいらない。そう思えた理由は、たった一回の入店でちゃんと分かっている。
「皆さん、マスターさんが淹れたコーヒーを飲んで、一口で、安心した顔をしていました」
顔だけじゃない。心も。美味しいってだけじゃなくて、心を落ち着けられる味で、場所だって。このお店にくる人の心が言っていた。
「私の、友達も。だから、ここがいいって思ったんです」
目を真っ直ぐに見て伝える。心を伝えるために、私が覚えた方法。視線には、いろんな感情が乗る。
「……料理は」
「えっ」
「出来る方ですか」
すっかりウエイターとしての心構えでいた。そうか、そもそも二人しかいないのなら、いろいろな事が出来なきゃいけないのか。
「か、簡単なものなら」
すごく複雑なものは作れないけれど、パスタやサンドイッチなどの軽食は、家庭料理くらいのレベルでなら作れるはずだ。
「まず、接客や掃除などの雑用をこなしてもらいながら、ゆくゆくは軽食も任せられるように教えていく。それでいいですか」
「はい!」
合格? 合格だろう。よかった。ここで働ける。
「勤務時間ですが、平日は十六時からなら来れますか?」
「はい」
「なら、十九時までの営業時間内勤務と、そこから締め作業まで。日曜日は開店から閉店まで九時間。内一時間休憩。開店準備や締め作業はいりません。それでいいですか」
「はい」
そうか、営業時間外にも仕事はあるのか。それはそうだ。日曜日は営業時間内だけでいいと言ってもらえたが、慣れてきたら手伝わせてもらおう。必要なことだろうから。
「いつから入れますか」
「明日からでも」
「では、明日、十六時から」
トントン拍子に話が進んで、いつの間にか纏まってしまった。思わず呆けてしまう。アルバイトの面接って、こういうものなのだろうか。いや、チェーン店ではこうはなるまい。
緊張が解けた途端、お腹が空いてきて、結局追加でフレンチトーストを注文する。あの時と変わらない味わい。
志望動機で話した、九十九くんや他のお客さんから見えたような感情が、きっと私からも漏れていたのだろう。ぽつりと、マスターさんが溢す。
「女子高生は、駅前のオシャレなカフェの方が好きな子が多いから、冷やかしではないかと疑っていた。……済まなかったね」
「いえ、そんな」
私も先程、圧迫面接かと怯えてしまった。お互い様だろう。それよりも、これからは一緒に働いていくことになるのだから、あまり禍根は残したくない。
「それより、九十九くんとは、普段どんなお話をされるんですか?」
一瞬、やはり冷やかしかというような目で見られたことを私は見逃さなかった。他のお客さんとは、って聞いたほうが良かったかもしれない。
−−−
翌日、初出勤を迎えた私がガチガチに緊張しながら、このお店の制服などはないのかと聞いたら、マスターはそういうのも必要になるのか、と整った顎髭を撫でながら思案に耽った。
結局学校の制服の上からお店のエプロンだけを纏って働くことになった私は、マスターのちょっと抜けているところに緊張を解され、自然体のまま働くことが出来た。
こういうところも、ちょっと九十九くんっぽいかもしれない。
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