君の隣と体育祭

第16話 私にはいいのに

「行ってきます」


 いつものように、しかしいつもよりやや早く家を出る。六月も終わりに近づいており、晴れやかな青空も、襲いかかる暑さも、すっかり夏の陽気を感じさせる。


 日焼け止めはしっかり塗ってきたけれど、これだけの日差しであれば焼けてしまうかもしれない。


 これは気を付けなければ、とは思いつつも、それ以上にワクワクと高鳴る感情を抑えきれない。込み上げる期待に急かされるように胸が脈打つこのイベント時独特の感覚は、嫌いじゃない。


 体育祭が始まる。



−−−



 学校について、唖然とした。


 普段は一クラスずつ使う更衣室だが、体育祭当日は全校生徒が一斉に使用することになる。それではパンクしてしまうからと、何分割かされ、チームの色分けごとに決まった時間内で着替えることになっていた。


 が、それでも女子は準備に時間がかかる子が多いのだろう。端的に言って、物凄い混みようだった。


 枠は、赤、青、黄の順で分けられている。我らが青組の時間帯はもうすぐだけれど、まだ中に入れてすらいない赤組の生徒も相当いるらしい。これは時間になってもすぐには入れないだろう。


 こうなってくると、待機列には不満が溜まる。私はそれを〝感覚〟で感じ取ってしまい、気分が悪くなる。


 私は早々に避難することにした。


 真っ直ぐに向かった先はもちろん教室だった。しかし、昨年同じ目に遭って学んだのか、更衣室を利用できている女子の大半が二年生以上で、待機列のほとんどが一年生のようだった。


 つまり、一年生の女子のほとんどは今か今かと更衣室の空きを待っていて、教室には早々に着替えを済ませた男子生徒しかいないのだ。


 普段はあまりそういった事を気にしたことはないけれど、流石にイベントに浮足立つ男子生徒たちの中一人でぽつんと待機しているのは居心地が悪い。


 仕方がないので、外で待つことにした。


 グラウンドで先生や体育祭の実行委員たちが準備しているのを眺めながら時間を潰す。日差しが暑かったけれど、テントが組み上がっていったり、競技で使う道具を運んでいたりする様子を見ているのは意外と楽しい。


 少しすると、大野さんと小川さんが登校してきた。


「おう」


「おはよう、人見さん」


「おはよう、二人とも。今日はゆっくりなんだね」


 私がそう言うと、しまった、という顔をする。


「悪い、そういや伝えてなかったか。部活の先輩の教えでな」


 私が首を傾げていると、説明してくれた。いわく、こうなるのは毎年のことで、最初に更衣室を使える枠であれば早く行ったほうがいいが、後の方の枠なら遅れて行くくらいで丁度いいらしい。


 私はそういった伝手つてがないので知らなかった。来年からは私も気を付けなければいけない。


「わたし達は中で待つけど、人見さんはどうする?」


「ここにいるよ。更衣室が空いたら連絡してもらってもいい?」


「うん。任せて」


 とん、と胸を叩いて快く了承してくれる小川さん。頼もしい。


 二人を見送ってすぐ、ほぼ入れ違いでまた声をかけられた。


「入らないのか」


 そちらを見ると、意外なことに九十九くんだった。いや、彼の既に準備万端な様子を見るに、彼も人混みから逃げてきただけかも知れない。


 既にジャージの下とチームカラーである青色の体育祭用Tシャツに着替え、余計な荷物は教室に置いてきたのか、手には鮮やかな水色のタオルだけだ。


「更衣室はまだ使えないし、人の多いところは苦手だから」


 私はそう答えつつ、それだけを伝えたら心配させてしまうと思ったので、すぐに話を変えようとした。


 丁度、実行委員の生徒が謎の長い棒を運んでいたので、あれは何の競技に使うやつかな? とでも言おうとしたのだけど、その前に何かを顔に投げられる。冷たい。


 手にとって見ると、彼が手にしていたタオルだった。水に濡らして固く絞ったもののようで、少し湿ってひんやりとしている。投げられたというか、頭に掛けられたのだと気がついた。


「熱中症になるぞ」


「九十九くん」


 彼はグラウンドの方を見ている。お礼を言われるのが照れくさいのか、彼は人に優しくする時、あまり相手の方を見ない。


「髪のセットが崩れちゃうから、他の女子にやると怒られるよ」


 彼はタオルを取り上げて何処かへ行ってしまった。


 私にはいいのに。

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