第15話 まねっこ、黒猫

 放課後、帰り道に黒猫がいた。


 野良猫だと思うのだが、近寄っても逃げようとしない。まるで意に介していないようで、アスファルトの上で横になって伸びている。


 思わず撫でたくなるが、野良猫はあまり触らないほうがいいのだろうか。


 我慢してじっと見つめるだけに留める。うん、かわいい。


 私の〝感覚〟は動物には作用しない。集中すれば神経をさわさわとくすぐられるような感覚がし、あとちょっとで掴めそうなもどかしさを感じるのだが、それが明確な形を成すことはなかった。


 黒猫はじっと見つめられているのにようやく気がついたのか、鬱陶しくなったのか。起き上がって歩き出してしまった。


 大人しく見送って帰ろう、と思っていると、少し進んだところで止まって振り返った。こちらを見ている。


 近寄ってみるとまた歩き出す。やはり逃げられる、と思って止まると、向こうも止まってこちらを見る。


 誘われている。そう感じた途端、胸が高鳴る。


 猫に誘われ、たどり着いたのは猫の国。そこでめくるめくファンタジックな冒険が、今はじまる!


 ……ということは、ないだろう。でもワクワクする。


 特に用事もないので、黒猫について行くことにした。塀を越えたり生け垣に潜り込んだりといった、猫だけの特別な道があったらどうしようと思っていたけれど、案外普通の道を通ってくれた。


 次第に人が少ない道へ入っていき、そろそろかなと思ったところで目的地らしき場所につく。


 そこは猫の集会場のような場所で、路地裏、建物と建物の間の狭い空き地に、多種多様な猫が集まっていた。


 私の目は、ここが天国かとばかりに輝いていることだろう。猫の目も輝いている。


 キラキラと輝く瞳。ぶつかる視線。いや、こちらに向いている視線が多すぎる。よく見ると、空き地中の猫がこちらを見ていた。流石におかしい。


 最初に出会った黒猫を見る。私の〝感覚〟は通じないはずなのに、何を言っているのか、わかる気がした。


 見物料をよこせ。


 鞄の中に視線を移す。私の勉強道具がみっちり詰まった鞄には、お菓子なんて茶目っ気のあるものは入っていない。お弁当の中身も平らげてしまった。


 猫を見る。猫も私を見ている。


 私は逃げ出した。



−−−



 今まで猫を飼ったことがないのでよくわからないのだけど、猫は何を食べるのだろうか。コンビニで調達できるだろうか。


 そんな事を考えていると、見知った顔を見つけた。九十九くんだ。


 途中まで一緒に帰ったことはあるが、こっちの方だっただろうか、と考えて気づいた。


 猫を追うのに夢中になっていたため、ここが何処だかわからない。


 一緒に帰るという体で迷子と告げずに案内してもらおう、と歩み寄っていったら、九十九くんはなにやら、いかにも海外からの観光客といった様相の女性と握手していたので、声をかけるのを躊躇ってしまう。


 私が遠巻きに見ていると、向こうの方から気づいて声をかけてくれた。九十九くんから来てくれるのは珍しい。


「どうした」


「さっきの人は、もういいの?」


「ああ」


 彼女の方を見ると遠くから九十九くんに手を振っている。


「道案内とか?」


「ああ」


「九十九くん、英語苦手じゃなかったっけ?」


「だから現地まで直接連れて行くしかなかった。地図を見せてもらって、行き先はわかったからな」


 口で上手く説明できない。だから直接連れて行く。投げ出したり、他の人に任せたりしようとは思わないのだろうか。


 そういうところが、九十九くんらしいと思う。


「お前は?」


 誤魔化そうとしていたが、やはり聞かれてしまった。何をしていたかといえば、猫を追いかけて迷子に……いや、そこまでは言わなくていい。まだ間に合う。


「こっち」


 あの黒猫の真似をしてみる。すると、おそるおそる九十九くんがついてきてくれる。何だかちょっと、面白い。


 あの猫もこんな気分だったのだろうか。


「どう?」


「……何が」


 私は九十九くんを連れて、さっきの空き地に戻ってきていた。


 猫たちは餌がもらえないことがわかったからか、こちらの様子は気にしつつも近寄ってきたり見つめてきたりはしない。


「あそこの黒猫追いかけてたら、集会場見つけたの」


 だらりと寝転ぶ猫を指差して言う私に、この人は一体普段から何をしているんだろう、といった視線を送ってくる九十九くん。


 今日だけの偶然なのだが、言っても栓のないことだ。


「九十九くん、なにか猫が食べられそうなもの持ってる?」


「ない。あってもあまり野良にはあげないほうがいいだろ」


 正論だった。そういえば、近隣住民になにか被害が出れば餌をあげていた者に責任が問われることもあると聞いたことがある。


 今日は見守るだけにしておこう。後々自分の責任の範疇でなにか出来そうなら、また来ればいいのだ。


「そう言えば、九十九くん」


 困らせてしまうかも知れないと、聞くべきか悩んでいたことを聞いてしまったのは。猫に癒されて気が緩んだせいだろうか。


「今日友達に、九十九くんのストーカーみたい、って言われたんだけど。九十九くんは、私に構われるの、迷惑だと思う?」


 思わず目を伏せたくなるが、必死に堪える。


 真っ直ぐに見据えた彼の目からは、なんの情報も読み取れない。


 迷惑だと言われたらもうやめよう。私の問題をなんとかする為に彼に嫌な思いをさせたくはない。そう思っていたのに。


「思わない」


 覚悟を決めたはずなのに、自分の都合のいい返事を聞けただけで、鵜呑みにしそうになる。


 私には、彼の心は見えない。本心かどうか、わからない。わからないのだ。


「奇特だなとは、思う」


 そう言いながら、彼は目を背けたけれど。その表情は、これまでに見たことがないくらい複雑な感情があるように見えた。


 嬉しそうな、悲しそうな、後ろめたそうな、羨ましそうな。


 どれでもあるようで、どれでもなさそうで。

 その靄の向こうに触れることができれば、それが何か分かるだろうか。


「じゃあ、明日からもまた、いい?」


「いい」


 主語の抜けた会話だった。具体的に、何がどこまでいいのかは自分でもよく分かってはいない。それでもいいと言ってくれた。


 今度はまっすぐに、私の目を見て。


 やはり彼の心は見えないのだけれど、それでも、今度はちゃんと信じることが出来た。安心させてもらった、といった方が正しいかもしれない。


「じゃあ早速なんだけど、帰り道分からなくなっちゃったから、駅までの道を教えてもらっていい?」


 また、何してんだこいつ、みたいな顔をして呆れてくれると思った。


 ちょっと恥ずかしい話をしたせいで神妙になってしまった空気を、おどけてみせることで元に戻すつもりだった。


 だけど彼は、本当に困っている相手にはそういう目を向けない。


「ん」


 一言だけ、というか、一音だけ返事をして、少し歩いて、こちらを振り返る。


 あの猫が私にして、それを真似て、私が彼にしたみたいに。少し先で待っていてくれる。私が歩き出せば、今度は足並みを揃えてくれる。


 彼の優しさを、こんな風に思うのは初めてだった。




 ずるいなあ。

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