第10話 「ん」
朝が来た。繰り返し鳴るアラームの音に顔を顰めながら起床する。
早起きを嫌だと思ったことはない。むしろ時間に追い立てられる方が苦手だ。
だからといって、寝起きがいい訳では無い。起きてからしばらくは頭が回らず、完全に覚醒するまで時間がかかる。
よって、私はあえて早めに起床し、頭が冴えるまで存分にぼんやりする時間を設けることで、余裕ある朝の時間を演出するのだ。
朝はギリギリまで起きずに一分でも長い睡眠時間を確保する、とクラスメイトの誰かが話しているのを聞いたことがある。
もし私が同じことをすれば、朝の出欠確認の点呼で気の抜けた生返事を返すことになるだろう。
リビングに降り、席につく。朝食は母が用意してくれている。
おはよう、もいただきます、も口にしているつもりだが、上手く言葉にならず、なにやらもにょもにょとした音として発せられる。
目が覚めるまでは何を言ってもこうなので、家族ももはや気にしない。行ってきます、という父の声に返事をする頃になれば、ようやく聞き取れるレベルにはなっていると思う。
それから、部屋に戻って制服に着替え、髪を梳き、身なりを整えた後に、その日の時間割や提出課題などの最終確認をする。
以前は最終チェックや着替えを食事の前に行っていたけれど、制服にパンくずをこぼす、最終チェック時に寝ぼけているので時々忘れ物をする、などの問題が起きたため、最近ようやくこの形になった。
準備に問題がないことを確認すると、鞄を持ち、部屋から降りて玄関で靴を履く。ようやく冴えた頭で挨拶をして家を出る。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
相手が遠ければ、わざわざ顔を合わせには行かない。しかし聞こえるようには声を出して挨拶をする。同じように、返事もする。
仲は良く、挨拶は欠かさないが、慣れきっている。我が家はいつも、そんな感じだ。
−−−
私は普段から、大体二十分ほど余裕を持って登校している。
遅刻をしないように、というのもあるし、あと一本遅い電車だと通勤・通学ラッシュが一際苛烈になるというのもある。
教室に入ると、いつも五人前後のクラスメイトがいる。部活で朝練がある人たちはまだ切り上げておらず、普通に登校する生徒は大半があと五分くらい後に来るのだ。
その五人前後の中に、いつも隣の席の男子がいる。
HRまでの二十分間は、先月までは授業の予習をしたり、本を読んだり、友達と話したり、たまにスマホをいじって過ごしていた。
今でもそれは継続しているのだが、先月とある事件があってからは、カモフラージュとしての意味合いが大きくなった。隣の彼を観察するためのカモフラージュだ。
以前までは、私が今までに見たことがないタイプの人間だということで、ただ何となく気になっていただけだった。
ところが例の事件で彼の人柄に触れることで、強い興味を抱くようになった。
私は彼の、人を思いやる優しさのメカニズムを解き明かしたいのだ。
最初に私が行ったのは、彼の登校時間の調査だった。
思えば彼はいつも私より早く教室にいるな、とふと感じたことがきっかけだったが、より調査時間を確保するためにも必要であり、早急に調査した。
と言っても、それは一日で完了した。HRの三十分くらい前かな、と当たりをつけ、四十分前に登校してみたら、予想通り、それから十分ほど経って彼は来た。
他に誰も居ない一人きりの朝の教室というのをその時初めて体験したのだけれど、なんだかいつもと違う空気を感じられてなかなかに新鮮だった。
二番目に来たのが彼だったため、それまでは彼があの空気を満喫していたのだろう。
私の次に来た彼に、おはようと声をかけると、同じように返してくれたのを覚えている。
私と彼が並んで机に向かっているだけでは特に得られるものがないと気がついたので、同じ時間に登校するのは数回でやめてしまったけど、挨拶は今でも変わらず交わしている。
もちろん、今日も。
「おはよう、九十九くん」
「ん」
彼、九十九仁くんは、私からの挨拶に慣れてくると一文字しか返してくれなくなったけれど。
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