第59話 結晶

 君が最初に、私を助けてくれたんだ。


「私が君に何かをするよりも前から、君は私を、私達を、助けてくれた」


 君の瞳が揺れる。それだけじゃないよ、九十九くん。五月のときだって。


「小川さんの上履きも、見つけ出してくれた。小川さんが、いじめられてるんじゃないかって不安にならないように安心させてくれた」


 私にも。面識のなかった先輩にも。


「私と先輩が、ルール違反を咎められないように気を回してくれた」


 大野さんにも。進藤くんにも。


「勘違いで君に怒ってしまった大野さんが気にしないように、とぼけてくれた。進藤くんが好奇心で誰かを傷つけることがないように、きっかけを作ってくれてた」


 全部、覚えてるよ。あの時分からなかったことも、今なら分かるよ。


「だから私は、君みたいになりたくて、君のことを見るようになったの」


 だから、君が私にしてもらったって言ってくれたこと、全部。


「君なんだよ。九十九くん。君が最初に、私を導いてくれたの。だから私はずっと、君みたいになりたくて、真似をしてきたの。君のくれたものに報いたくて、努力してきたんだよ」


 君がしてくれたことが、私にとってどれだけ大きなものになったか。それをどう感じているか。全部この胸にある。君がくれた心の欠片は、今もここに。


 お願い。届いて。私がそうしてもらったみたいに。視線に乗って。声に運ばれて。君に還って。


「ありがとう。九十九くん。君に出会えて、私はとても幸せだよ」




 出し切った。私の気持ちは、全部乗せた。涙も鼻水も放ったらかしで、震えた涙声になりながら、なりふり構わず全部投げた。


 彼の心は、色が変わりつつある。届いたんだ、と思ったけど、今もまだ、自責の念が変わろうとする心を押さえようとしている。


「ずるいだろ」


 椅子から倒れ込むように、膝から床に崩れ落ちた君のその声はもう、私に向いてはいなかった。


「ずるいだろ。卑怯だろ。虫が良すぎるだろ。ふざけるなよ。何でこんな風に、救われようとなんかするんだ」


「九十九くん、もういいの。だって、君は私を――」


「一度いいことをして、誰かの為になれて! 過去は変えられないけど、未来は変えられるって、これから誰かの為になることを積み重ねていけばいいって! それで、俺が勝手に、過去の間違いを割り切ったら!」


 これがきっと最後に残った、合理性も正しさも関係ない、君の本音。


「俺の間違いで傷ついた人たちまで、それで良かったみたいだろ!」


 それは、私にも刺さる言葉だった。


 私がいつか、君みたいになれて、自分の力で誰かの力になることが出来るようになって。私は変われたんだって、そのキッカケになったんだから、間違えたことにも意味があったって。


 私がつけた親友の傷まで、私が勝手に意味があったんだなんて割り切ったら。それで良かったんだなんて言おうものなら。私はきっと、私を許さない。


 でも。小川さんが私に言ってくれたんだ。


「だからって、君が、傷ついた人を生んでしまったことが間違いだったって言うために、君のこと全部間違いみたいにしちゃったら、私が君に救われたことまで、間違ってるみたいになる」


 君の心に波紋が浮かんで、覆い尽くそうとする自責の念を、優しい色が押し返していく。


 塗り返せ。そう強く念じながら、私も床に膝をついて、君の手を取る。


「何回でも言うよ。私は、九十九くんと出会えて幸せだよ。君にたくさんのものをもらえて、嬉しかったんだよ。救われたんだよ。それが全部、間違いだったみたいに言わないでよ」


 いつからかは分からなかったけど、気づくと君は泣いていた。気持ちが涙になって溢れ出していた。


「九十九くんの優しさは、私の道標なの」


 九十九くんは私の肩に頭を預けて、寄りかかるように泣いた。私も背中に手を回して、抱え込むようにして泣いた。君が少しでも救われるように。溢れ出した君の全部を、こぼさないように。


 お互いの流した涙に含まれていた感情は、混ざり合って一つの結晶になった。


 罪の意識も自責の念も、消えてはくれなかったけれど、それだけじゃないたくさんの思いが、寄り添うようにマーブル模様を作っている。


 溢れる感情を流しきった九十九くんの心は、いつの間にかまた透明な箱になっていて、その中にはすでにいろんな結晶があった。


 これまで生きてきた中で、いろんな人と想いを交わし合って作ってきたものなのだろうと、なぜだかすぐにわかった。


 私と一緒に作ったマーブル模様の結晶も、そこに一緒に仕舞われていく。宝物のように、ゆっくりと大切に。


 やっと、届いたよ。九十九くん。

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