幸せな思い出、そして

レンズの向こうにミステリアス

第61話 山吹色の撮影ツアー

 時は遡り、七月のこと。期末テストもすっかり終わって、もう夏休みを待つだけという時期。それは、完全な気まぐれだった。


 短縮授業で空いた午後を潰すように、普段の通学路と真逆の道へと踏み入った。いつもと違う道で、いつもと違う景色を見てみたくなったのだ。どうせ寄り道するのなら、大きく回ってみるのもいいだろう。時間だけはある。


 こんな風に行き当たりばったりの思いつきで行動することは、私にはよくあることだった。その結果、迷子になることも。


 先月、体育祭前に黒猫を追いかけて猫の集会場を見つけ出したときのことを思い出す。あのときも行き当たりばったりの行動で迷子になった。九十九くんと出くわしたことで無事に帰ることができたけど、きっと一人だったらもっと時間がかかっていただろう。


 だけど、あの時あそこでした体験や交わした言葉は、とても大切なものだから。あの猫を追いかけなければよかった、なんて思ったことは一度もない。


 寄り道には、そこでしか拾えないものとの出会いが待っているのだ。今日ももしかしたら、そんな何かとの出会いを心のどこかで期待していたのかもしれない。


 だから私は今日も行く。道端の花を見て、不思議なお店や建物を見て、空を見上げて。ほんの少し、帰り道にも気を配りながら。


 きっとそこに、少しだけ特別な何かがある。



---



 そうして歩き始めて、十分くらいだろうか。今日の出会いは、思ったよりすぐ近くにあった。


「進藤くん」


 道端にしゃがみ込んでカメラを構えていた彼は、クラスメイトの進藤くんだ。


「あれ、人見さん? どうしたのこんなところで」


 彼は、お散歩中の犬を撮らせてもらっているようだったが、私に呼びかけられてこちらに気がつくと、飼い主さんにお礼を言って、こちらに歩み寄ってきた。


「お散歩。進藤くんは、部活?」


「うん。学校内で撮れるものは限られているからね。たまにこうして敷地外にも出ているんだ」


「一人で?」


 彼の所属している写真部は、それほど大人数ではないけれど、ある程度人数がいたはずだ。その割には、周囲に他の部員がいるような気配はしない。


「今日は一人だね。たまに先輩と一緒のこともあるけど。うちは自由だからさ、単独での部活動とオフでの趣味の撮影とには正直大きな差はないんだよね。放課後だと余計に」


 確かに、その二つの差を述べろと言われても私には分からない。


 それでいいのだろうか、と思わないでもなかったが、行動に融通がきくのはきっといいことだと思う。のびのび活動出来るからこそ得られるものもあるはずだ。


「今日は、どんなものを撮るつもりなの?」


「コースはなんとなく決めてるけど、被写体は特に決めてないよ」


 そこまで言って、彼は閃いた! という心をした。頭の上に電球マークでも浮かんでいるような顔で、私に提案する。


「よければ人見さんも一緒にどう? 写真」


 こうして私は、進藤くんの撮影ツアーに同行することとなった。



---



「んー、なるほどねぇ」


 通学路の反対側にしばらく進むと、大きめの川があった。その川沿いのベンチに腰掛けて、進藤くんは私がここに来るまでに撮った写真を見てくれている。


 道端に寝転ぶ野良猫、コンクリートの隙間から力強く生えていた花、公園で仲睦まじく休憩する老夫婦、お母さんに甘えて駄々をこねる小さい子ども。


 何か気を引くものを見つける度に、私はシャッターを切った。その度に意図を汲んで、進藤くんはカメラの設定や構図を考えてくれた。


 私はちゃんとしたカメラを持っていないのでスマホのカメラなのだけれど。進藤くん曰く、最近のスマホのカメラは性能が良いそうで、カメラアプリに搭載されている機能の使い方を覚えたりシャッター速度や感度の設定の仕方を覚えたりすれば、雰囲気のある写真を撮ることも出来るそうだ。


 私なんて、シャッター速度だとか感度だとか、そんなものを設定できる機能があることすら知らなかった。


 そう言うと、進藤くんは笑った。曰く、私の使用している機種が優秀なのもあるらしい。親と同じ機種にしただけなのだけれど、こんな所で役立つとは。ありがとうお父さん。


「うん、やっぱり、人見さんはあまり設定をいじらない方がいいね」


「そうなの?」


 進藤くんに言われるまま何度か設定をいじりながら撮ってみて、ちょっとの変化でまるで印象が変わるのが面白かった。なので、私にピッタリの設定を考えてくれるというのを結構期待していたのだけれど。


「カメラは、いろんな撮り方や表現が出来るもので、パソコンでの加工まで含めて作品とすることも普通にあるんだけどね」


 進藤くんは、私のスマホを触って、これまでの設定を元に戻しつつ、でも少しだけ変えている。


「僕が思うに、人見さんの視点は十分特別だから、変に何かを表現しようとするより、見えている世界をそのまま切り取る写真本来の撮り方が合っているんじゃないかな」


「そうかな」


 はい、と返された自分のスマホで、これまでに撮った写真を見返す。自分では、あまり特別なようには見えなかった。写真は、私が感じ取れる感情を写し取ってはくれない。記録として残してはくれない。


 私が撮った写真は、進藤くんの言うような特別があるようには見受けられなかった。目に入ったものをそのまま撮っただけのような、普遍的な写真に見える。


 進藤くんが撮ったものも見せてもらったから、比べてしまって余計にそう感じるのだろうか。


「ハジメに目をつけた時から思っていたよ。君は目の付け所が違うって」


 私はそれに、なんて答えたらいいのか分からなかった。私は〝感覚〟がなければ、九十九くんのことを気にしていたかどうかは分からない。少なからず、彼の心が見えないことは影響していると思う。


 だけど、それ以上に、私は彼の優しさに触れたから。だから彼を気にしているのだ。それは私の目の付け所ではなくて、彼の人柄の影響なのだと思っている。


 きっと、進藤くんも。


 進藤くんのイメージカラーは、と聞かれれば、出会った当初であれば、私は黄色だと即答していたと思う。


 喜怒哀楽で言えば喜や楽の感情を振りまいて、溢れんばかりの好奇心の赴くままに、誰にでも、何にでも関わろうとする彼の心はずっと鮮烈な黄色に彩られていた。

 ちょっと奔放すぎるところもあるけれど、邪気や悪意を感じさせない彼を好ましく思わない人は、きっとそうはいない。


 でも、今は。まるで違う、ということはないけれど、今、彼のイメージカラーを答えるのなら、私は山吹色と答える。以前よりも少し落ち着いた、品のある空気を感じるようになった。それは、きっと。


「周りの物を、舞台装置か何かだと思っているようなら」


 私がそう言うと、進藤くんの表情が固まった。


「春に、九十九くんにそう言われたから? なんだか少し、大人になったね。進藤くん」


 君もきっと、そうなんじゃないかなって、思っているよ。九十九くんと関わって、彼に触れて、自分を見つめ直して。そうやって、手に入れたものがあるんだよね。元々自分が、特別だったのではなくて。


「……やっぱり君は、目の付け所が違うね。ちょっと怖いくらいに」


「それは心外」


 わざと膨れて見せると、ははははっ、と高らかに彼は笑った。これまでと変わらないように。


 そんな風に笑ってくれるから、安心できた。最近、なんだか少しだけ彼が私と九十九くんを避けているように感じるのは、気のせいだろうと思えたから。



---



 写真は切り取るものだと思うといいよ。君に見えてる世界を切り取って、記録して、形に残す。誰かに伝えるために。


 進藤くんは、そうアドバイスしてくれた。それから、言われた通りに撮ることを意識した。私に世界がどう見えているか。どの瞬間をどう切り取るか。それを、誰に見せるのか。


 そう考えるようになってから、世界の見え方が少し変わった気がした。私の目に映る世界も、カメラ越しの世界も。


 伝えたい相手の顔が浮かぶだけで、なんだかカメラを覗くのが楽しくなった。


 まあ、スマホのカメラなのだけれど、それでも。


 例えば、かわいい物がよく目に入るようになった。その時私は、小川さんのときもあるけれど、大体は大野さんの顔が浮かんだ。こんな風に取ってみたら、大野さん喜ぶかな。そんな風に、大野さんの喜ぶ顔を思い浮かべながら撮ってみると、なんだか素敵な写真に思えた。


 品のある綺麗なものや景色は、小川さんの顔が浮かんだ。小川さんならこんな絵にしてくれるかな。そんな風に、小川さんの作品になることを意識して撮ると、これまた情緒のある写真に見えた。


 それ以外の、なんだか面白いものや、よくわからない変なもの。ぱっと見地味で目立たないけれど、よく見ると不思議な魅力を感じるもの。そういったものは、九十九くんの顔が浮かんだ。


 何だこれ、って困惑する彼の顔を思い浮かべながら撮ってみると、とてもユニークな写真になった。そういった写真を見ると、進藤くんは快活に、心の底から愉快そうに笑った。


 ちなみに彼のお気に入りは、何かの工房らしき建物の前に置いてあった、カエルとゾウが融合したような、奇妙な生物の置物の写真だ。


 そんな感じで、その日は進藤くんとの撮影ツアーを満喫した。彼のお陰で道に迷うことなく、無事に帰り着くことも出来た。


 その日からときどき、私は散歩に出ては私の視点で写真を撮って回るようになった。見せたい誰かの顔を、思い浮かべながら。


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