第62話 魅惑の冬紗先輩
十二月頭。私は今日も、放課後に撮影散歩をすることにした。
夏に進藤くんに撮り方を教えてもらってからというもの、ときどきこうして散歩に出ては気ままに写真を撮って、気に入った物があれば見せたい相手に画像を送って見せるのだ。
本格的に写真を撮るのが楽しくなってきたのは、文化祭を過ぎてスマホの中のアルバムが潤ってきてからだった。
それまでも楽しいことは楽しかったけれど、行き先の候補が特にあるわけでもなくて、出かけても収穫が少ないことも度々あった。
夏休みにも何度かは出掛けたけれど、暑い中長時間歩き回るのもあまり得意ではなくて、なかなかのめり込むというほどにはならなかったのだ。
最近はすっかり冷え込んできたが、暑いよりはまだ耐えられる。写真を撮るのも楽しくなってきたし、今日は目的地もある。
文化祭の後、ちょっとした機会があって九十九くんと行ったデートの日。
彼は、体育祭のときに私が人の多い所が苦手と言ったのを覚えていてくれたようで、繁華街から離れ、静かに楽しめる場所に連れて行ってくれた。
その中の一つが庭園だった。季節にあった花々や趣のある建物を見ながら散策して、お店で和菓子を食べたり、ソフトクリームを食べながらベンチでゆったり過ごしたりした。
なんだか時間がゆっくり流れていくようなあの感覚が、とても好ましくて。他にもいい場所があったらまた誘ってみようかとこっそり画策していたのだ。
ついこの間、丁度いい距離にこの間とはまた別の庭園を見つけて、入場料も安価だったので、今日は下見ついでに写真を撮りに行くことにした。
スマホを開いて、目的の庭園のホームページからダウンロードした電子パンフレットを見る。今の時期に見られる植物の一覧を見ているだけで、なんだかワクワクしてきて。
私は足早に、目的地へと向かった。
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目的地に着いてわずか五分。まだ有料エリアにすらたどり着いていないというのに、私は道端にしゃがみ込んで、うんうんと唸っていた。
この間、今日のための練習として、どの値をどう弄ればどんな写真になるのかを把握しようと、カメラアプリの設定を弄っていろいろ試行錯誤した。
その結果、なんとなくそれぞれの効果を把握することは出来たのだけど、元の設定値に戻すのをすっかり忘れていたのだ。
そして今、改めて元に戻そうとしてみると、元の設定値がわからない。この前何をどう弄ったのかも、正確には覚えていない。
一応オートモードにすれば普通に写真は撮れるが、せっかく進藤くんに設定してもらったのだ。状況に応じて多少変更を加えることはしても、デフォルトはあの設定がいい。
記憶を頼りにスマホに向かって格闘すること数分。
「どうかしたの?」
声をかけられたので振り返ると、そこには美女がいた。
私のただ黒いだけの髪とは違う、艶やかな長い黒髪は後ろでひとつ結びにされていて、前髪は上げて横に流されている。自然と見える顔のラインがとても美しく、白い肌と黒い髪のコントラストや左の目の下にあるほくろがなんともセクシーだ。
大人だ。大人のお姉さんだ。思わず呆気にとられてしまうほど色気のある大人のお姉さんだ。
よく見れば涼し気な顔立ちにはどこか成熟しきらない幼さが残っていて、私と同じ制服を着ているので、大人のお姉さんと言うほどの歳ではないのだろうけど。
しばらくそんなことには気が付かないくらい、私は魅了されていた。
「あの、大丈夫?」
声までもが鈴を転がすような美しい声で、聞いているだけでなんだか癒され……いや、違う。返事をしなければ。
「だい、大丈夫、です」
「スマホ、落としちゃってるよ」
いつの間にか私の手の中から逃げ出していたスマホを、代わりに拾い上げてくれる。
美人にお手数をおかけしてしまった、とあわあわしている私をよそに、彼女は画面を見て、不思議そうな感情をした。
「ごめんね、設定中だった?」
「あ、えっと、この前、勉強のためにちょっと弄ったんですけど、戻し方が分からなくなってしまって」
初対面の相手に困っているのだと伝えるのは、本来であれば気が引けるのだけれど。混乱中の私に言葉を選ぶ理性は残っていない。
「そっかそっか。元の設定値は分かる?」
「写真部の友達に設定してもらったので、こういう意図で設定したよ、って解説してもらった内容は覚えてるんですけど」
「写真部の? なんて子?」
「進藤くんです。一年D組の」
「愁君に?」
進藤くんは顔が広い人だけれど、ある程度まで仲良くなったらそこで線を引いて、それ以上は踏み込まないタイプの人だ。そんな彼を下の名前で読んでいる人は初めて見た。
「お知り合いですか?」
「もちろん。だって私、写真部の三年だから」
私に合わせてしゃがみ込んでくれていた先輩は、立ち上がり、こちらに手を差し伸べながら名乗ってくれた。
「
一緒のベンチに腰掛けながら、私は冬紗先輩に、進藤くんが教えてくれたことを、なるべくそのまま伝えた。
こういう風に撮れるように、ここの設定をちょっとこういう風にするね。という形で伝えられたそれは、初心者の私がイメージを掴みやすいように噛み砕かれた言葉で、実際に自分で再現するのは難しかったのだけれど。
先輩は、その噛み砕かれた説明と、その設定で私が過去に撮った写真を見て、ほぼ同じ設定値を算出して戻してくれた。
「すごい……!」
「ふふふ。これでも私、先輩だからね」
自分でもわかるくらいキラキラとした目で、すっかり元の設定に戻ったスマホを掲げて仰ぐ私に、先輩は得意げな顔をする。
綺麗な顔立ちや品のある雰囲気にどぎまぎしてしまったが、話してみると、冬紗先輩はとても話しやすい気さくな人だった。
「ありがとうございます、冬紗先輩」
「いいのいいの。それにしても愁君、粋なことするね」
「そうなんですか?」
粋なこと、というのは設定の仕方のことだろうか。結局、感覚で把握するだけで詳しい知識の勉強はおろそかにしてしまったので、私にはよくわからない。
「一透ちゃんね。写真を見る限り、色とか光とかの加減やバランス、それに、なんていうか、被写体の魅力を掴むセンスが凄く良いの」
先輩は、私のスマホのアルバムを見ながら、にこやかにそう語る。私はというと、褒められてちょっと面映ゆい。
「愁君には、私がみっちり仕込んでるからさ。知識とか、写真を見る目とか。その気になれば、一透ちゃんをコンクールで賞取れる子にも出来ると思うんだよね」
上手くプロデュースすればだけど、なんて笑いかけてくれる先輩の前で、私はもう顔を真っ赤にさせてしまっていることだろう。顔が熱い。持ち上げるのはほどほどにして欲しい。
そんなことは、とか細い声でかろうじて謙遜してみるが、先輩はそんな私を見てクスクスと笑いながらも、本心だよ、と緩める気配を見せない。
「だけど、愁君は人に評価されるよりもずっと大切な、一透ちゃんだけの魅力を選んでくれたんだね」
「私だけの魅力、ですか?」
「見せたい相手がいるんでしょう?」
先輩は、きちんと見抜いてくれていた。届けたい相手以外には伝わりにくい写真だと思っていたのだけれど、それでもやっぱり、分かる人には分かるものなのだろうか。
「一透ちゃんって、随分素直に写真を撮るんだね。どんな人に向けているのか、どんな気持ちになってほしいのか、伝わってくる。きっとこれは、私達が変に手を加えたら消えてしまう魅力なんだろうね」
冬紗先輩は、慈しむような、それでいて、どこか羨ましそうな感情で私の撮った写真を見ている。
そんな風に見られたら恥ずかしい、という気持ちはまだあったけれど、でもそれ以上に、私は気になってしまった。
そんな先輩は、一体どんな写真を撮るのだろう。
「冬紗先輩は、どんな写真を撮っているんですか?」
そう聞くと、私の気のせいでなければ、一瞬だけ。先輩の心はとても切ない色と匂いがした。
「一透ちゃん」
私を呼びながら立ち上がる先輩を見上げる私の目は、心配の色をしていなかっただろうか。
「せっかくだから、一緒に見て回ろっか」
先輩が差し出してくれた手を取る、私の手は。はい、と返事をする、私の声は。
震えては、いなかっただろうか。
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