お母さん襲来―②

 美術室は部活動中ということもあって、まさに美術室、という様相だった。デッサンや彫刻をする生徒、イーゼルに立てかけたキャンバスに筆を走らせる生徒、絵の具の匂い。


 なんだか懐かしい。私が高校生の頃も、こんな風に活動する友人がいた。あの子、今はどうしてるかしら。


 教室の入口から中を覗いて、そんな風にノスタルジーに浸っていると、一人の女の子が声を掛けに来てくれる。


「こんにちは。あの、一透ちゃんでしたら、こちらには……」


「こんにちは。ううん、あなたに会いに来たのよ、小川ちゃん」


 わたしに? と小首をかしげる様子が、小動物然としていてあざと可愛いらしい。うちの娘もこういう可愛げを出せないものかしら。


 ……無理ね。


「部活中ごめんね。お友達から直接、一透の普段の様子が聞きたかったの。小川ちゃんから見てどう? あの子、上手くやれてる?」


「ああ、なるほど……一透ちゃんなら、大丈夫だと思いますよ。誰にでも優しいし、真面目だし。……ちょっと、変なことする時もありますけど」


 最後、呟くようにこぼした一言は聞き逃すには惜しい。


「あら、変なってどんな?」


「わたしの口からは、なんとも」


 酷い呆れ顔。あの子、何してるのかしら。


「あとで先生から聞き出さなくちゃ。ねえ、ついでにちょっと、見学してっていいかしら」


「勿論どうぞ」


 招き入れられるまま、小川ちゃんの後ろを歩く。どの子も伸び伸び活動している様子で、なんだか素敵な場所。


「小川ちゃんは、水彩画を描いているのね。素敵な絵……ねえ、ここ。ちょっと暗い色で影を差してみたら引き締まるんじゃない?」


 あまりに素敵な風景画だったので、つい口を挟んでしまった。驚いた顔で見上げられる。余計なお節介だったかしら。


 かと思えば、くすくすと笑い出す。


「すみません、一透ちゃんのセンスがいいの、お母さん譲りなんだなって思って。一透ちゃんにもたまに見てもらって、アドバイス貰ったりしてるんです」


 なるほど。あの子のしそうなことだ。私は昔ちょっとだけ齧ったことがあるだけだけど、あの子のそれはきっと、例の〝感覚〟ありきだろう。私由来じゃないのだけど、そう言われると嬉しいものだ。


「この絵も、あの子が口を出したところがあったりするの?」


「ありますよ。こことか、こことか――」


 あのおバカ。人の作品だっていうこと分かってるのかしら。いくらなんでも口出しし過ぎじゃないの。


「ごめんね、娘が口うるさくて。話半分でいいからね」


「いえ、全然。勉強にもなりますし、自分の表現を見つめ直すきっかけにもなってるので、助かってます」


 小川ちゃんはそう言いながら、絵を仕上げていく。私のアドバイスも、ただそのまま聞き入れるのではなく、飲み込んで消化したようだ。私のイメージより、ぐっと良くなる。


 なるほど、これは口出ししたくなるわけだ。


「さっき大野ちゃんとも話したけど、本当に、娘の友達があなた達で良かったわ」


 照れくさそうに笑う顔を見ていると、一層そう思う。


「そろそろ行かなくちゃ。ニノマエくんにも会いたいし。小川ちゃん、ニノマエくんがどこに居るかわかる?」


 失言をした。何がどうなのかはわからないけれど、それだけはわかった。和やかに話していたはずの小川ちゃんの顔が、警戒に染まる。


「ニノマエくんのこと、誰に聞いたんですか?」


「娘からよく聞いてるわ。良くしてもらってるって」


「嘘ですよね」


 こちらがわからないところで、何かを明確に見抜かれている。これ以上余計なことは言わない方がよさそう。


「ごめんなさい。大野ちゃんから聞き出したの。どうしても一目会いたくて」


「会ってどうするんですか?」


「あなたと同じよ。あの子と仲良くしてくれてありがとうって、伝えたいだけ」


 むっとした顔で私を睨みながら沈黙する。嘘を吐いちゃったから、当然の態度ね。


「どこに居るかは知らないですし、知っていても、わたしからは言えません。わたしは、一透ちゃんの友達なので」


 知りたいことは聞けなかったけれど。どこまでもあの子の味方でいてくれるなら、私にとっては、それが何よりの答え。


「嘘をついてごめんなさい。話せて嬉しかったわ。ありがとうね」


 小川ちゃんに背を向けて美術室を去る。嫌われちゃったかしら。嫌われたのが娘ではないのなら私は平気だけど、それでもちょっと、悪いことをしたな。




 あてがなくなってしまったので、一度教室の周辺を見に行く。一透とばったり出くわしてしまえばそこで終わりだが、そもそもニノマエくんが一透と一緒にいるのであれば、避けていても仕方がない。


 そっと遠目に覗いてみれば、教室の前で保護者と順番待ちをしている生徒は女子生徒だった。一透もまだ来ていない。


 であれば、さて、どうしようかしら。恥ずかしがり屋のあの子のことだ。私に存在を明かしてもいない子と居るところを私に見つかりたくはないだろうから、一緒にはいないと思うのだけれど。


 迷子になっちゃった。あるいは、娘と合流できない。という体で出歩いて、誰か声を掛けてくれる子を捕まえるか。


 あるいは、その辺を歩いている先生を捕まえて、ニノマエくんの関係者の体で一緒に探してもらうのもいいかも知れない。フルネームを知らないので、小川ちゃんにバレたみたいに、見抜かれてしまうかも知れないけれど。


 悪いことを考えながら歩く。けれど、罪悪感は感じているので、もうなるべく嘘は吐かない方向でいきたい。普通に一透を探しながら、誰か声をかけてくれたらさり気なく探りを入れるくらいでいいだろう。どのみち、そろそろあの子と合流しなければいけない頃合いだ。


「三者面談ですか?」


 方針が固まったところ。都合よく男子生徒に話しかけられる。真面目そうな子。表情に愛想はないけれど、目の奥には温かいものを感じる。


「ええ。娘を探しているのだけど……あなたは、何年何組の子?」


「一年D組です」


 あら。あの子と同じクラス。


「それはそれは。人見一透の母です。うちの娘、分かるかしら」


 分かるかしら、と口にする前に、答えは伝わってきた。見開く、というほどではないけれど、少しだけ大きく目が開く。


「……ええ。お世話になってます。呼んでおくので、先に教室に向かいましょう」


 スマホを操作しだす。手際のいい子だ。それより、連絡まで気兼ねなく出来るということは仲がいいのだろうか。もしかして。


「君が、ニノマエくん?」


 やや思案するような顔を見せて、彼は答えた。


「いえ。九十九です。九十九仁」


 どうやら別人らしい。だけど、あの子は誰とでも気兼ねなく接する割にあまり男の子と仲を深めることはないらしかった。あの子の男友達と話すのは初めてなので、この子のことも少し気になる。


「うちの子とは仲いいの?」


「仲いいですよ。あいつは、誰とでも」


 これは、どっちだろうか。煙に巻かれているのか、この子もそこまで深い付き合いではないのか。あいつ、と呼ぶ声は、そんなに無感情には聞こえないような気がするんだけどな。


「ニノマエくんて子は? あの子に良くしてくれてるって聞いてるけど、どんな子?」


「…………俺の口からは、なんとも」


 どうしてそんなに苦々しそうな顔をするのかしら。何か問題のある生徒? とんでもない不良、とかであれば流石にあの子も近寄らないと思うけど。


「娘の交友関係なんて、親が口を出すものでもないし。悪い子でなければどんな子でもいいけど。欲を言えば、あなたみたいに優しい子だと嬉しいけどね」


 だからどうして、そんなに困った顔をするのか。歩幅を合わせてくれるし、目を見て話してくれるし、いい子だけど、この子も不思議な子ね。


「あなたから見た娘は、どう?」


 ちょっとした意地悪で、あえて抽象的な聞き方をさせてもらった。同じ年頃の男の子からの意見を聞ける機会はそうない。


 ただこれは、もう少し早めに聞いておくべきだったかも知れない。


「俺は――」


「お母さん!」


 邪魔が入った。


「あら一透。いいところだったのに」


「いいところだったのに、じゃない。何してるの」


 かなりご立腹の様子だ。クラスメイトと話しているだけでも嫌なほど、恥ずかしがり屋な子だったろうか。


「案内してもらってただけよ。ついでにちょっと、世間話」


「私に連絡すればいいでしょ。ごめんね、九十九くん。変なこと言われなかった?」


「別に」


「本当?」


 んん?


「ああ」


「なら、いいけど。ごめんね、九十九くん。ありがとう」


「いい。時間は大丈夫か」


「うん。まだ平気。でも、ここまででいいから」


「わかった」


 娘の顔。彼の顔。九十九。ニノマエ


 ……ふーん。


「なにニヤニヤしてるの。いくよ、お母さん」


「はいはい。それじゃ、ありがとうね」


「いえ」


「またね、ニノマエくん」


 最後にそう言うと、仁くんはペコリと、丁寧に会釈を返してくれた。


 バレたくないなら、あんたもあれくらい平然としていればいいのに。なぜその名を、みたいな顔してちゃ、まだまだね。

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