第76話 手慣れた行動
時間ギリギリに到着すると、やはり二人は既に待ってくれていた。
「すみません、遅れちゃいました」
「ううん、大丈夫。セーフだよ一透ちゃん」
慌てて駆け寄る私を、先輩はにこやかに迎えてくれる。進藤くんは、少し離れて何やら九十九くんと軽口を交わしているようだ。
「さて、どうする? ペア替えの前に少し休む?」
「大丈夫です。行きましょう」
言い出したのは、九十九くんだった。
「積極的だね、ハジメ君。そんなに私と二人きりになりたかった?」
「ええ」
九十九くんの瞳が、先輩を射抜く。先輩ははんなりとした笑顔でそれを受けているが、やはりその視線で、何かを交わし合っている。
「……二人も、それでいい?」
「僕は大丈夫ですよ。予約の時間に遅れても良くないですしね」
「私も、大丈夫です」
歩くのには慣れている。このくらいなら、まだ問題はない。
それに、きっと、あまり時間に余裕はない。
「それじゃあ行こっか。また後でね、二人とも」
こちらに手を振って九十九くんと歩いていく冬紗先輩を見送ってから、私達も歩き出す。
「いいの? 人見さん」
「うん。いいの」
することは決まっている。それに進藤くんを巻き込んでしまうのには申し訳ないと思うけれど、きっと彼にも必要なことだ。
「さっきは、ごめん」
歩いていたら急に謝られて、心当たりもないので首を傾げる。何のことだろう。
「そういうとこ、ハジメそっくりだね」
それは、結季ちゃんたちにもたまに言われることだ。主に、声に出さず表情で返事をした時に。
確かに彼もすることだけど、そっくり、という程ではないはずだ。流石に彼ほど愛想が悪くはないはず。
そんな不満まで表情に出ていたからか、進藤くんは私の顔を見て、はははと笑う。
「それは、あまり良い影響じゃないんじゃない? 面白いけどね」
そう言われてようやく何の話だか思い至る。さっき盗み聞きしたやつのことか。
「そんなことないよ。コミュニケーションはちゃんと取れてるから」
「二人とも、もうちょっと口に出したほうが良いと思うけどね」
ケタケタと笑う進藤くんは、それでもまだ私達のことを心配してくれているのだろう。だけど、それでいいと思う。
きっとそれも、進藤くんが私達と触れ合って得た変化だ。そしてそれは、先輩が言った通り、進藤くんが人の悲しみに寄り添えるようになったことの証明でもある。その名の通りに。だから。
「また、面白い話してね」
そんな進藤くんが一緒に居てくれたら、私達は嬉しいよ。
「年が明けても。進級して、クラスが離れても。また九十九くんに、話しかけに行ってね」
「……クラスが離れるのは、確定なんだね」
「進藤くんも文系クラスにくる?」
「ああ、そうだった。それはちょっと、成績がね……」
困ったな、という顔をしているが、内心はどこか晴れやかで、嬉しそうだった。
私達のところに君の居場所があるって思えてくれたなら、私も嬉しいな。
「次の禅問答のコーナー、楽しみにしてるね」
「次のテーマは人見さんが持ってきてくれてもいいんだよ?」
「それは盲点だった。考えてみる」
二人で笑い合う。九十九くんとはまた違う温度感だけれど、彼とこうして何気ないことで笑い合うのも、きっと私にとって大切な時間だ。
「それにしても、変なこと聞かせちゃって申し訳ないなって思ったけど、もしかしてこれは盗み聞きのこと、怒ってもいいやつかな?」
「だめだよ」
私に付き合わされて、ではあるけれど。これから君には、怒る資格を失ってもらう予定なんだから。
「進藤くんにも一回、付き合って貰わないと」
嫌な予感を隠せないでいる君を見る私は、きっと悪い顔をしている。
−−−
身をかがめ、足音を殺して歩く。植木があって身を隠しやすい面を選んで回り込んでいるからバレにくいはずだと思うけれど、鋭い二人だ。いつ何が原因でバレてしまってもおかしくはない。
「いつもこんなことをしているのかい?」
「しないよ。今回だけ」
「その割には、随分と手慣れているように思うけど」
声を潜めつつ、訝しげな視線を向けてくる進藤くんに、一体私はどんな風に思われているのだろうか。
確かに、町中で偶然九十九くんを見かけたときとかにこっそり見守ることはあるし、『今日の禅問答のコーナー』を聞くためにこっそり忍び寄ることもあるけれど。
いや、よく考えれば大差ないのかも知れない。だけど、九十九くんはともかく冬紗先輩は、さっき男子たちに同じことをしていたのだ。自分が同じことをされて嫌だとは言うまい。
私と進藤くんは、二人の会話を盗み聞きするため、九十九くん達が向かった方向にある小さな公園に忍び寄っていた。九十九くんならきっと、こんな場所を選ぶはずだ。
「ねえ、やっぱりやめにしないかい?」
「大丈夫。ちゃんと謝れば許してくれるよ」
「そうじゃなくて」
進藤くんが歩みを止める。置いていくわけにもいかなくて、私も止まる。
「僕だって、先輩がハジメに何かを求めていることも、ハジメがそれに応えようとしていることも、気づいていたさ」
進藤くんは、今までにないくらい、真剣に、苦しそうにしている。
「だからさっき、二人の時に聞いたんだ。僕じゃ駄目なんですか、って」
「先輩は、なんて?」
「ごめんね、って、ただそれだけ」
進藤くんの心が感じているその痛みはきっと、こんな〝感覚〟が無くたって、私にはわかる。
大事な人が苦しんでいるときに、自分では力になれない痛み。
「だから、もういいんだ」
「進藤くんは、それを言い訳に出来るの?」
驚愕に染まる進藤くんの目を見つめる。違うよ、進藤くん。だからなんだ。
それはきっと、酷いエゴなんだと思う。される側は、たまったものではないかもしれない。私の身勝手だと、自分でも思う。
だけど、私はそれでもやめられない。私はそれを、言い訳には出来ない。
「私は出来ないよ。だって先輩が悩んでいることを知ってるから」
先輩が言ってくれなかったから。頼ってくれなかったから。そんなことを、取り返しがつかなくなってから言い訳にするなんて、私は出来ない。
そうやって、必要もないのに自分を正当化して、先輩の痛みも、それに寄り添えなかった自分の無力も、切り捨てたりなんかしたくない。
「進藤くんは、どっちが怖い?」
君が何を選ぶのか、決めるのは君自身だ。でも、私はもう決めた。そして、君も同じものを選んでくれると、私は嬉しい。
「自分の行いが、先輩を傷つけてしまうかも知れないのと。先輩の苦しみと、自分が無関係でいることと」
私が先輩と接して先輩から受け取った心の欠片は、私だけのものだ。
君も、君だけが受け取った先輩の欠片を持っているはずだ。先輩の助けになるのは、私が持っているものより、君が持っているものかも知れない。
だって誰よりも、君が先輩の側に居たはずなんだ。私なんかより。九十九くんより。君が。
「私は、行くね」
再び歩き出す。冬紗先輩も、九十九くんも、やはりここにいた。私が歩を進めるたび、二人の声が近くなる。
ここだ。ここが一番、バレにくくて聞こえやすい。ポジションを決めて二人に意識を向けようとする私の隣には、進藤くんが居てくれた。
まだ迷いも見えるけれど、彼の心は、しっかりと先輩たちの方を向いて、これから耳にすることを、受け止める覚悟をしていた。
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