長い夏休み、その二日

第33話 レッツゴー図書館

 のそり、と起き上がる。暑い。眠い。だるい。ぼーっとする。


 部屋の隅に設置されたエアコンを見る。寝る前に設定したタイマーはとっくに役目を果たし沈黙したようだ。部屋にはかすかな冷気も残ってはいない。


 ベッドから這い出し、着替えもせずにリビングに下りる。


「おはよう」


「もう昼よ」


 私が挨拶をすると母はそんなことを返すが、今起きたのだからおはようで問題ないはずだ。


 そもそも寝起きの私にとっては、朝と言っても過言ではないだろう。だって今起きたんだもの。


 そんないい加減なことを考えながらソファに座り、だらしなく手足を投げ出す。眼の前のテレビは隅の方に十時を少し過ぎた時刻を表示している。


 あぁ、夏休みって、暇だな。



−−−



 母が茹でてくれたそうめんを食べながら今日の予定をぼんやりと考える。今日の、と言いつつもう半分は過ぎてしまっているけれど。


 夏休みになると意味もなく夜ふかしをしたり、そのまま昼まで寝てしまったりするのでよくない。そう思いつつ、結局抗えずにそんな生活をこまめに送ってしまう。別に、毎日そうというわけではない。一週間に三日から四日くらいだ。


 生活リズムは少し乱れてしまうけど、夏休みの課題は予定からズレることなく順調に消化している。


 小学生の頃、最終日に消化しきれない宿題に慌てる、という経験をしてみたくてわざと宿題を残しておこうとしたことがある。周囲の子は大体が経験しているのに自分だけ共感できないのが寂しかったのだ。


 結果として、積み上がる宿題に焦る気持ちに耐えられなくて我慢しきれず、一週間程かけて最終日に丁度終わるように片付けてしまった。


 それからは最初に立てた予定通りに進行することを心がけている。私には、ああいうのは向かなかった。


 けれども、じゃあ予定を立てたらその通りに出来るかといえば、そんなこともなく。やることがなくてつい早めに片付けてしまうのだった。


 計画通りに進める力は私はまるで身につけられていないかもしれないが、やることはやっているし、自堕落になってもいないので及第点というところだろう。お昼に起きたりはするけれど。


 今日の分の課題は夜にやろう、と今決めた。そうすれば、進めすぎて結局夏休み後半になってから暇になってしまうこともないだろうし、課題なら夢中になって夜ふかししてしまうということもないだろう。


 では夜までは何をしよう。いい加減、私も何か趣味を見つけた方がいい気がする。こういう空いた時間を持て余すことは多い。


 しかし、私は基本的にやや人に依存して生きている。何か楽しいものに出会っても、その時一緒に居た誰かとの思い出になってしまうと、あとから同じことを一人でやってもあまり楽しめないのだ。


 例えば、私は絵を描くのは好きだ。美術の授業で描いたものを小川さんと見せあったりする時間はとても楽しい。


 だけど、家で一人でわざわざ描くほど絵が好きかと言えば、そんなことはない。絵を描くことそのものより、私は友達と共有する時間が好きなのだ。


 運動もそうだ。体育の授業を友達と頑張るのは好きだけど、わざわざ特別に時間を設けて、何かの種目を頑張ろうという気は起きない。


 だから私は帰宅部なのだ。活動内容そのものにはあまり惹かれず、一緒にいたいと思う仲が良い友達が出来たときには、もう今更わざわざ入るのも、という気分になってしまっていた。


 例えば小川さんと仲良くなったのは五月の上履き事件の時で、小川さんが美術部に入部したのもあの件がきっかけだった。


 もし声をかけてもらっていたら入部していたかもしれないが、特にお声がけはなかったので、そういう運命だったのだと思うことにした。


 なんにせよ、私は一人で楽しめる趣味をそろそろ持った方がいいだろう。最近はちょっと、散歩とその先での写真撮影がマイブームになりつつあるけれど、あれは目的もなく出掛けても不発に終わりやすい。


 何か別のことを。そう改めて考えると、思い浮かぶのはやはり九十九くんの顔だった。一人で過ごすことにおいては、おそらく彼がクラスで一番上手い。


 私は今日、彼を見習って読書をして過ごすことにした。夜に行う課題は別のものの予定だったけれど、ついでに予定を少し調整して先に読書感想文でも書こう。


 丁度読んでみたい本もあった。置いてあるかは分からないが、時間はあるので探してみるのも一興だろう。


 私は昼食の後片付けを済ませてから、ようやく着替えて図書館へと出かけた。



−−−



 自動ドアの向こうは、天国だった。別に図書館でなくても、うだるような夏の日差しから逃れクーラーの効いた室内へ飛び込めば、きっと誰だってそう思う。天国はここにあった。


 本当はすぐに目的の本を探しに動き出すつもりだったが、移動だけでややバテ気味になってしまったので、飲食可能スペースへ向かい、しばらく涼を取ることにした。熱中症で倒れるなんていう体験は、もう二度とごめんだ。


 お茶を一口飲んで水筒を仕舞い、長椅子に腰掛け、特に理由もなく足をパタパタと動かしながら図書館内を眺める。必要に迫られなければまず来ない場所ではあるけれど、いつ来ても変わらない雰囲気で安心する場所だと思う。


 いや、展示コーナーの内容ばかりは流石にいつも同じというわけでもないか。夏休みというだけあって、自由研究特集なるものをしているようだ。


 やはり化学系の本が多いものの、趣味の棚に置かれているような雑誌や、文庫本まである。どういう内容なのだろうか。


 うちの高校の宿題では自由研究は出ていないのでもうお世話になることはないだろうけど、毎年やってくれているのだとしたら、中学生の頃に見に来てもよかったな、と思う。


 一番記憶に残っている私の自由研究は、中学一年生のときの色の影響を調べる研究だ。色は人の感性に大きな影響を与えるらしいと聞いて、その通りの反応があるか夏休みを通して調べたのだけれど、これがまた過酷だった。


 カラーフィルムで作ったお手製の眼鏡をかけ、数日ずつ一色に染まった世界を切り替えて過ごした。その影響を、体温や脈拍、食事の量などのデータを取りながら比較するのだ。


 私は影響を受けすぎてやや情緒不安定気味になってしまったのに、手伝いを頼んだ母がケロリとしていたのが納得行かず、大きすぎる個人差に信憑性を確保できなくて悔しかった思い出がある。


 あんたが感じ易すぎるのよ、と勝ち誇る母の顔は今でも鮮明に思い出せる。他に手伝いを頼んだ、当時まだ仲の良かった親友も一週間でギブアップしたので、私だけが特別と言うこともないだろう。


 ふと彼女の顔が浮かんで、胸がチクリと痛む。私の〝感覚〟が生まれるきっかけになった少女。私のせいで傷ついて、離れていってしまった女の子。


 私の胸にあった母へのちょっとした怒りが、後悔に塗りつぶされていく。


 彼女とは仲が良くて、沢山の時間を共に過ごしたので、私の思い出には、彼女の影が色濃く残っている。それを思い出すたびに古傷が痛む。


 だけど、それでいいと思う。彼女を思い出さなくなれば。思い出しても、胸が傷まなくなれば。それはきっと、私が自分の罪を忘れたということだ。そっちの方が、ずっと怖い。


 私は長椅子から立ち上がると、検索機に向かって歩き出した。


 失敗も、後悔も、罪も。背負って生きていくものだと思っている。


 なかったことにしたり、目を背けるのでもなくて。押しつぶされるためにあるのでもなくて。


 ちゃんと抱きしめながら、前を向いて生きるのだ。今日は後悔を思い出すために図書館に来たわけではない。目的を果たさなくちゃ。

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