第32話 朝、二人の教室

 彼と教室に二人になれるであろうタイミングを見計らって登校する。HR開始の、三十分前。


 思った通り。ガラリとドアを開ければ、教室の真ん中。いつもの席に、九十九くんはいた。


「おはよう、九十九くん」


「ん」


 いつも通りすぎる返事に、何だか安心してしまって頬が緩む。伝えきれなかったことを改めて伝えよう、と意気込んでいるのが馬鹿らしくなりそう。


 だけどどうしても、伝えたい。彼の左隣の席に荷物を置いて、彼に向き直る。


「九十九くん。この間は、ごめん」


「もう、いいのか」


「うん。ばっちり」


 体調はもう平気。でも、彼には心配をかけてしまった。そして、それだけじゃなくて。


「……ごめん。約束」


 あの時。何についてのごめんなのか伝えそこねた。九十九くんは私との約束を果たすためにあんなに頑張ってくれたのに。見ていない所でも私の代わりに頑張ってくれたのに。


 私は、何も――。


「優勝は、したぞ」


 自己嫌悪に沈みそうな私の思考を、彼の言葉が遮った。


「……うん」


「ちゃんと果たした」


「うん」


 ああ、そうだ。また間違えてしまった。ごめんなさい、よりも。あの時伝えられなかった言葉。


「うん。ありがとう」


 君に、伝えたかった言葉。


「約束。果たしてくれて、ありがとう。九十九くん」


「お互い様だ」


 いつものように文庫本を読みながら、視線も寄越さないけれど。「別に」でも「いい」でもなくて、お互い様だと言ってくれる。


「そうかな」


「ああ」


 きっとそうだね、九十九くん。倒れてしまったのは、功績じゃあないけれど。玉入れのとき、私のしたことの結果だって言ってくれた。きっと、借り人競争も。


 私、頑張ったって、言っていいんだよね。


「九十九くん」


 もっと、君と話したい。君のことが知りたい。


「連絡先、教えて」



−−−



「ありがとう、九十九くん」


 スマホの中には、交換したばかりの九十九くんの連絡先。こんな気持ちは、何だか久しぶりだ。小さい頃のクリスマスの朝、サンタさんからのプレゼントを手にしたときみたい。


 早速彼にメッセージを送る。


『九十九くん』


『私が倒れた時、なんて言ってくれたの?』


『私が一回、起きた時』


『覚えてないの』


『九十九くん?』


『おーい』


 スマホの画面に夢中になりすぎて、既読がつかなくなるまで、九十九くんがスマホを閉じていることに気が付かなかった。


「九十九くん、読んで」


 私が抗議すると、渋々といった様子でスマホを開き、文字を打ち込み始める。私はそれを確認してから、自分のスマホに視線を戻す。


『何も』


 そんなはずはない。


『うそ』


『何も』


 これは意地でも話さない気だな。


 ならばと私も、仕返し、ではないけれど。少しだけ、からかっても許されるかな。


『九十九くん』


『ほっぺにチュー、する?』


『約束守ってくれた、お礼』


 突然頭に、刺激。


「いたい」


 彼のいる方へ前かがみになって、夢中でスマホに向かっていたのが仇になった。


「いたいよ、九十九くん」


 涙声で訴えても、しばらくその痛みが止むことはなかった。


「いたい」



−−−



 夜。寝る前にふと思い出して、彼にメッセージを送る。


『九十九くん』


《写真を送信しました。》


『集合写真、あげる』


『もう、つむじ押さないでね』

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