第44話 音

 文化祭までの時間は着実に過ぎていく。今日の放課後も準備で居残りだ。


 私は今、内装用のパーツを作る作業をしながら進藤くんと九十九くんの会話に聞き耳を立てている。


「それでさ、結局自分で拾ったんだけど。向こうのほうが近いんだし、落とし物くらい拾ってくれてもいいと思わない?」


「人のものに触れるのに抵抗を感じる気持ちも、分からなくはないがな」


「ハジメって、潔癖症だったっけ?」


「ああ。俺が触れると、菌がつくからな」


「ハジメ菌、ってこと? 感染するとどうなるの?」


「偏屈になる」


「はははっ、致命傷だね」


 そこまで聞くと、私は彼に近寄っていって、彼の手に触れる。


「なるかな?」


「作業しろ」


 叱られた。すごすごと持ち場に戻りながら、後ろから進藤くんの「最近ハジメ卑屈だけど何かあった?」という声を聞いた。


 私には、九十九くんが卑屈になっているのかどうか分からなかった。だけど、確かに進藤くんとの会話を思い返せば違うとは言い切れない。


 もし本当にそうなら、それは、彼には見えていたからなのだろうか。


 私には、見えていなかった。ちゃんと見ているつもりでいたのに、何も見えていなかった。


「そんなわけねえだろ!」


 クラスの前の方から、怒鳴り声が聞こえてきた。声の主は大野さんだった。


「予算はちゃんと全部足りるように計算してやりくりしてんだ! 話聞いてませんでした、間違えちゃったので買い直します、なんてやってたらいくらあっても足りるわけねえだろ!」


「なにそれ、そっちの伝達ミスまでこっちのせいにしないでよ。そんなこと言ったって他にやりようもないんだし」


 具体的な事情は分からないが、行き違いでトラブルが起きてしまったのだろうか。揉めている相手は、相沢さんだ。


 相沢さんは、いかにも女子高生、といった感じの子で、体育祭の時、九十九くんと恋人同士なのだろう、と私に言ってきた子でもある。


「それが間違えたやつの言う事か!」


「良かれと思ってやったことなのに、何でそんなこと言われなきゃいけないワケ!?」


「落ち着いてよ。何があったの?」


 私は、少し遅れて止めに入る。なるべく冷静でいようとしてるけど、声が震えてしまった。


 心臓がバクバクと激しく動く。気持ちが悪い。落ち着け。私まで慌てていてはどうにもならない。


 落ち着け。


「こいつが!」


 声を荒げながら相沢さんを指差そうとする大野さんを、駆け寄ってきた小川さんが宥めてくれる。相沢さんは、バツが悪そうに斜め下を見て俯いている。


 大野さんに落ち着いてもらって話を聞いた所、相沢さんは装飾用に取っておいた布地を衣装のアクセサリーを作るために使ってしまったらしい。


 材料は使い道が決まっているものは用途ごとに別々に分けてある。大野さんは、それを通達していたはずなのに相沢さんが間違えてしまったことを怒っているのだ。


 相沢さんは謝りつつ新しい布地を買ってくると申し出たのだが、それで先程のように怒られてしまったので、ヒートアップしてしまったらしい。


「あたしはきちんと通達したはずだ」


「聞いてないし」


「ああ!?」


 話を聞いている間も、油断すればすぐにまたケンカを始めそうになる。不貞腐れたような言い方をする相沢さんも良くないけれど、大野さんもヒートアップし過ぎている。


 どうしよう。どうすればいい。


「相沢」


 気づくと、九十九くんが近くに来てくれていた。なに? と睨めつける相沢さんの視線は鋭いけれど、意に介している様子はなく、


「ありがとう」


 そんな風に、彼が場の空気にまるでそぐわないことを言うので、全員硬直してしまった。


「衣装、いいと思う。ただ、それで足りなくなった分の布はどうにかしなきゃいけない」


 言われたことの処理が追いつかない相沢さんを置いて、今度は大野さんに向き直る。


「悪い、大野」


 どうして、彼が謝るのだろうか。


「お前最初の方、放課後に内装、外装、衣装で材料分けて整理してくれたろ。ただそれを、俺達は自分たちの担当分しか聞けてなかった。他のところの分を把握できてなくて、その時もう部活に行って聞いてなかったやつもいただろうから、多分、ごちゃ混ぜになってるんだと思う」


 そうかもしれない。私も内装担当だが、他のところが材料をどう管理しているかわからないし、教室の隅にまとめてある内装用の材料に見覚えのないものがちらほらあった気がする。


「結局伝達ミスじゃん……」


「違う」


 わざと聞こえるように呟いた相沢さんの声を、彼は即座に否定する。


「俺達全員の連携ミスだ。取り返そう」


 彼がそう言って、一度作業を止めて材料の整理を行うことになった。


「あと、念のため予算もだ。さっき塗料とかの消耗品を買ってきたやつがいたはず。予定外の消費が起きてないか確認した方がいい」


「はぁ!? なんで何も言わずにそんなことしてんだよ!」


「悪い」


 これも、彼がしたことではない。寧ろ気づいただけ凄いものだ。私は全然気がつかなかった。なのに、怒る大野さんに彼はすぐに謝った。


「違和感は感じていたのに、原因を突き止められなかった。どこまでがお前が関知出来ていることで、どこからが想定外なのか分からないまま、相談も出来なかった」


 彼は、何もしていなかったことを謝った。


「予算の方は、俺が使用状況を確認して報告する。材料の確認の方、任せていいか?」


「……わかった」


「頼む」


 彼は全然関係のないところにいたのに、ひょっこり顔を出して、誰より当事者みたいに言うものだから、誰も、何も言えなくなってしまった。



−−−



 予算で落とすのであれば、領収書を貰ってこなくてはならない。そうして集まった領収書を見て品目と金額を整理するだけだからと、向こうは彼一人で進めている。


 私達は、手分けして材料の整理を勧めた。とはいえ、すべて正確に把握できているのは実行委員の二人だけなので、手伝っても確認を取らねばならず時間がかかる。


 作業に取り掛かったときから、どこからか、微かに音が聞こえ始めた。


 材料は、内装、外装、衣装の区別がごちゃ混ぜになっているものがいくつか見つかった。見つかるたびに、音は少しずつ大きくなった。どこから鳴っているのかは、すぐにわかった。


 大野さんの方へ視線を向ける。強く張った細い糸を引き絞るような、キリキリという高い音。人の心が追い詰められて、張り詰めていく音。


 大事な友達から聞こえてくる音。


 かつて、私の〝感覚〟が初めて捉えた、私の親友も、鳴らしていた音。

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