第128話 進まぬステップに強制イベント

 私の方から、触れていいと言った。だから触れたのに、私は飛び退いて逃げ出した。だから、やってしまったと思った。酷く反省して、落ち込んで。


 だというのに、次の日にはもう平気で話しかけに来る。


 一緒に片付けもする。代休が明けてもそれは変わらず、ニコニコしながら話しかけてきたかと思えば、控えめに触れて逃げていく。


 試しにこちらからコンタクトを取ろうとすれば、やはり飛び上がって逃げていく。


 もう訳が分からない。ここ最近の九十九くんの心情は、そんな感じだったらしい。


 呆れ半分、心配半分の間宮くんからそれを聞き出した時、彼は言った。


「まんま小平と同じ状況なのにな?」


 私は気恥ずかしくて、彼の顔が見れなかった。私達の劇のヒロイン、小平弥生が自分の恋心に気づいたシーンと、確かに似た流れだなと思う。彼女の場合は言葉で、私の場合はスキンシップだったけれど。


 そういえば彼女も、気持ちに気づいてからは主役の皇を避けるようになっていたっけ。自分では釣り合わないからって。


 それが、皇が演技を介して本当の自分を出していけるようになっていく姿に背中を押され、最後には前向きになれていた。


 間宮くんから九十九くんの事情を聞き出したあと、嫌じゃなかったと伝えたくて何度か話しかけてみたけれど、彼と居ると心がいっぱいになってしまって、なかなか伝えられなくて。


 似た境遇にあった彼女なら何か分かるだろうかと、鈴鹿さんに相談してみた。


「えぇ……いや、私は小平であって小平弥生ではないんですけど」


「そこをなんとか」


 文化祭の出し物で、ただの劇だから。彼女の演技は、そう割り切っている演技にはとても見えなかった。


 それに、小平弥生は相沢さんが彼女に合わせて役を調整した結果生まれたキャラクターでもあるのだ。彼女以上に、小平弥生の心情を理解できる人間は他にいない。


 そう頼み込むと、ううん、と唸りながらも、鈴鹿さんは一生懸命答えてくれた。


「あんまり事情を把握できていないんですけど、ニノマエくんは、勇気を出して本心を話してくれたんですよね?」


「うん」


「なら、人見さんも勇気を出すしかないのでは」


 ぐうの音も出ない。九十九くんは、こんなに勇気を出してくれていたんだって、私は今になって理解していた。


 きっと、この間だけではない。去年から、ずっと、何度でも。私に踏み込んできてくれる度に、応えてくれる度に、勇気を振り絞ってくれていたんだ。


 なのに、それを思えばこそ、尚更。気持ちが高ぶって言葉にできず、逃げ出してしまう。


 たった一言。たった一言でいいのに。その一言すら、劇の中の彼らも、役を借りてしか伝えられなかった。私には、何があれば伝えられるかな。


「どうしたら、その勇気が出せるかな」


「相手から想われていることが分かっているのに、それじゃ足りないんですか……?」


 天然少女の小平弥生の面影など最早感じない程に、鈴鹿さんの放つ正論は的確に私の急所を撃ち抜いた。






 鈴鹿さんのアドバイスを心の中で反芻し、放課後、彼に話しかける。


「九十九くん」


 どうした、と視線で伝えてくる。ああ、やはり駄目だ。足りないなんてとんでもない。そのことを思えば気持ちが一層溢れてしまう。多すぎて持て余してしまうのだ。


 そっと、手を伸ばす。震えてしまっているけど、九十九くんは気にする様子はない。いや、気にはしているけど、突っ込まず、逃げず、受け止めてくれる。


 伸ばした指先が、彼の手に触れた。つつ、と少しだけ撫でるようにスライドする。


「またねっ」


 そして、堪えきれなくなって駆け出す。話しかける、触れる、逃げる、の三ステップから一向に先に進めない。


 触れる、というステップを挟まずに会話を頑張ろうとしたこともあったのだけど、


「あの、そう、今日の小テストだけど」


「定期テスト終わったばかりだから、しばらく小テストもないだろ」


 こんな無惨な会話になり、結局逃げ出した。


 勇気がどうこう以前に、私はまず、自分の気持ちに慣れなければならない。そう結論付けて、毎日訓練のように彼に話しかけ続ける。


 話す、触れる、逃げる。


 話す、会話を広げる、事故を起こして逃げる。


 一緒に帰ってみる、会話ができず別れる。


 四ステップ目に行けないどころか、ときどき一個減ってしまう始末だった。


 そんなこんなで、九十九くんを戸惑わせたまま、私も自分の気持ちに戸惑ったまま、時間だけがただ過ぎていって。


 現在、十一月。午前六時半。空港。


 三泊四日、沖縄修学旅行が始まろうとしていた。


 ど、どうしよう……。

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