第19話 勝とうね

 一年生男子の百メートル走が終了した。


 次の障害物競走は九十九くんの出場種目なので、彼は三年生女子の百メートル走が終わる頃には移動しなければいけないだろう。


「頑張ってね。ここで応援してるから」


「ああ」


「私のときは、九十九くんがここから応援してね」


「……何に出るんだ」


「覚えてないの?」


 彼が居眠りなどをしているのは見たことがない。種目を決めるLHRでもきちんと起きていたと記憶しているけれど。


「自分以外の種目なんて、全て把握しているのは先生や実行委員くらいじゃないのか」


 そう言われると、確かに私もあまり話したことのないクラスの男子の種目までは正確に把握していない。


 でも、九十九くんと進藤くんはきちんと把握しているのに。やや膨れた顔で答える私は、面倒臭い女だと思う。


「借り人競争と、騎馬戦と、クラス対抗リレーかな」


「多いな」


 うちの学校の体育祭は、個別競技にはいくつ出場してもいいことになっている。


 全員最低一競技のノルマがあるのでゼロには出来ないし、競技ごとの枠を超えて人を出すこともできないので、全員が全てに出る、ということも出来ない。


 そして、全員が一競技だけ選んでも枠を満たせないので、このような仕組みになっているのだ。


 うちのクラスは体育会系の生徒は多くなく、特に女子は控えめなようで、空いた枠を埋めるように動いていたらこうなってしまった。


 もちろん、体育祭を満喫したい思いもあったので何の問題もないけれど。


「勝ちたいね」


 それは呼びかけでもあったし、自然と口から出た言葉でもあった。


 また、ああ、とだけ返ってくると思っていたけれど、返ってきた言葉は違うものだった。


「勝ちたいのか」


 今回は、彼の表情からは何も読み取れない。もちろん、心の方を見ても、相変わらず靄に包まれている。


 勝ちたそうには見えなかっただろうか。確かに、絶対勝つぞ、なんて目を燃やす私は自分でも想像できないけれど。


「不思議?」


 彼は、表情は変わらないけれど、答えづらそうに見えた。


「楽しむのが一番だと考えていると思っていた」


 それは、矛盾するのだろうか。


「勝てたら、嬉しい。負けたら、悔しい。だから、勝てるように頑張る。目的の為にちゃんと頑張れたら、結果がどっちでも、その上に楽しかったも残る」


 それだけだよ、と答えた。


「そうか。いや、そうだな」


 彼が何を考えて、どう思ったのかはわからないけれど。


 私が彼の考えに触れて、視野が広がるような思いをしてきたのと同じ感覚を今、彼が感じているのなら嬉しいな。


「勝とうね」


「ああ」


 改めて言うと、彼も改めて、返事をしてくれた。



−−−



 彼が出場待機列の方に向かってしばらくすると、大野さんと小川さんが来てくれた。


「なんでこんなとこにいんだよ。暑ぃだろ」


「人が多いとこ、ちょっと苦手なの。一位おめでとう」


「おう」


 別にテントに戻っても良かったのだが、競技を終えた九十九くんが戻ってきたら私だけテントの中で涼んでました、なんてことにはしたくなくて、同じ場所に残ることにした。


「大丈夫?」


「うん。大丈夫。二人は暑かったらテントにいていいんだよ」


「わたしたちの団体競技までもうすぐだし、大丈夫。一緒に行こうね」


 小川さんはいつも優しい。彼女とは一緒に借り人競争に出るのだ。もしお題が〝天使〟とかだったりしたら、出場者である小川さんを選ぶことが出来ず失格になるだろう。


 そして忘れていたが、小川さんの言葉で思い出した。障害物競走のあと、借り人競争との間に一年生の団体競技が入っている。


 九十九くんは走り終わってもここには戻らず、私達と合流してもう一度出場することになる。


 テントにいても良かったかもしれない。そんな事を考えていると、先程盛大に転んだ人がやってきた。


「や。おそろいだね」


 私はお疲れ様、と声をかけ、大野さんは派手にやったな、と言い、小川さんは膝、大丈夫? と心配する。


 擦りむいた膝に大きなガーゼを当てている進藤くんは、私達から思い思いに声を掛けられ、勲章だよ、とピースサインをつけて返した。


「皆揃ってハジメの応援?」


「あたしは別にどうでもいいけどな」


 大野さんは九十九くんに当たりが強い。嫌っている訳ではないのだが、反りが合わないみたいだ。


「そういえば、男子の体育の様子見たことないから知らないんだけど、九十九くんって足速いの?」


 私は進藤くんに、以前から気になっていたことを聞いてみた。


「あー、まあまあ速いと思うよ。運動神経もいいし」


 障害物競走は足が速くなくてもいい競技なので、そこに押し込まれるように入った九十九くんはもしかして、と思っていたが、そんなことはないようだ。


「お前よりもか?」


「短距離なら、僕より速いよ。ハジメは瞬発力タイプだから、長距離なら僕に軍配が上がるけどね」


「体力なさそうだもんな」


 ケラケラと笑う大野さん。彼への言葉はやはり厳しい。体力に関しては、正直フォローしづらいけれど。


 でも、先程の百メートル走の時の進藤くんは、転ばなければいい順位を取れていたと思う。それより速いのなら、運動部相手でも勝てる相手はいそうだ。


「それなら、障害物競走じゃなくてもよかったんじゃ……?」


 小川さんも同じように考えたのか、おずおずと言う。確かどれでもいいという顔の九十九くんに、進藤くんが障害物競走を勧めてそれに決まったのだと記憶している。


「見ていればわかると思うけどね、ハジメは器用だから、単なるフィジカル勝負よりこっちの方が向いてると思うよ」


 確かに何となく、何でもそつなくこなすイメージはあるけれど、口振りから察するに、どうやらそれだけじゃ無さそうだ。


 進藤くんが気になる言い方をするので、彼の出番が待ち遠しくなってしまった。


「百メートルと両方出るのじゃ、ダメなの?」


「ハジメは自分からは動かないし、他に出たい人がいたからね。僕とか」


「借り人競争は?」


「ハジメに人探しが向いてると思う?」


「思わん」


「騎馬戦は?」


「ハジメに闘争心なんてものがあると思う?」


「思わん」


 横で三人が何やら面白い会話をしているが、今は競技の方に集中したいので、私の注意を逸らすのはやめて欲しい。

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