バレンタインクライシス

第87話 チョコレート>センチメンタル

 最後に冬紗先輩に会ってからひと月ほどが経ち、二月になった。自由登校期間に入り、先輩はもう、あまり学校には来ない。


 元々、校内で先輩と会うことなど無かったけれど、改めて居ないのだと思ってしまえば、なぜだか妙に寂しかった。


 もうひと月経てば、先輩は卒業し、新たな道を歩む。それからでも先輩は、私と遊んでくれるだろうか。約束を果たせる日は来るのだろうか。


 先輩が、お兄さんを探しに世界へ飛び出していっても。私はそれを追いかけられるだろうか。


「一透ちゃん!」


「結季ちゃん、私今、ちょっとセンチメンタルに――」


「バレンタインだよ!」


 季節は巡り、次のイベントがやってくる。こちらの心の準備とは、関係なく。



−−−



「で、バレンタインの準備をしようってか」


 いつもの三人でのお昼休み。結季ちゃん主導のもと企画会議が開かれた。来年度、クラス替えがあってもこんな風に三人で過ごせるかな、なんてことまで考えてしまうのだから、私はなかなかに重症らしい。


「二月になったから、うちの学校も高校入試や合否発表や合格者説明会で、登校できない日が出てくるでしょ? そこでどうかなって」


「そこなら部活もねえもんな。けど、わざわざ作るんだろ? 設備とか大丈夫なのか?」


「もちろん、言い出したのはわたしだもん。提供するよ。作り方も、よほど凝ったのじゃなきゃ教えられるし」


 ぼんやり話を聞いているだけなのに、なんだか話がどんどん纏まっていく。それも、そんなに至れり尽くせりでいいのかと思う形で。


 だけど、正直教えて貰えるのはありがたい。結季ちゃんお手製のクッキーなら食べたことがあるけど、絶品だった。彼女のお菓子作りの腕は確かだ。結季ちゃんの助けがあれば、過去一素晴らしいものが作れるだろう。


「二人は、どんなのが作りたい?」


「あんまし難しくねえやつ」


「私も、ちょっと挑戦はしてみたいけど、難しすぎるのはちょっと怖いかな」


 なんだかんだ言いつつ、ここぞという時にちょっと怖気づくのは大目に見て欲しい。こと料理において、特に大雑把な調理が致命的なミスに繋がるお菓子作りにおいて、過度な冒険は食材への冒涜になりかねないのである。


「二人は、これまでにはどんなの作った事ある?」


「まず作ったことがねえよ」


 言っては悪いが、正直真咲ちゃんはそうだろうと思った。結季ちゃんも想定していたのだろう。すぐに矛先がこちらに向く。


「一透ちゃんは? 作ったことくらいはあるよね」


「私は、溶かして」


「うん」


「流し込んで」


「うんうん」


「固めたやつ」


「うん。二人とも初心者だね」


 張り切り故か、今日の結季ちゃんはなんだか火力が高い。真咲ちゃんですら迂闊に突っ込めずにいるくらいだ。


「オーブンで焼くようなケーキやクッキーみたいなやつは、一応やめておこっか。溶かして冷やすのとあまり変わらない手間で、ただ形を変えるだけじゃなく、ちゃんと見た目や味が変わって手を加えた感が出るものとなると」


 ん〜、と唸りながら検索してくれている。本当に頭が上がらない。せめて精一杯美味しいものを作ってお返ししよう、と心に決めた。


 教えられ手伝わせたものを渡すのも正直あれなのだが、どうせ、彼女たちと父くらいしか渡す相手などいないのだ。


「こんなとこでどう?」


 結季ちゃんが紙にリストアップしたものを見る。正直、名前だけ見ても製造工程が思い浮かぶものなどあまりなく、中にはそれが何かよく分からないものもある。惑星チョコってなんだろう。


「あっ、トリュフ。私、これがいいかも。こねこねしたい」


 確か、生チョコレートみたいなのを捏ねてお団子にして、ココアパウダーか何かを振りかけるやつだ。友達に貰ったことがある。


「うん。良いチョイスだと思うよ。手作り感あるし、バリエーションも出せるし」


 よし、これにしよう。このくらいなら、私でもさほどサポートを必要とせず作れるはずだ。


「あたしは、もし余ったら男バレのやつにも恵むことになるかもしれねえからな。あんまり手作り感とかねえ方がいいんだけど……」


「じゃあ、オランジェットとかどう? 手間はかからないし、見た目オシャレで味も大人向けだから真咲ちゃんのイメージも損ねないし、変に期待もたせたりすることもないだろうし」


「オランジェット……これか。ああ、いいんじゃねえか。これにするわ」


 スマホで画像検索をしたらしき真咲ちゃんはお気に召したご様子だ。結季ちゃんのプレゼンは上手だと思う。見事に真咲ちゃんの要望を満たしてみせた。


 期待をしている男子がいたらちょっと可哀相だが、女子側の実態はこんなものだろう。


「結季はどうすんだ?」


「オーブンが空くからなあ。定番だけど、ガトーショコラにしようかな」


 これが格差だ。もはや僻んだり羨んだりする気持ちも湧かない。思うのはただ、わぁいガトーショコラだ! だけである。だって私も貰えるのだもの。


 そうこう話しているうちにセンチメンタルなどどこかに行ってしまった。代わりに、頭の中にはチョコレートが詰まっている。


 食欲の力は偉大だ。

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