第86話 幸せな思い出、そして

「三人は、これからどうするの?」


「昼飯まだなんで、その辺のファミレスにでもと」


「先輩もどうですか?」


 真咲ちゃんを遮って前のめりになって聞いてしまった。なんだか、ついてきてくれない気はしていた。


「私は参拝もこれからだし、終わったら流石に勉強もしないと」


 案の定断られてしまう。あまり残念がっては先輩も困るだろうと思うけど、私は先輩や九十九くんと違って、自分の気持ちと違うものを装うのは苦手なのだ。おそらく、隠せてはいまい。


 そんなところを見てか、二人がいつものように、助け舟を出してくれる。


「わたしたち先に行ってるから、一透ちゃんはもう少し先輩とお話してきてもいいよ?」


「すんません。もう少し、付き合ってやってもらってもいいですか」


 流石にそこまでは、と思ったのだけれど、


「ふふ。じゃあ、任されました」


 先輩にしっかり捕まってしまっては、もう甘えさせてもらうしかなかった。


 神社の鳥居の側まで戻って、一度二人を見送る。


「一透ちゃんの周りは、素敵な子ばかりだね」


 私も常々そう思う。私は本当に、人に恵まれている。


「先輩も、そのうちの一人ですよ」


 返事はなかった。まだ受け止められないのかもしれないが、私にとっては、もうその事実は変わらない。


「先輩は、あれから、どうですか」


 抽象的な質問だと思ったけれど、ちゃんと汲み取ってくれた。


「……変わらないよ。死ぬにも、生きるにも。なんだか一歩、足りない感じ」


 生きる方に舵を切ってくれたと思っていたので、足場を急に失うような不安感に襲われてしまう。だけど、よく考えれば、当然といえば当然だ。


 あの日の写真も今一歩足りなかった。私はまだ、これといった写真を撮れていない。


 はやく、上手くならなくては。


「写真、上手になりますから。もう九十九くんに背中を押させようとしちゃ駄目ですよ。押させる時は、生きる方の時にしてください」


「あはは。悪かったよ。もうしない」


 変わらない、と先輩は言うけれど。先輩は少し、仮面をつけるのをやめて素の自分を見せてくれるようになった。


 それが少しでも、先輩の気持ちを軽くしてくれていたらと思う。


「そういえば、それ」


 先輩の胸元に視線を向ける。先輩もそれを感じ取って、手に取る。


「着けてるんですね」


「うん。せっかく貰ったからね」


 先輩の手の中には、九十九くんが贈ったペンダント。何気ない仕草で先輩がそれを開くと、中から光が溢れた。


 一瞬だけ、本当に、そう見えた。光の中から現れたものを見て、納得する。太陽だとか、向日葵だとか。陳腐な比喩でも向けたくなって、でもそれでは言い表しきれず、もどかしくなるような。


 眩く輝く笑顔がそこにあった。お兄さんに撮って貰った写真というのはこれだと確信する。


 私は、これに負けない写真を撮らなければならないんだ。


「顔に書いてあるよ」


 見惚れているうちに、いつの間にか先輩はこちらを見ていた。


「私もこんな写真を撮らなきゃ、って」


「撮ります」


 先は遥か遠くだって実感して、自信を失いそうになるけれど。この決意は曲げたりしない。


「楽しみにしてるね」


 先輩も、こう言ってくれる。頑張らない理由なんてどこにもない。


「そういえば、冬紗先輩」


「うん?」


 ペンダントを見て、思い出した。あの日気になっていて、なんとなく聞けていない事があった。


「そのペンダントの意匠の花、なんていうやつですか?」


 あの日の会話で花言葉に何か深い意味がありそうだ、と思っていたのだけれど、一度ちらりと見た写真だけで花を特定することは出来なかった。


「これはね、ネリネ」


「ネリネ?」


「ダイヤモンドリリー、とも言うね。花言葉は……あとで調べてみてよ」


 あとで、と先輩は言ったけれど、感傷的な先輩の心を見て、堪えきれずスマホを取り出す。あとでって言ったのに、と先輩が隣で苦笑するけれど、構わない。


 ネリネ。ヒガンバナ科ネリネ属。花言葉は…………。


「……先輩」


「なあに?」


「私、不思議だったんです。どうして先輩は、これまで私と一緒にしてくれたみたいに、日常の中で写真に触れるだけでは我慢できなかったのか」


「一透ちゃんも、たかが写真くらい、って思う?」


「いいえ。思いません。ただ、先輩にとって、写真を仕事にすることの何がそんなに大事なのか、知りたかったんです」


 私は不思議だった。だっておかしいじゃないか。九十九くんは、わからなかったのだろうか。わかっていて、聞けなかったのだろうか。


「お兄さんが撮ってくれたみたいな写真を自分も誰かに撮ってあげたいって、それだけならプロになることにこだわる必要もないと思うんです」


 こんなに素敵な先輩を。先輩をこんなに素敵に撮れるお兄さんを。二人を育ててくれたご両親が。


「それだけの夢を、無理に反対する理由も、ないと思うんです」


 手に力が籠もる。スマホの画面に映る文字が滲む。


「先輩は、本当は、それだけじゃなくて――」


「バカだよね」


 先輩の方を、見ることが出来ない。だって見なくても、ひしひしと伝わってくるんだ。


「もう、七年目になったのに。もうすぐ、法的にも死んだことになっちゃうのに」


 あと一年すれば、と言っていたから、もう少し時間があると勝手に思っていた。でも、そうだ。年がもう、変わってしまった。


「私、こんなに大きくなったよって、言いたいんだ。兄がなりたかったものになった私を見て欲しいんだ。昔みたいに、頭を撫でて、褒めて、欲しいんだ。どうしても、諦められない」


 伝わって来る。もう叶わないって、頭では分かっているのに。胸が焦がれて、求めることをやめられない、夢。


「私、どこまで行っても、お兄ちゃんの妹だからさ」


 写真を見つめる目は、初めて会った時みたいには、もう感じられない。


「バカだよね」


「バカだなんて!」


 誰が言えるものか。誰に言わせるものか。先輩は、先輩の夢は、こんな、こんなに、――っ。






 閉じられたペンダントは、言葉にならない私の想いと共に、光をそこに閉じ込めた。


 蓋を飾るネリネ。花言葉は、「幸せな思い出」。そして。




「また会う日を楽しみに」

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