第134話 逃げて、また逃げて
岬、離島、平原。大自然が生み出した絶景を誇る景勝地が沖縄にはいくつもあるらしく、そのうちの一つで私達は食事と昼休憩をとった。
思えば時間に迫られるスケジュールが多かった気がする。その分、海風感じる緑の平原でのんびりお弁当を食べる時間は心に沁みた。
活発な子達と鬼ごっこを楽しむ真咲ちゃんを見守りながら、結季ちゃん、美法ちゃんとのんびり日光浴をする。ああ、こういう時間が欲しかったのだ。
「人見さん、人見さん」
しばらく日差しを浴びていると、珍しくあまり話したことのない男子に声を掛けられる。何やら手招きしているが、何だろうか。
「どうしたの」
行ってみると、呼ばれた理由はすぐに分かった。東屋の柱に身体を預けてすぅすぅと寝息を立てる九十九くん。撮って撮ってと、周りで音を立てずに要求する男子たち。
事前に送る荷物に入れてしまったせいで昨日は日の目を見なかった私のカメラが、火を吹く時がきた。
皆を入れて一枚。ぱしゃり。
九十九くんをアップで一枚。ぱしゃり。
もう一枚。ぱしゃり。
もう一枚。ぱしゃり。
これは止まれないぞ、と思った時、画面の中の九十九くんと目が合った。
九十九くんを起こさぬよう、小さな声で囃し立てていた男子たちが一斉に黙る。
「ご、ごきげんよう、九十九くん」
「……人を撮るってことは、撮られてもいいってことだよね、だったか」
それはデジャヴ。いや、確かに記憶にある台詞。己の未来を察しすぐに逃走に入るが、もう遅い。
スマホのカメラで連写する九十九くんに、クリスマスのときと同じだけの時間、追いかけ回されることになってしまった。
−−−
せっかくのリラックスを最後に台無しにした私とクラスメイト達の本日最後の目的地は、かの有名な水族館。
「ジンベエザメ!」
「模型だけどね」
「中に入れば本物がいるのだから、わざわざ模型に魅入らなくてもいいじゃない」
風情のないことを言う。それはそれ。これはこれ。どちらも楽しめば二倍美味しいのだ。
早速、三人を撮ったり、四人でクラスメイトに撮ってもらったりする。お礼に、クラスメイト達の写真も撮る。
「さっきはあたしより全力疾走してたくせに、よくそんな元気があるな」
「最後には転んで捕まってたのにね」
「体力より精神的なダメージの方が大きかったのでしょうね」
後ろから何やら聞こえてくるけれど、もう過ぎたことなのだから忘れて欲しい。最後の、両手で顔を隠して丸くなることしか出来なかった私の姿は特に。
転んだ頃には連写を止めてくれていて助かった。あんな姿まで撮られていては、とてもじゃないけどもう人前を歩けない。
「あんまり時間ないから、早く回ろ」
例えそうなっていたとしても、なっていなくても。どうせ私に出来ることはこうして話を逸らすくらいなのだけれど。
−−−
入ってすぐのところにふれあいコーナーのようなものがあって、人が群がっていた。水槽にはナマコやヒトデなど、浅瀬の生物たち。
「二人は触らないの?」
「うん。わたしはいいや」
「私も遠慮しておくわ。待っているからゆっくり戯れてきなさい」
そんなに離れなくても、というほど距離を取る結季ちゃんと美法ちゃん。仕方がない。あまり待たせるのも悪いので、適度に楽しんで切り上げよう。
「ヒトデって結構硬えのな」
「ナマコも触ってたら硬くなった。怯えさせちゃったかな」
「触りすぎると内臓吐くらしいぞ」
「えっ」
思わず取り落としてしまった。水面から上には上げていないので、浅い底までゆっくり落ちていくナマコ。
大丈夫だろうか。二度三度、軽く突いてみる。一度弛緩した体がまた強張る。最近の私も、九十九くんに対してこんな感じだろうか。
「真咲ちゃん、そろそろ次いこ」
「ん。急がねえと全部見れねえもんな」
ナマコに感情移入しかけた自分がなんだか怖くて、とは言えず、都合よく解釈してくれたのに甘えて移動する。美法ちゃん、結季ちゃんと合流して次へ。
珊瑚礁やそこに住む生物達のコーナーをすぎると、暖色が消え、一気に一面が青く染まる。眼の前には大きな水槽。目玉のジンベエザメが悠々と泳いでいた。
すごいね、大きいね、なんて会話をしながら一緒に写真を撮っていたのに、気づくと周りに三人がいなくなっている。なんとなく、なぜかは理解できていた。
順路手前の方を見ると、やはりそこにいたのは、九十九くん。
いきなりでなければ、変に驚いたり逃げたりはしなくても大丈夫。あんまり近いと困ってしまうけど、でもさっき、眠っている九十九くんには近寄れた。
バスの中でも少し話せた。ちょっとずつ慣れてきているかもしれない。
「九十九くん、楽しめてる?」
「ああ」
「サメ、大きいね」
「ああ」
どうしよう、話題が尽きた。前まではいくらでも出てきたのに、意識してしまうと何を話せばいいか分からなくなってしまう。
「サメって美味しいのかな」
ああ、これは駄目だ。ここで一番出してはいけない話題だろうに。違うよ、食い意地が張っているわけじゃないよ。そんな目で見ないで。
「無理して近寄らなくていい」
「無理じゃない」
反射的に言葉がこぼれ出す。思わず飛びつくように彼の袖を掴む。嫌々こうしているだなんて、間違っても思われたくない。
「私、九十九くんが嫌なわけじゃないよ」
「知ってる」
しれっと、本当に何でもないみたいに言う。ならなんで無理しなくて、なんて言うのか。
「チーズケーキ。美味かった」
一瞬呆けてしまった。何の話か思い至って、飛び上がるようにびくりと震えてしまう。
文化祭前、最後の出勤日。ようやく自分一人の力で作れるようになったケーキをマスターに託していた。九十九くんが来たらサービスとして提供するようにと。
それが九十九くんの誕生日に一番近い日だった。当日にちゃんと来て食べていったと後からマスターに教えてもらったけれど、私が作ったことは伝えていないはず。
「絆創膏も、嬉しかった」
それも、伝えてないのに。お昼休みに男子に誘われてサッカーをした九十九くんが転んだ日、彼の机の上に絆創膏を置いて、誰かの落とし物と思われないよう「ご自由にどうぞ」の書き置きも残したりしたけれど、名前は書いていないのに。
「何で、分かったの?」
「何故バレないと思った」
そんなに分かりやすかっただろうか。絆創膏はまだしも、ケーキならマスターの善意のこともあるだろうに。味かな。味が悪かったのだろうか。
「お前がいなくならないでいてくれることくらい、いい加減分かってる。だから、無理はしなくていい」
どうやら、そういうことらしい。気負いすぎるな、ということだろう。近づきたくなったら近づいて、離れたくなったら離れて。それを、許してくれている。
「無理じゃ、ないよ。今は」
「そうか」
隣に並んで水槽を眺める。広い水槽を伸び伸び泳ぐ魚たち。私も九十九くんに、苦しくならないよう余裕を作ってもらっている。
「で」
だから、お言葉に甘えて。
「俺の方からは、いつ――」
言い終わる前に、逃げ出させてもらうことにした。
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