第41話 ほどほどにしようね

 しばらくしてくると、放課後に使う準備の時間が多くなってきた。LHRだけでは足りないのだ。


 文化祭は、九月の末、週末二日間で行われる。その前の木、金と二日間は全日準備に当てられ、月曜日は片付けのみ午前中に行って、その日の午後と火曜日は代休に当てられる。


 つまり丸六日間、授業は行われない。気が楽に思える部分もあるが、しかしよく考えてみれば、その後には中間テストが待っている。


 文化祭までは放課後を準備に使うことも多く、文化祭が終わってからはあまり時間がない。代休日に勉強するとしても、全日準備期間から当日までの四日間はほぼ勉強に触れられないだろう。


 今、授業内容は授業中に理解できていないとあとから巻き返す時間はあまりないのだ。


 というようなことを、九十九くんが進藤くんに話していた。


 それは昼休み。『今日の禅問答のコーナー』が開かれたあとのことだった。まずは『今日の禅問答のコーナー』から振り返る。



−−−



「もし、大事な人が二人、そうだね、多いのは恋人と母親とかかな? それらが崖にしがみついていて、片方を助けている間にもう片方が落ちてしまうなら、君はどちらを選ぶ?」


 今日のテーマはありきたりなもののようだった。私ならどちらだろうか。恋人はいないので、大野さんと小川さんでイメージする。どちらかを選ぶことは出来そうにない。


「どちらも選ばない」


 でもそれじゃあ問題が、と私が躊躇してしまう答えを、九十九くんは平気で選んだ。


 確かに九十九くんなら、きっとどちらも救ってしまうのだろう。そう思っていたが、そうではないようだった。


「じゃあ、見捨てるのかい?」


「ああ」


 見捨てる。彼はそう言った。そんなの、彼に一番似合わない言葉だと思うのに。進藤くんも普段の軽いポーズのようなものではなく、心から驚いている。


「ハジメがそうするとは思えないけど。むしろ、自分を犠牲にしてでも両方助ける、っていうタイプじゃない?」


 私のイメージもそうだった。でも彼は、違うと言った。


「そう出来るならな」


「出来なくても、何かはするでしょ?」


「出来ない」


 それはまるで、そうと決まっているのだ、というような口ぶりだった。


「俺は、他人のことを勝手に選ぶことが出来ない。どちらかを救うことも、どちらかを切り捨てることも。俺が切り捨てられるのは、俺だけだから」


 彼の心は、相変わらず靄に包まれていて、表情にも変化はなくて、まるで今日の天気でも話すみたいに平坦に、彼は語る。


「俺が自分の身を切って解決する問題なら、それでいい。しないなら、俺はどちらも選べなくて、どちらも見殺しにする。そして次こそはと心に決めたくせして、同じ場面で、同じことをする」


 まるで、実際にそうしたことがあるみたいだった。


「俺は、そうする」


「じゃあ、九十九くんは私が助けるね」


 思わず口を出してしまったが、もう気にしてはいられない。驚く二人に構わず続ける。


「二人とも助けるのに九十九くん一人じゃ足りないなら、私も手伝う。九十九くんが自分の身を切って誰かを助けようとするなら、その九十九くんを私が助けるよ」


「何の話かわからないけど、じゃあ、わたしは人見さんを助ければいい?」


 びっくりした。気づいたら小川さんがすぐ近くに来ていた。


 でも、何の話か分からなくても私を助けてくれると言ってくれたのが嬉しくて、小川さんの顔をよく見ていなかった。


「じゃあ、それを僕が助ければいいかな」


 進藤くんも続ける。


「で、その僕を――」


「優しく見送るね」


 私は言った。


「あれ?」


「俺がまた助けに行ったら、ループが終わらないからな」


 彼も乗ってくれる。


「ちょっと、酷くない?」


「進藤くんなら帰ってこれるでしょう」


「僕のことなんだと思ってるのさ。というか」


 進藤くんの訝しげな目が、こちらに向く。


「そこでなにしてるの?」


 私は今、小川さんの席に座る進藤くんの、そのまた前の席の机の下に潜り込んでいる。


 『今日の禅問答のコーナー』が始まる気配を察知した私は、こっそりと後ろから近づいた。


 何故なら、以前反省したことを活かしてコーナー中でも話しかけるようにしたら、なぜか進藤くんが逃げてしまうようになったからだ。私と九十九くんがいるところに来ることも少なくなった。


 そこで私は、おっと、消しゴムを落としたら転がっていってしまった、拾わねば、といった風体で前の席に潜り込み、こっそり話を聞くことに成功したのだ。


 それを忘れて思わず会話に参加してしまったけれど。


 私は呆れと憐憫と僅かな怒りが混ざったような冷気を感じ、音が立つほどの勢いでそちらを向く。


 小川さんが今までに見たこともないような表情をしていた。すべて察しているようだ。


「ほどほどにしようね」


「はい」


 私は正座で返事をした。



−−−



 それから、授業は減るし、準備もそんなにいらないから文化祭まで楽できるね、と進藤くんが迂闊な一言をこぼし、九十九くんから先程の説教が下されたのだった。


 勉強の方はともかく、文化祭の準備は確かに、事前にやっておくことはそこまで多くはない。進藤くんだけでなく、皆のびのびと作業を進めていた。

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