第48話 軋んで、あふれて
放課後、全日準備期間中の調理室の設備貸し出しについて、大野さんたちの代わりに調理室で説明を受けた。それが済んで、教室に戻ってきた時。
キリキリと、音が聞こえた。今までで一番、強い音だった。
慌てて飛び込み状況を確認すると、大野さんは怒るでも叫ぶでもなく、頭を抱えていた。隣に小川さんが寄り添っている。
「どうしたの?」
「あ……えっと……」
大野さんの前にいた女子が反応した。彼女はボールアイスと飲み物を提供してくれる予定だった人だ。まさか。
「飲み物は、大丈夫なんだけど、アイスが、ちょっと、こっちに流せる分がないみたいで」
嫌な予感があたってしまった。少し前に確認したときは大丈夫だと思うとのことだったが、元々親戚の伝を頼るという話だったので、こういうことは起こりかねないと思っていた。
だから、大野さんは最悪の場合でも、普通に仕入れても何とか用意できるように予算をやりくりして余裕を作っていた。
だがその余裕も、様々なトラブルのフォローでもうなくなってしまっていると、この間聞いた覚えがある。
元々その子に支払う分だったお金は戻ってくるが、普通に用意しようとすれば、それじゃ足りない。
アイス無しで飲み物だけ提供することは出来る。しかしメニュー表も装飾のデザインも、元のメニューに合わせて作成してしまっている。
今からの作り直しだと、物によってはかなりクオリティが落ちる。材料の再調達だって簡単ではない。
「大野さん」
「……あぁ、分かってる。どうにかしねえとな……あぁ、くそ……」
「大野さん。大丈夫。大丈夫だから、ちょっと休もう?」
音が、ギリギリ、ギリギリと、どんどん強くなっていく。手を握る。指先まで冷たい。微かに震えている。
「そんな気にすんなって! ちょっとくらいメニュー変わったって、ちゃんと運営出来るだろ?」
大野さんにそう声を掛けた男子に、悪気はなかった。心から、慰めるためになるべく軽く発した言葉だった。大野さんの気持ちも、軽く出来るように。
だけど、その言葉が軽んじたのは、大野さんの大切なものだった。
物凄く、強く軋む大きな音が聴こえて、思わず両手で耳を塞いでしまった。手が離れた隙に大野さんは走りだす。
一拍空いて、私も走り出す。後ろから大野ちゃん、と叫ぶ声が聞こえたので小川さんも追ってきているだろうけど、構う余裕がない。
大きな音だったけど、まだ軋む音で、切れる音ではなかった。だから、大丈夫。まだ間に合う。大丈夫。
友達が大変なときに、自分が折れないように必死になって。自分のそういうところが本当に嫌だ。
−−−
大野さんが飛び込んだのは、文化祭当日には各クラスの使わない机や椅子を格納したり、各クラスの荷物置き場に使ったりするため、一般入場者立ち入り不可となるエリアの空き教室だった。当然今は誰もいない。
今は使われていない古い教卓にもたれるようにへたり込む大野さんに、追いついても、何を言ったらいいか分からない。
何も言わなければ、このまま彼女は擦り切れる。言葉を間違えれば、壊れてしまう。過去の過ちがフラッシュバックする。けど。
掛けた言葉が、相手の心に届くのなら。それがどれだけ救いになるのか、私は知っている。
私はそれを彼に教えてもらった。私も、大野さんに。九十九くんみたいに。
「大野さん」
「やめろよ!」
伝われ。そう念じながら彼女の手に重ねた私の手は、振り払われた。
「なんなんだ、それは。この間も。気持ちわりい」
私の目に見える大野さんの心は、ぐしゃぐしゃにひしゃげていた。
「ニノマエが、そうやって慰めてくれたのか?」
彼みたいに。その気持ちを見透かされたようで。いや、見透かされたのだ。私は今、図星を突かれて硬直している。
「あいつみてえに、ってか? そうやって、あの日あたしを慰めたのか? あたしの陰口叩いてる奴らに、謝ったのか?」
見られてたのか。それが、悪いことだとは思っていなかった。今でも思っているわけじゃない。でもそれが、彼女を傷つけている。
「そうやって、あいつの真似で、今もあたしを慰めようとしてんのか?」
「まって、大野さん、ちが――」
「違わねえだろ! お前はいつもそれだ! 口を開けば九十九九十九ツクモつくも!」
私を射抜く大野さんの視線は、悲痛に満ちていて。
「あたしは! お前に助けて欲しかったのに!」
私はまた、取り返しがつかなくなるまで自分の過ちに気付けていなかったのだと、今になって気がついた。
彼のようにすれば、想いが伝わって、誰かを助けられるなんて。私は彼に依存して、正解を委ねて、眼の前の友達の気持ちに自分で向き合うことをしなかった。
「ごめんなさい」
謝るから。改めるから。ちゃんと、私で、私が、力になるから。もうやめてよ。
「謝って……欲しいんじゃ……っ!」
「やめて!」
追いついてきていた小川さんが、間に入って私に縋る。
「違うの、大野ちゃんは、今ちょっと余裕がなくて」
大野ちゃんを嫌わないで、怒らないであげて。小川さんは私にそう訴える。
違うの、小川さん。分かってるの。でもそうじゃなくて。
「なんだよそれ……」
「大野ちゃん?」
「なんでそんな風に、あたしの味方みたいな顔出来んだよ」
「大野さん、だめ」
止めなければいけなかった。でももう声が上手く出せなくて止められなかった。
「お前が何をしたんだよ! あたしが揉めてるときも! 周りにボロクソ言われてるときも! 後ろで泣きそうな顔してあたしに縋る以外、お前が何をしてくれたんだ!」
小川さんの心も、大野さんと同じように傷ついた。見開いた目からぼろぼろと涙が溢れ、彼女の口から嗚咽が漏れる。
見ていられない。そんなことは、何もできなかったことは、小川さん自身が一番分かっていて、一番苦しんでいて、でもそれを、大野さんも分かっているのに。
だから他の場所で、精一杯大野さんを支えていたことを、大野さんが一番分かっているのに。
大野さんは自分で自分を止められなくて、一言一言喋るたびに、彼女自身の言葉が、彼女の心を刺す。
だから、その言葉ではなく、自分で自分を傷つけるその姿に、小川さんは涙しているのに。傷つけられたことじゃなくて、力になれないことに泣いているのに。
「ほらそれだ! 泣けばいいと思って! 何もしないくせに自分だけ辛い顔をして! せめてなにか言ってくれよ!」
いやだよ、もう、やめてよ。こんなすれ違いで、傷つき合わないでよ。相手を想っているのに、伝わらないまま苦しまないでよ。
喉の奥が張り付いて離れない。焼け付くように熱い。痛い。声が出ない。どうしよう、どうすれば、いやだ、誰か。
「あたしが、こんなんなってて……! 何でお前が泣くんだよ!」
「分かってるだろ」
私が、願ってしまったからだろうか。それで失敗したくせに、心の中で、彼に縋ってしまったからだろうか。
振り返ると、九十九くんが、そこにいた。
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