第102話 波乱の予感はにじり寄る

 放課後、今日はバイト先が定休日なので九十九くんと一緒に帰るつもりだったけど、予定が入ったので先に帰ってもらった。


 私は今、ファミレスに来ている。


「ドリンクバーと、何かつまめるものでも頼みましょうか。ポテトでいいかしら」


「うん」


 私を呼び出した、一条さんと一緒に。


 注文を済ませ、交互に飲み物を取ってくる。何気ない会話や事務連絡のような話は何度か交わしたことがあるけど、ちゃんと話すのは初めてなので、ポテトがくるまで軽く自己紹介をした。


 彼女は口調は大人っぽく、声もはっきりしている。注文も私の分まで一緒にしてくれたし、自己紹介も向こうからしてくれて、会話を進行してくれる。


 とてもしっかりした印象を受けるのに、ドリンクバーから持ってきたコップを両手で大事そうに持ってストローを咥える姿は、彼女の小柄な身長や幼い顔つきとも相まって中学生くらいにしか見えない。


 それがコンプレックスで大人っぽく振る舞うのだろうか、なんて推測は失礼かな。


「それで、今日あなたを呼んだ理由だけど。単刀直入に言うわ」


 ポテトが来た頃合いに合わせて、宣言通り単刀直入に切り込まれた言葉は、容姿に絆され油断しきった私に深々と刺さった。


「あなた、もう少し九十九と距離を置いてくれないかしら」


「……どうして?」


 昼間あんな話をしたばかりなのもあって動揺してしまう。心臓がバクバクと脈打って痛い。理由を聞き返すのがやっとだった。


「彼がクラスで浮いていることは、認識している?」


 浮いているか否か、で言えば去年からずっと浮いている。だけど。


「体育祭の時も、普段の雑務とかも、クラスにはちゃんと関わってるし、貢献もしてると思うけど」


「クラスメイトとは、ほぼ関わりがないでしょう?」


「私がいるよ」


「だからなのよ」


 苦々しく言う彼女から、その表情や心情の割に、その悪感情が私には向いてこなくて、真意が掴めない。


「私の、せい?」


「言い方は悪くなってしまうけどね。あなたがずっと側にくっついているから、他の人が近寄りづらくなっているという面は事実としてあるわ」


「だから、近寄るなってこと?」


 自分の口から、聞いたことがないくらい硬い声が出た。それがまたみっともなくて苦しい。


「……そこまでは、言っていないわ。仲が良いこと自体は素晴らしいことだもの」


 彼女もまた、痛みに耐えるような顔で言葉を探すように話す。ただ一方的に、もう近寄るなと言われていたら心が折れていたかもしれないけれど、そうではないから、戸惑いながらも話を聞けた。


 言い方が悪いことを自覚しながらも、それでも伝えられずにいられなさそうなその様子は、九十九くんでも見たことがある。


「あなたも言ったけど。彼、何だかんだ結構クラスに貢献してくれているでしょう? 私も、ちょっと助けて貰ったのよ」


 私は九十九くんの学校生活の大半を一緒に過ごしている自覚があるけれど、彼が一条さんと一緒にいたことがあっただろうか。


「最近のこと?」


「体育祭の時。生徒会でも、一部運営業務があったんだけどね。得点板の破損とか、係の生徒が怪我で抜けたのを連携できていなかったりとか。そういう小さなトラブルの解消を、いろいろね」


 そういえば、開会式までの間とか、競技後とか、九十九くんの居所が掴めないタイミングが何度かあった。おそらくはそのどこかだろう。


 そういう場に出くわしたなら、たしかに彼なら見過ごしたりはしないだろうな。


「恥ずかしい話、それまで私は、彼とあなたのことあまり気にしていなかったから。人目を憚らずイチャつくバカップルだと思ってたのよ。世界にお互いさえ居ればいいと思っているみたいな」


 心外だ。彼の部屋に二人でいるところを見られたならそう言われても仕方ないかもしれないが、学校では側に居てお話するだけで、そこまで言われるようなことは……してなくも、ないかもしれないけど。


「私と九十九くんは、そういうのじゃないよ」


「それに気づいたのも、最近だけどね。知ってるわ。あなた達、一緒にいてもどこか息苦しそうだものね」


 心臓が、ひときわ大きく跳ねた。自覚はあった。彼が冬紗先輩みたいになってしまうのが怖くて、私が側に張り付いているのを、彼はあまり良く思っていないというのも。私自身、安心するどころか、不安がってばかりいることも。


 なんだか、彼に出会う前に戻ったみたいで。動かずにはいられなくて、それで空回って。でも、どうしたらいいかわからなくて、変えられずにいる。


「そうでなければ、こんなこと言わないわ。いえ、そうであっても、こんなこと私に言われる筋合いはないのでしょうけど」


 そう語る、一条さんは。


「筋合いも義理も資格もなくたって、言わずにはいられないの。私はもう、彼は自分さえ良ければいいと思うような人じゃないことも、私達のためにいろいろしてくれる人であることも、知ってしまっている」


 相手の、九十九くんのためを思って、踏み込んでくる一条さんは。


「彼はクラスに尽くしてくれるのに、クラスのみんなはその事実どころか彼の本名すら知らないなんて、あんまりだと思うでしょう?」


 私が彼にしてあげたかったことを、しているように見えた。


「彼に近寄るなとか、話をするなって言っている訳じゃないわ。ただ少しだけ、他の人が入る隙間を空けてほしいの。あなた達だって、少し距離を置いた方がいいんじゃないかしら。一緒にいても、あんな顔をしているのなら」


「……だから、修学旅行の班も誘ったの?」


「ええ、そうね。彼がクラスに馴染むのに、絶好の機会だもの。いきなり全部は解消しないでしょうけど、何人かの男子との繋がりが出来るだけでも意味はあるわ」


 一条さんの考えは、とても合理的だ。選択科目や体育など、私が側にいられない時も多くある。そういう時、私が普段彼に張り付いているせいで、他の人が彼と話しづらくなっていて、それで彼が困るのであれば。


 いや、そうでなくとも。私が側にいることで、彼がもう安心できないのなら。どこか苦しそうな顔をし続けてしまうのなら。


 この話は、飲むべきだと思う。思う、のに。


「修学旅行は、私も九十九くんを誘う」


 じっと、一条さんの瞳が私を映す。言葉の意図を値踏みされている。


「一回だけの修学旅行だから。九十九くんと一緒に過ごしたい。次への布石とかじゃなくて、その時しかない時を一緒にいたい」


 きっとこの言葉は、ただの我儘でしかなくて。


「それ以外のとこで、どう協力するかは、考えさせて欲しい。一条さんの言うことは正しいと思うけど、私にはちょうどいいバランスも、九十九くんの気持ちも、分からないから」


 これは、保留でしかないけれど。我儘でいいって結季ちゃんは言ってくれたから。もう少しだけ、甘えさせて欲しい。


「そう。分かったわ」


 一条さんはそれ以上、彼の話はしなかった。


「ポテト、冷めるわよ」


「うん」


 口に運んだポテトはなんだかとても味気ない。


 結季ちゃんの言葉、一条さんの言葉、九十九くんの態度。言いようのない、漠然とした息苦しさの正体が、少しずつ、形になっていくような感覚がした。



−−−



 翌日、朝一の誰もいない教室で、九十九くんを誘った。


「小川はいいのか」


「うん。許可は貰ってるよ」


「そうか」


「うん……いい?」


「ああ」


 一条さんには間に合っていると答えているのに。あまりにもあっさりと了承してくれた。


 昨日彼女の話を聞いたからか、一条さんの方が彼のことを考えていて、彼女と一緒の方が九十九くんの為になるなんて、そんな気持ちも、湧いてきていて。


 どうして私を選んでくれたのか気になる。だけど、聞けない。ちょっと前までなら聞けたのに、喉の奥に引っかかって、口から出てきてくれなくて。


「自由行動、どこ行きたい?」


 代わりに出てきたのは、そんな言葉だった。こんな風に誤魔化してしまうのも、なんだか昔に戻ったみたい。


「最終日の自由行動は、国際通りや空港周辺が主だったな。……調べておく」


 九十九くんは、前までならきっと、何でもいい、なんて言っていただろうに。


 私だけ、行ったり来たり。迷ってばかりで、前に進んでいなくて、みっともない。


 みっともないな。






 一条さんも登校してくると、昨日と同じように九十九くんに声をかけた。


「班はもう決めた。そっちには行けない」


 九十九くんがそう応えると、ちらりと私の方を少し見て、そう、と呟いて。


「なら、私も入れてくれないかしら」


 そう言った。


「一条さんも?」


「あなた達、どうせまだ四人しか揃っていないでしょう? こっちは九十九と私を入れて八人の計画だったから、二人抜けても問題ないわ」


 どう? と聞く一条さんの目をじっと見て、九十九くんが何かを探る。


「俺はいいが、俺も、入れてもらった側だ。他に聞け」


 何を読み取ったのか、九十九くんはそう答えた。


「人見は?」


「私も、大丈夫」


 九十九くんがいいと言うなら、私が拒否する理由はない。


「そう。ありがと。じゃあ、大野たちにも聞いてくるわ」


 そう言って去っていく一条さんを見て、修学旅行は荒れそうだな、なんて他人事みたいに思ったのは、現実逃避だろうか。

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