第130話 平和学習

 飛行機は天候の安定や滑走路の順番待ちのために、空港上空で飛びながら待機状態に入ることがある。


 と、聞いてはいたけれど、実際はスムーズに着陸出来た。散々窓から青空を眺めていたので分かってはいたけれど、今日の沖縄は絶好の修学旅行日和らしい。


 着陸後は、小休止とばかりに九十九くんから離れ、真咲ちゃん達と行動する。ここを逃せばしばらく休憩はない。


 席順を決めるLHRが夏休み前に行われたのがいけなかった。私はこれから移動の度に、バスの中でまた九十九くんと並んで座ることになる。


「まだ空港だけど、意外ともう沖縄って感じがすんな」


「観葉植物がもう違うよね」


「二人とも、魚。魚いる」


 私が水槽を見つけて指を差すと二人も食いついてくれた。この三人でいると私だけがはしゃぐ事も多いけれど、流石に沖縄まで来ると二人のテンションも割増で高いようだ。


「水族館行くのは二日目だっけか? ちょっと待ち遠しくなってきたな」


「空港に水槽があるのずるいよね。今日は一日平和学習なのに」


 名残惜しむように水槽から離れ、移動を再開する。今日の予定は、本島南部でいくつかの資料館巡りだ。


 ちなみにスケジュールは、割とキツめらしい。






 空港から、バスで一時間弱の移動。その後お昼を食べ終えてから、資料館の散策をする。


「昼飯、いきなりソーキそばとはな」


「美味しかったね」 


「一透ちゃんは本当に美味しそうに食べるよね。いつものお弁当もだけど」


 どんな風に食べているのか自分では分からないけれど、美味しいのだから仕方がない。もずくとかミミガーとか、付け合せも沖縄満載で大変満足でした。


「この後があれじゃあ、ちょっと気が滅入るけどな」


「もう、そんなこと言わないの。大事なことだよ」


 ここは当時の戦争体験をつぶさに語り、記録する資料館。確かに浮かれた気持ちで回れる所ではない。そろそろ気を引き締めないと。


「よし、行こう二人とも」


「そんなに気合を入れるとこでもないと思うぞ」


 加減が難しい。



−−−



 資料館に入ってから、ずっと違和感を感じていた。


 展示の内容は当時使っていた道具だったり、防空壕のジオラマだったり、特別変なところがあるようには思えないのに。


 当時の人たちの手記の展示室。そこで、何かが掴めそうな気がして、でも掴めなくて。もどかしく思っていたら、九十九くんに声をかけられた。


「大丈夫か」


 少し驚いたけれど、流石に慌てたり暴れたりするような気分ではない。


「うん、大丈夫」


 返事をして、ようやく少し分かった。展示を見て、多くの人が当時の凄惨な状況に思いを馳せ、心を痛めている。


 なのに私は、その影響を殆どと言っていいほど受けていない。感じ取ってはいるのに。


 私はいつの間にか、人の痛みに鈍くなっているのだろうか。さもありなん。ここ最近の浮かれようは、冷静に考えると自分でもちょっとどうかと思うくらいだ。


「綺麗だな」


 九十九くんの声で顔を上げる。展示室を抜けた先で中庭が見えて、色鮮やかな花々が目に入った。


「うん」


 返事は自然と口から溢れた。気持ちもなんだか少し軽くなる。


「悲しめばいいというものじゃない」


 これは、きっと、励まされているのだろう。声色が優しい。


「でも、笑っているのも違うでしょ」


「そうでもない。展示も見ずにはしゃいでるのは、違うと思うが」


 そう言う九十九くんは笑っていた。すごく柔らかい笑み。私に向けてくれるものよりなんだか、祈るような笑み。


「平和学習、だからな。辛くて、悲しくて、こんなのは嫌だって思うから、尚更今あるものを見るんだろう」


 ……ああ、そうか。そうだね。だから、なんだね。私はいつの間にか、人の傷に怯えなくて良くなっていたんだ。


 私はずっと怯えていた。人の傷に無関心でいれば、私の下を離れていってしまった親友のように、誰かを失ってしまうと思って。


 きっと、この〝感覚〟はそのために身に着けた、防衛本能のようなものなのだろう。


 誰かの傷に気が付かないままでいないように。私の怯えが現れたものなんだと思う。


 でも今、マイナスの感情にだって理由があって、その根元には大事なものがあるって、私は君と出会って知れたから。


 ここにある悲しみと向き合う人たちの痛みだって、無くていいものじゃないって、心から理解できた。


 だから私も、悲しいけれど、苦しくない。人の痛みを、その根元まで汲み取って、受け止められているから。鈍くなっていた訳じゃなかったんだ。


 だからきっと、安らかな眠りを祈るように微笑む君の顔が、こんなに素敵に見えるんだね。九十九くん。


「そろそろ行くぞ」


「ごめん、もうちょっと」


 時間にあまり余裕はなくて、展示を隅から隅までじっくり見る時間もなかったけれど。今この場所で、もう少しだけ、この気持ちを抱きしめていたい。

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