第5話 解釈違い
何が起きているのか、詳しいことは、九十九くんは何も教えてくれなかった。本人に聞けばいい、と動き出してしまったので、皆でついていく形で更衣室を後にする。
移動中、進藤くんに聞かれた。
「さっき、どうしてハジメが安心したってわかったの?」
「……何となく、そう感じただけだよ。進藤くんはわからなかった?」
私の共感覚のような不思議な〝感覚〟のことを話したのは、家族だけだ。他には誰も知らない。今のところ、言うつもりもない。
「ハジメはね、わからないところが面白いんだよ」
「それは確かに、わかる気がする」
彼は時々妙に深いことを言う。その行動には何か芯が通っているように感じる。
なのに、何が彼をそうさせるのか、私でも心の内を覗くことができない。そこに、興味をそそられる。
今朝まではそうだった。でも今日、今回の件を通じてハッキリとわかった。彼には、私には見えていないものが見えている。
感情を感じ取れても、その感情の理由も、どう対処したらいいのかも分からない私には見えていないものが。
先を歩く彼の方をちらりと見ると、大野さんに話しかけられていた。先程詰め寄ったことの謝罪を受けているらしい。
「その……さっきは、悪かったよ」
「いい」
「いや……けど……」
「……友人を思って行動をしたことに、悪いことなんてない」
「勘違いで責め立てたのは、よくねぇだろ」
「質問を受けた覚えしかない」
そんな会話が聞こえてくる。大野さんはポカン、としてしまっているし、進藤くんは私の隣でふるふると震えている。笑いを堪えているのだろう。
今朝までの私なら、同じように笑っていただろうか。わかっていてとぼけているんだろうな、と思うと、浮かぶ笑みは自然と異なるものになった。
見ると、小川さんも笑っているようだ。
上履きを失くしてからずっと、不安そうに、困ったように俯いていた彼女が、笑っている。
私はそれが、ただ嬉しかった。
−−−
九十九くんが向かった先は職員室だった。本人に聞けばいい、と言って動き出したので、その本人とやらのところに向かっていると思っていたが、どうやら今からそれが誰なのか突き止めるらしい。
五人でぞろぞろと入っていっては邪魔になる、ということで、私と進藤くんが九十九くんにお供する形となった。
職員室前での待機組になった小川さんは、自分が一番の当事者だから、と同行を希望したが、突っ撥ねられてしまっていた。
「必要ない」
この切れ味である。せっかく元気を取り戻してきたというのに、小川さんはまた少し落ち込んでしまった。
本当は私も待機組になるよう誘導されたのだけれど、これまでの言動からして、わざわざ強く拒否するのには理由があるはずだと思ったので、それを探るためにも、無理にでも一緒に行くことにした。
「私も行くね」
「こいつだけで十分だ」
「行くね」
こんな感じである。小川さんには真似できないだろう。だからその分私が、彼の意図を突き止めて後でフォローしてあげればいいのだ。
こいつ呼ばわりされた進藤くんは、誰より先に同行権を獲得し愉快そうに成り行きを見守っていた。相変わらず、胸の中は好奇心でいっぱいのようだ。
職員室に入ると、九十九くんは真っ直ぐに二年生担当の教員の席が固まった島へと向かっていった。
彼が真っ先に話しかけた相手は、職員室の入口に貼ってあった座席表によると、二年生の学年主任の先生であるらしい。
「どうしました?」
声をかけた九十九くんに返事をするその声が優しい温度をしていたので、私は安心することが出来た。
ただ、入学一ヶ月の新入生がいきなり初対面の、それも上級生の学年主任の先生と話すなど、普通は緊張するものではないのだろうか。
しかしその予想に反して、九十九くんは全く動じる様子はなかった。
先生も無表情で話し方がやや素っ気ないので、似た者同士、大丈夫なのかも知れない。
進藤くんはやや緊張の面持ちだが、視線を九十九くんに固定して乗り切るつもりらしい。会話に参加する気は無さそうだ。
最も、会話は全て九十九くん一人で済ませてしまったので、私も入る隙がなかった。
落とし物を拾った。似たものをクラスメイトがなくしていて、取り違いが起きている可能性がある。二年の小川という女子生徒のものだと思うのだが、どのクラスにいるかわかるか。
二年生にいる女子生徒の小川さんは、B組の小川咲希さんだけだ。
要約すると、たったこれだけの簡素な会話が、実にスムーズに行われた。
九十九くんが私や小川さんを遠ざけようとした狙いもわかった。小川咲希先輩とやらのベランダ利用や、私の体育館シューズの校舎内使用など、この件に関わるルール違反が露呈しないよう、気を使ってくれたのだろう。
単純に、事細かに説明することや注意を受けることが面倒だっただけかも知れないけれど。
何となく、私が怒られず、小川さんが余計な責任を感じてしまわないようにしてくれた彼なりの優しさなのだと、そう感じたから、そう信じることにした。
学年主任の先生に会釈をし、職員室を出てから、私は気になっていたことを聞いた。
「九十九くん。最初から取り違えた相手が二年生だって確信していたみたいだけど、なんで二年生なの?」
同級生でも三年生でもいいはずだ。二年生だと特定できる要素を、何か見落としているだろうか。
「……勘」
一瞬、真に受けて呆けてしまった。彼のことだ。考えはあるが、煙に巻いているのだろう。
「本当は?」
「……本当だ。同級生の可能性も三年生の可能性もある。二年生が一番可能性が高いから、そこに絞っただけだ」
「可能性が高いのは、なんで?」
食い下がる。彼は聞けば答えてくれるはずだ。
「時間が余れば、後で話す」
読みが外れて、彼は歩き出してしまった。スマホを取り出して時間を確認すると、確かに昼休みが終わるまで時間がもうない。対象を絞った理由も、そこにあるのだろうか。
私達は、やや早足気味に二年B組へ移動し始めた。
その最中、こっそり小川さんに九十九くんの意図を伝えてフォローしておく。職員室への同行を断った件だ。
「ルールを破ったのは小川さんじゃないし、隠してもらったことで私も助かっちゃったから。小川さんが気にすることじゃないからね」
「うん、ありがとう」
そっか。じゃあ自分のせいじゃないや。なんて、そんな風に割り切れる性格ではないのだろう。まだやや表情は曇っている。それでも少しは安心してくれたようだ。
「すごく素っ気なくて、考えていることがわからないけど、悪い人じゃない……ん、だよね……?」
「悪いやつじゃなくても、もうちっと話し方なんとかなんねえのかな」
九十九くんの方を見ながら、自信がなさそうに言う小川さんとぼやく大野さん。
もうちょっと分かりやすく、とは私も思わなくもない。じゃあ例えば、どんな話し方ならいいと思うのか。
想像してみる。ぱぱーん、という明るい効果音とともに、明るく元気に胸を張る九十九くん。
「大丈夫! 安心して! 俺が解決してみせる!」
……うん。これは、九十九くんではない。まだそんなに彼のことを知っているわけではないのに、違和感どころの話じゃない。
無愛想なのもきっと、あれが彼の、彼らしさなんだろう。
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