第82話 あなたの笑顔

 まだ夕飯時の範疇だからか、それとも、九十九くんのオーダーに進藤くんが的確に応えてくれたが故か。


 到着した目的地にはまるで人が居なかった。並ぶベンチも、柵の向こうに広がる夜景も。全てが貸し切り状態だ。


「九十九くん。見て。イルミネーション」


「ああ」


「駅前の広場だね。広いだけあって、ここからでもよく分かるなあ」


「ツリーも光ってるよ。すごいね」


「わかったから」


 はしゃぐ私。揺さぶられる九十九くん。冷静に解説する進藤くん。


 それを後ろから優しく見守る先輩は、もうすっかり保護者の風格だ。そんな風に大人の余裕を見せられると、私の子供っぽさが浮き彫りになって恥ずかしい。


 全員うら若き高校生なのだから、誰か一人くらい同じテンションではしゃいで欲しいものだ。仕方がない。九十九くんを生贄にしよう。


「九十九くん、絶好の機会だよ」


「何がだ」


「ああ、確かに。ほらハジメ、僕のプレゼント」


「……使わん」


「いいから、取り出して」


「取り出さん」


「スマホをセットして、棒を伸ばして」


「やらん」


 進藤くんと二人で九十九くんにじゃれついていると、シャッター音がする。もちろん、出どころは冬紗先輩。


「ごめんね。続けて?」


「続けません」


 九十九くんにツッコまれても、先輩は動じずにふふふと笑う。やはり先輩は、人にカメラを向けている時が、一番素敵だ。


 だからこそ、そんな先輩に撮って欲しい。


「九十九くん、こっち」


 九十九くんの上着の袖を引っ張って、ベストポジションへと連れて行く。この見晴らし台で夜景をバックに撮るなら、ここが一番だろう。


「冬紗先輩」


 手を振る。手を振り返される。意図は伝わったようだ。ファインダーを覗きながら画角の調整に入ってくれている。


 進藤くんは空気を読んでくれたのか、先輩のやや後ろに移動して、一緒になってカメラを覗き込んでいた。


 隣の九十九くんを見る。呆れた顔だけれど、抵抗する様子はない。もう満足するまで好きにしてくれ、という顔だ。もちろん好きにはさせてもらうけれど、君にして欲しい顔は、それじゃない。


「九十九くん」


 顔をカメラに向けながら、撮ってもらうんじゃないのか、と視線だけよこして訴えてくる。撮ってもらうけれど、顔は別に、向こうを向いてなくていい。


「私は、君に出会えて幸せだよ」


 真っ直ぐに、ではないけれど、さっきより少し、顔もこちらに向く。君の瞳が揺れる。


「何回でも言うよ、って言ったでしょ」


 にっ、と笑って見せる。何回でも言うよ。何回でも伝えてみせるよ。だけど、全部が全部、前と同じじゃあないよ、九十九くん。


 私はもう、君を道標にはしない。そんな風に、君を見上げたりしない。私がいると落ち着くって言ってくれたから。私は、君の隣に並んでみせるよ。


「メリークリスマス。九十九くん」


 自信が湧いたり消えたり、迷ったり揺らいだり。私は、いつでも強くあれる訳ではないけれど。それでもきっと、私なら出来る。


 だってほら。先輩と二人で話してから、ずっと硬かった君の表情が、やっとこんなに、綻んでくれた。


 シャッターを切る音がする。自分で撮ったはずなのに、先輩はなんだかぼんやりしている。思わず指が動いてしまった。そんな顔だ。


 きっと、それが一番、素敵なんだと思う。


「見せてください」


 先輩に駆け寄って、今撮った写真を見せてもらう。


 私が自分の心を感じ取れるのは、誰かの心を介してのみだった。私と関わって、私の心の欠片を受け取ってくれた人の中にあるものでしか、自分の心を見たことはなかった。


 だけど今、画面の中に、それはある。色でも、音でも、匂いでも、味でも、温度でもないけれど。確かにそれを感じられる。九十九くんに笑いかける私から。思わずほころんだ、九十九くんの表情から。


 写真を見つめる、先輩の心は――。


「冬紗先輩。私、先輩の写真が好きです」


 そうですよね、先輩。こんなに素敵なもの、諦められるはずがないですよね。


「先輩が見つけてくれた、私が好きです」


 先輩の原点にも、こんなに素敵な気持ちがあるのなら。それを投げ出したりなんか、出来るはずがないんだ。


「ほら、次はお二人の番ですよ」


「え? 僕も?」


「もちろん。九十九くんはこっち」


 さっきまで私と九十九くんがいた位置に、先輩と進藤くんを押しやって、九十九くんは、近くに呼び寄せる。私は先輩ほど、上手くは撮れないけれど。スマホを取り出す。そのうち、カメラもちゃんとしたものを買わなければ。


「一透ちゃん、私」


 私がいた位置におさまった先輩が、私に声をかけて、止まる。


 私に言いたいこと、聞きたいこと。見せたい自分、見られたくない自分。いろんなものが渦巻いて、何を口にしたらいいか、迷っているように見えた。


 だけど、先輩。それは、先輩の全てではないかもしれないけれど。私の偏見も、混じってしまっているだろうけれど。私の目にはもう、素敵な先輩の姿が写っている。


 それを写真に落とし込む技術は、私にはまだないから。だから今日は、約束をします。


「冬紗先輩。私、写真上手になります。私に見えない私を先輩が見つけてくれたみたいに。私が見つけた先輩を、写し出せるように」


 先輩は嘘つきだ。受け取れないなんて言っていたけど、そんなはずがなかった。今、溢れ出る感情を抑えきれずにいるくせに。そんなのは本当の私じゃないなんて、突き放しきれる訳がないんだ。


「先輩がまた、自分自身を好きになれるように」


 今すぐには無理でも、いつかきっと、写し出してみせる。


「駄目だよ」


 シャッターボタンに向かった指が止まる。ここで水を差されるとは思っていなかった。先輩も、声のした方、隣の進藤くんを呆気にとられた顔で見る。


 進藤くんは、なんでもない顔で、だけど、確かに決意の宿った心で、言い放つ。


「一番弟子は僕なんだから。その役割は、まず僕に譲って貰わないとね」


 何を改まって言い出すかと思えば。気持ちはわかるけど、大人しく順番待ちをしてあげるつもりなんてない。


「だめだよ。早い者勝ち」


「いいよ、それでも。まさかとは思うけど、そんな装備で僕に勝てるなんて思ってないよね?」


 なにおう!? わかった、いいだろう。これほど喧嘩を売られて、黙ってなんていられるものか。


「カメラの性能なんて関係ないもん。ほら、早くこっち向いて」


 いつかきっと、なんてやめだ。今だ。今すぐに最高の一枚を撮って、ロケットペンダントにはその写真を入れてもらうんだ。


「笑って」


 笑顔になって、という意味だったのだけれど、先輩は豪快に笑い出す。上品でお淑やかな笑い方ではなく、進藤くんがそうするみたいに、お腹の底から、気持ちよさそうに。


「もうっ、本当に、手のかかる子達だなあ!」


 目に涙を浮かべた先輩のその笑顔が、上辺だけの取り繕ったものだなんて。


 先輩自身にだって、言わせるものか。

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