最終話 私の隣は、心が見えない男の子
最終日は班ごとの自由行動日。
国際通り周辺、ということにはなっているけれど、一応時間までに空港にたどり着けるならどこに行っても良いことになっている。
とは言え沖縄の立地に詳しい訳でもなく、国際通りが嫌なわけでも、他に特別行きたいところがあるわけでもなく。私達は冒険をせず、定番のコースを巡った。
道中は酷いものだった。昨日のことを思い出して私が挙動不審になってしまうのは、まあ予想できたことだとして。ついに九十九くんまで私を避け始めてしまうとは。
私だって九十九くんの方から近寄られたら逃げてしまう癖に、自分から近づいたときは逃げないで欲しいなんておかしな話だ。
頭ではわかっている。でも心が追いつくかといえば、そういうわけでもない。逃げては申し訳なくなり、逃げられては悲しくなり。それを飛行機の中でまで繰り返すのが怖くなってしまった。
「だからといって、抜け出して海を見に来るなんて」
ついに思考が口から漏れ出してしまった。あまりに突飛すぎる行動に、自分で自分に呆れ返る。
空港までは行けたのにな。最後のトイレ休憩の隙に逃げ出してきてしまった。皆も心配しているだろう。鳴り止まないスマホを見るのが怖い。
「今何時かな……」
もはやそれすら分からない。急いで帰ればギリギリ乗れるくらいの時間はあるだろうか。いや、手荷物検査などにかかる時間も考慮すれば、もう皆と同じ飛行機には乗れないだろう。
だからといって、どうするというのか。一人で飛行機に乗れるほどのお金はない。もう一泊する余裕も、もちろんない。
こういう時、学校の対応はどうなっているのだろう。探してくれているのだろうか。
見つかったらこってり絞られるだろうな。でもそれで済んで、先生と一緒に九十九くんとは別の便で帰れるのなら、それが一番いいのかも知れない。
九十九くんと、昨日の話の続きがしたい。だけどすっかり怖くなってしまったから。もう少しだけ、猶予が欲しい。
だから、逃げ出してきたのにな。やっぱり君は、追いかけてきてしまうんだね。
誰より先に、見つけてくれるんだね。
「何してるんだ、馬鹿」
息を切らして、悪態をつきながら、君は私の隣に腰掛けた。
−−−
日が傾いて、少し白んだ高い空。
底まで見通せるほどに澄んだ、青い海。
真っ白な、珊瑚の砂浜。
丘の上の東屋から一望できる沖縄の景色。隣には、九十九くん。
「怒られちゃうよ」
「ああ。一緒にな」
それでは逃げ出した意味もなくなってしまうんだけどな。それでも、そう言ってくれるのが嬉しくて。私が河に飛び込んだ時、君もこんな気持ちだったのかな。
「ごめんね、昨日。強引だった」
「今更だろ」
思い返す度に悶えそうなほどの羞恥に襲われていたけれど、そう言われてしまうとそうかも知れない。
なのに今更恥ずかしがるのは、かつては気づいていなかった気持ちに気づいてしまったから。
「俺の方こそ、悪かった。ちゃんと答えられなくて」
ちらりと九十九くんの方へ視線をやると、彼の瞳には、澄んだ青が反射していた。
「お前の事をちゃんと想えているか。下心だけじゃないのか。冷静に考えたかった」
「もしかして、私のせい?」
「そうだな」
返事の声は酷く刺々しかった。だけどそれもポーズだろう。本心では、そういう事を考えてしまう自分を諌めているはずだ。やはり胸は良くなかったかな。
九十九くんならいいのにな。視線を少し下げる。彼の胸元には、透明な箱がある。中身は、見えない。
こんな風に心を見ようとする機会がすっかり減っていることには、つい一昨日気付かされた。もう見えなくても、君のことなら分かる気がする。
ううん。違うね、九十九くん。分からなくても大丈夫って、思うようになったんだ。
それでも私達は、お互いへ歩み寄る事をやめないから。越えられるって信じられるんだ。
自覚すればするほど、透明な箱は薄れていく。もうお役御免だとでも言うように。
「冷静な頭で、ちゃんと答えを見つけられたら。そう思ったんだけどな。気づいたら何も考えず飛び出してた。結局それが、答えなんだろうな」
九十九くんの顔がこちらに向くのに呼応するように、私も視線をあげて、目を合わせる。君の瞳に、私がいる。
ほら。心なんて探らなくても、答えはここにあった。
九十九くんが左手を伸ばす。私はその手を空で掴んで、昨日のように、自分の胸元へと――
「そっちじゃない」
「はい」
自分の右頬へと持っていくと、優しく触れた君の手から、優しい温もりが伝わってくる。
私に、大切な気持ちを気づかせてくれた温もり。
「一透。俺は――」
君の、「したい」や「欲しい」を叶えてあげたい。
君が、心から笑う顔を撮りたい。
君の、痛いも、辛いも、苦しいも、分けて欲しい。
君の隣にいたい。
私が君の、足りない一になる。
四つの願いと一つの決意。君は文化祭の日、弱みや苦しみを見せてくれるようになったから、残り、三つと一つ。
この日、君がくれた言葉は、私だけに向けられたものだから。誰にも教えてあげられない、二人だけの秘密だけど。
「はい」
私の、そんな短い返事を聞いた彼の顔を見て。
カメラを構えておけば全部叶ったのにな、なんて、そんな無粋なことを考えた。
夕方、真夏みたいな沖縄の景色の中。一番近くにあった透明な箱。私の返事とともに、ふわりと溶けて空に消えた君の心。
困らされたこともあった。救われたこともあった。たったの三年間、それでも濃密な三年間。私と共にあった〝感覚〟。
それが、消えた。だけど、寂しくはない。だって、見えなくたって、通じあえた。
日が傾いて、少し白んだ高い空。
底まで見通せるほどに澄んだ、青い海。
真っ白な、珊瑚の砂浜。
丘の上の東屋から一望できる沖縄の景色。
私の隣は、心が見えない男の子。
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