他愛ないそれから
一透の恩返し
むかーしむかし。あるところに、九十九くんがいました。
九十九くんはとても勤勉で真面目な青年でした。真面目すぎて、人前で頑張りすぎてしまい、家で一人になったとたんスイッチが切れたように動かなくなる青年でした。
そんな彼には、炊事、洗濯、掃除など、自分のためだけに行う家事は手を抜いてしまうせいで、すこしずつ、すこーしずつ疲労が溜まっていきます。
村の皆には、気づかれない程度に。
ある時、九十九くんは村娘に頼まれました。
「結季が森に入って帰ってこねえんだよ。心配だから、ちょっと探してきてくんねえか?」
九十九くんは二つ返事で了承しました。
薪を拾うのは、男の仕事です。独り身の九十九くんは、女の仕事も自分でするけれど、それでも薪拾いも仕事のうちです。
森を歩くのは慣れたものでした。人が歩いた痕跡を探しながら、注意深く進みます。
しばらくして、足跡を見つけました。探している少女のものと、サイズはそう変わらないでしょう。
足跡をたどる九十九くん。その先で、ついに見つけました。しゃがみ込む少女。おや? どうやら探していた子ではなさそうです。
そこにいたのは、罠にかかった一透ちゃんでした。
「不覚」
踏み抜くと輪が締まり、近くの木にロープで繋がれてしまう、猟師がよく使う罠でした。
一透ちゃんは一生懸命に縄を引っ張ります。ぐいぐい。ぐいぐい。どうやら自力では取れなさそう。
いかがしたものかと途方に暮れていたところ、九十九くんが怪しげな目を向けながら近づいてきました。手にはナイフを持っています。
一透ちゃんは、九十九くんを見上げました。その表情は、恐怖でしょうか? それとも、期待でしょうか?
いいえ。どちらでもない純粋な目で、じっと九十九くんを見つめています。
九十九くんは、ナイフで一透ちゃんの足を締め付けるロープを上手に切りました。
「気をつけろ」
九十九くんはそれだけ伝えて、また他の痕跡を探し始めます。当初の目的の少女をまだ見つけていないからです。
「悪いが、もう一人見つけないといけない。村に送るのは、もう少し後に――」
九十九くんが振り返ると、もうそこに、一透ちゃんはいませんでした。
もう一つの痕跡が村まで続いていることに気づき、目的の少女が自力で先に村に戻っていることを九十九くんが知ったのは、夕方になってからでした。
悪い、と頭を下げる依頼人と、その後ろに隠れる元迷い人に、
「無事ならいい」
と、それだけ伝えると、九十九くんはお家に帰りました。今日は疲れてしまった。簡単な食事をとって、今日は早くに寝てしまおう。他の家事は明日やればいい。
そう思って、調理のいらない保存食をそのまま食べようとしていると、家の戸が叩かれました。誰でしょうか。九十九くんのお家には、めったに来客は来ないのですが。
村でなにかトラブルでも起きたか。
そう気を引き締め直しながら戸を開ける九十九くん。すると、
「どうも。昼間助けていただいた一透です」
「出オチ」
そこには一透ちゃんがいました。登場時から人間体だったからどうするのかと思いきや、まさかのそのまま再登場。
予想外の展開に、九十九くんの口からなにやらおかしな言葉が溢れましたが、一透ちゃんはお構いなしに詰め寄ります。
「恩返ししにきたよ、九十九くん。晩ごはん、お吸い物とお魚でいい?」
「間に合ってる」
「かまど借りるね」
九十九くんの返事には取り合わず、一透ちゃんは勝手にお夕飯を作り始めました。仕方がないので、九十九くんも手伝います。
二つのかまどでお米を炊き、お吸い物を作る一透ちゃん。七輪でお魚を焼く九十九くん。その姿はまるで、仲の良い家族のようでした。
それから、一透ちゃんは九十九くんのお家に居着きました。最初こそ家ですら気の抜けない場になった、と気を張り詰めた九十九くんでしたが、甲斐甲斐しく世話を焼く一透ちゃんや、時折失敗して逆に世話を焼かれる一透ちゃんのお陰で、次第に自然体でいられるようになっていきました。
それから、生活習慣が改善され、見えない部分に積もった九十九くんの疲労がすっかり消えた頃のことでした。
「今日は遅くなるんだよね」
「ああ」
「すぐには帰ってこれないんだよね」
「ああ」
「絶対だよね」
出かける九十九くんに、一透ちゃんはなにやら執拗に確認をとっていました。
これはなにかあるな、と流石の九十九くんも察しましたが、空気を読んで、そっとしておいてあげることにしました。
「今日は村の男衆と隣村の祭りの準備を手伝いに行くことになっている。帰るのは夜になる」
「わかった。行ってらっしゃい。気をつけてね」
何やら嬉しそうな一透ちゃんに見送られ、九十九くんは家を発ちました。
あれで年頃の女の子。たまには自分だけの時間も欲しかろう。そんなことを考えながら。
ところが、九十九くんは隣村にたどり着くことができませんでした。道中の山道で土砂崩れがあったためです。
九十九くんと村の男衆が道を塞いだ土砂の撤去を行うと、それだけで日が暮れかけてしまいました。
今から隣村に向かっても着く頃には夜。さした準備も出来ず、夜の山道は危険なため、帰ることも出来なくなってしまう。
元の予定より早くなってしまいましたが、九十九くんと村の男衆は、村に戻り解散する次第となりました。
一透ちゃんには、帰りは夜になると言っています。夜まで時間を潰してから帰った方がいいだろうか、と九十九くんは悩みましたが、予定より早いと言ってももう夕方。誤差の範囲だろうと、帰ることにしました。
彼はこれから、大人しく夜まで待てばよかったと後悔することになります。
家に帰った九十九くん。いつものように戸を開けて中へ入ろうとすると、中に居たモノと、目が合いました。
「九十九くん」
「…………なんだ」
「女の子がいる空間に入るときは、ノックをした方がいいと思う」
「…………悪い」
ソレから一透ちゃんの声が聞こえます。どうやら、ソレは一透ちゃんのようです。
「乙女の裸を見て、そんな顔をするのも失礼だよ」
「服を着ていない鶴に特別な反応を示すのもどうなんだ」
そこに居たのは、純白の鳥でした。
正体あったのか。今出すのか。じゃあその姿で捕まっておけよ。なんで人の姿で罠にかかるんだよ。
そんな九十九くんの思考を読んだのか、一透ちゃんは言います。
「違うよ、九十九くん」
何かが違うらしい。まだ隠されし秘密があるのだろうか。九十九くんの目に期待の光が宿ります。なんでもいいから、このシュールな絵面をどうにかして欲しい。心からの願いでした。
その期待に応えるように、翼を広げて最大限自分を大きく見せながら、高らかに一透ちゃんが告げます。
「どうも、鷺です」
うわー騙されたー。なんてリアクションを取ろうものなら、意図せず上手いことを言わされたようで癪なので、九十九くんは必死に言葉を飲み込みました。
「ばれてしまっては仕方ありません」
はよ帰れ。
「これ、私の羽毛で編んだ指輪です」
反物を織れよ。
「九十九くん。結婚しましょう」
「結婚サギか」
ちくしょうやられた。ニンマリと弧を描く一透ちゃんの口元、いえ、嘴元を見ながら、九十九くんはうっかり滑った自分の口を呪うのでした。
―――
「――もくん。九十九くん」
揺れを感じて目を覚ます。ぼやけた視界が収まりつつある中で、見慣れた顔がやや心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「珍しいね、九十九くんが居眠りなんて。もうすぐHR始まるよ」
教室の前にかかる時計。示す時刻は、八時二十八分。
「九十九くん、寝ぼけてる? 私のこと、分かる?」
「……サギ?」
いや、あれは夢か。なんとも頓珍漢な夢を見たものだ。
「詐欺ってなに? 違うよ、九十九くん。私。一透。一透だよ。九十九くん?」
先生がもう来ていることにも気づかず、何やら必至に弁明しようとしている一透を見ていると、夢で良かったと、心底思った。
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