第8話 デリカシー差じゃない?
「それで、えっと、四時間目の途中に回収しなきゃいけなくなった理由、だっけ」
確かそういう話だったはずだ。
「授業中に離席しなければいけない理由はなんだ」
「先生に廊下に立ってろって叱られたとか?」
「今日びそんな体罰はそうそう起こらない」
九十九くんのちょっとズレた突っ込みに笑いそうになる。
この漫才みたいなやり取りは、気を遣ってもらっているからなのだろうか。
私もふざけていては収拾がつかないので、まともな意見を出すようにする。
「普通に考えて、トイレかな」
「だろうな」
「靴下のまま行けば――」
「行ってみろ」
「いや、うん、ごめん」
進藤くんのおふざけは置いておいて。確かにそれなら急を要するし、履物なしでもちょっとくらい、とはいかない。精神的にも、衛生的にも。
「でも結局、更衣室には回収しに行ったんでしょ?」
「本人が行く必要はない。そもそも置きに行くのも人に任せたんだ。取りに行くのも任せるだろう」
授業中わざわざそのために離席させられる人のことを思うとちょっと可哀想だが、道理だと思う。
私でも、例えば小川さんに頼まれたら取りに行くだろう。でも。
「じゃあ結局、どうして違う上履きを持っていってしまったの?」
九十九くんの方を見て聞いた。結局のところ、そこが解決しないとどうにもならない。
「授業中に頼むなら、誰に頼む?」
質問をしたら質問で返ってきてしまったので、想像してみる。
「私なら、隣の席か、そうでなくても出来るだけ近い席の同性、かな」
ちょっと用を足したいのだけど、女子更衣室においてある上履きを取ってきてくれないか。
そんなことを男子に伝えるなんて正気の沙汰とは思えない。言われた方も困るだろう。
「授業前であれば、誰に頼んでも構わないのだから、なるべく親しい人に頼むはずだ」
「置きに行ってもらった人と、取りに行ってもらった人は別人、ってことね」
したり顔の進藤くん。私にもこれはわかった。更に。
「しかも、ベランダに置いたことは伝わっていなかったんだね」
だから、より目立つところに置いてあった同姓の小川さんの上履きが持っていかれてしまった。
「元々同じ人物に取りに行って貰うつもりだったのであれば、小川先輩本人が置き場所を知らなくても不思議じゃない」
「同じ人に取りにいかせなかったってことは、席が離れてるってことだろうしね。授業中じゃあ置き場所を伝えることも難しいか」
いや、そもそも。
「どうして、置き場所にベランダを選んだの?」
置き場所なんてどこでもいいのに。わざわざそんなややこしいところに置かなければ、それで済んだ話ではないのだろうか。
「最初から長時間置いておくつもりだったからだろう。本人も、分かりづらいところに置いておくよう頼んだと言っていたしな」
「途中で利用したほかのクラスの子が見つけて、落とし物として届けちゃったりしないように、ってことかな」
九十九くんの途中までしかされていない説明を、進藤くんが補足してくれる。なるほど。確かにわかりやすいところに置いてあったなら、私が落とし物として届けていた可能性もある。
気になることは、あと一つ。
「何が起きたのかはよくわかったけど、結局どうして二年生が取り違いの相手だってわかったの?」
「勘だと言ったろ。分かっていたわけじゃない。場所がベランダだったから、使えないと念押しされたばかりの新入生より、その環境に慣れている上級生の方が、あえてその場所を選びやすいだろうと思っただけだ」
なるほど、と思った。確かに、ベランダはずっと私の考慮の外にあった。こんな些細なことでわざわざ聞かされたばかりのルールを破るような新入生がいれば、かなり太い肝の持ち主だろう。
全くいないとは、言い切れないけど。
「じゃあ三年生でもよくないかい?」
進藤くんが聞く。
「三年の更衣室は別だろう。女子は知らないが、男子はそうだ」
「そうだっけ?」
進藤くんは知らなかったようだし、私も忘れていたけど、そういえばそうだ。三年生は教室も遠く、また授業や施設の兼ね合いもあって、別の階の更衣室を使っていたはずだ。
「うん。女子も別だよ」
わざわざ別の学年の、それも利用するクラスが多い更衣室を利用しにくる可能性は少ない。だから二年生が一番可能性が高い。うん、納得がいった。
事件のあらましはこんなところだろうか。本当に、綺麗に片付いてしまった。
そういえば、事件そのものとは関係ないけど、もう一つだけ気になっている事があった。
「私が最後に先輩に取り違えた理由を聞こうとしたのを止めたのは、じゃあ……」
九十九くんを見る。心の見え方は変わらないが、ややいつもより渋面を作っているように見える。
「授業中トイレに行きたくなってどうこう、なんて、初対面の後輩たちに説明させられたくはないだろう」
ああ、そっか。私の中で、何かがすとんと腑に落ちた。
「僕なら別に気にしないけど、男女差かな」
「デリカシー差だろ」
「言うね、ハジメ」
私に見えていなかったものが見えていて、私が出来ていなかったことをしていた九十九くんは、何でもないことのように、進藤くんとじゃれ合っている。
彼にとっては、当たり前のことなのだろうか。
「あーあ。にしても、わかってしまえば思ったより面白い事件ではなかったね。ミステリー小説みたいに、あっと驚く仕掛けがあるかと思ったけど。いろんな偶然とちょっとした勘違いが重なっていただけか」
そういう進藤くんの口調は軽快だけど、胸に満ちた好奇心はすっかり萎んでしまっていた。
「その点、ハジメはすごいね。いつから分かってたんだい? 最初から見当はついていたように見えたけど、情報が出揃っていたようには思えなかったのにな」
一転して楽しそうに語りだす進藤くんには聞こえなかったようだったけど、私には、確かに聞こえた。九十九くんの呟きが。
ミステリー小説、ね。
その声には、確かに感情が籠もっているように感じたのだけれど。あまりにも微かな呟きで、私には捉えきる事が出来なかった。
次に出てきた九十九くんの言葉は、文面は少し当たりが強かったけれど、そこには色も温度も存在しなかった。
「ここがミステリー小説の舞台で、俺が探偵役で、限られた情報から見事に答えを導き出す、みたいなものを期待していたなら、お門違いだ」
また短い軽口で返ってくると思っていたのだろう。進藤くんは目を丸くしている。
「俺は何もわかってはいなかったよ。ただ、こんな何でもないオチであればいいと思った。そうであって欲しいと願いながら、裏付けが取れるように動いた。たまたまそれが合っていただけだ」
九十九くんの、今日の一つ一つの行動が脳裏に浮かぶ。
「お前には、誰かの深い思惑や複雑な仕掛けがあって、物語じみている展開であったほうが良かったか? それで誰かが、傷ついても」
今度は、不安そうにしていた小川さんの表情が思い浮かぶ。その言葉から、彼が何を大切にしているのか、わかる気がした。
「ハジメは、自分の人生が、小説の物語みたいに劇的なものであって欲しいと、思うことはない?」
「思わない」
即答だった。
「お前が自分の人生に何を求めようが、お前の勝手だけど、周りの物を舞台装置か何かだと思っているようなら。いつか、何かを損なっても知らないぞ」
知らないぞ、なんて言っているけれど。相変わらず、なんの感情も読み取れないけれど。何故だか私には、そうならないで欲しいと、祈るように発せられた言葉のように思えてならない。
「少なくとも俺には、もう十分過ぎるほど、いっぱいいっぱいだよ。こんなもんだろ、日常なんて」
それ以降、誰も喋ろうとしないまま、九十九くんはじゃあな、と別れていった。
その背中を見送りながら、進藤くんは呟く。
「怒らせちゃったかな」
「……そんなんじゃ、ないと思うよ」
「わかるんだ?」
「わかるよ」
多分、私でなくても。
「そっか。男女差かな?」
進藤くんが求める答えが分かるような気がして、九十九くんの代わりに答えてあげる。
「デリカシー差じゃない?」
ははははっ、と響く彼の声は、これ以上なく満足げだったけど。その胸中には、ほんの少しだけ、内省の色が見えた。
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