第119話 真咲のおせっかい

 早く上がらせてくれ、なんてのは、我ながら空気読めてねえ発言だなと思う。


 本番まで時間ねえしな。が、文句は言わせねえ。やることやってんだ。絶対に空けられねえ大事なリハーサルがある訳でもねえし、あたしは出番の多い重要キャラでもねえ。


 言わせねえも何も、言わなかったけどな、相沢は。あんな物分りいい奴だったか?


 そうだったのかもな。ちゃんと、向き合ってみれば。


 あたしは大雑把でがさつだから、深く踏み込んで相手を理解するとか、正直向いてない。向いてねえけど、あたしを助けてくれたあいつのためだ。


 借りのある相手に突き返すついでに、恩返しといこうか。そう。呆けた顔してんな。お前だよ、お前。


「ニノマエ。面ァ貸せ」


 あたしの腹の底暴いたことあんだ。てめえの底も見せてもらわなきゃ、割に合わねえよな?



−−−



 いい雰囲気の店、みてえなとこも、まあ知ってることは知ってるが、一透のバイト先でする話でもねえし、結季の行きつけを教えるわけにもいかねえし。相手はニノマエだしな。


 ファミレスでいいだろうと、近くのチェーン店に入る。学校から近い場所だから誰かに見られるかも知れねえけど、これもニノマエなら問題ねえだろ。


「鴨のサラダのドリンクバーセット。あとネギトロ丼のハーフ」


「……よく食うな」


「お前と違って運動してっから夕飯まで持たねえんだよ。いいからお前も頼め」


「……ほうれん草とベーコンのソテー」


 草食か。帰ってから夕飯もあるんだろうし、ハンバーグとかステーキとか頼めとは言わねえけど、男子高校生のチョイスじゃねえだろ。そんなだからヒョロいんじゃねえのかこいつ。


 注文を済ませて、ドリンクバーから飲み物を取ってきて、さあどう切り出すかなと悩んでいると、意外なことに、向こうから話しかけてきた。


「あいつの、一透の様子は、あまり良くなさそうか」


「お陰様でな」


 そう言われてそんな苦しげな顔すんなら声を掛けてやりゃいいのに。いや、あいつの方も逃げんのか。めんどくせえなこいつら。


 何だっけ、確か、一透にベタベタくっつかれて、こいつがいい顔をしねえから、一透の方も自分じゃない方がいいって避けてんだっけか。


「くっつかれんのが嫌ならそう言やいいだけだろ。そこまで距離置く必要あるか?」


「嫌じゃないから、困ってるんだ」


 なら尚更何が問題なんだ、と思っていると、掌を上にして左手を差し出してくる。これ以上混乱させんな。


「何だ」


「あいつは今でも、傷跡を撫でる。もう触ってわかるほども残ってないのに」


 ああ、そういや、左手だったか。よく見ればうっすら色が薄い部分がある。が、それだけだ。それだけなのに、あいつ。


「あいつの向けてくれる心配や優しさに、下心で応えたくなんかない。なのに、先輩の言葉を思い出す。あいつは、俺の言うことを疑いもせず、聞いてしまうんじゃないかって。この弱みにつけ込めば、離れないでいてくれるだなんて、思ってしまう。だから今の状況は、好機でもある」


「あいつがお前に縛られなくて済んで、お前にも他に構ってくれる奴がいるからもういいってか。ふざけんなよ」


「違う。俺だけだ」


 思わず掴みかかりそうになる。思い留まれてよかった。あたしの時、こいつも一透も、そんなことはしなかった。今心に決めろ、あたし。殴るのはどうしようもない時だけだ。


「俺たちが離れたお陰で他のやつと関わる機会が増えたのは、俺だけじゃない。あいつには、お前も小川もいるしな。だけど、俺は違う。一条に言われたから本名で呼んで、声をかけてくる奴らじゃあ埋まらない」


 どうせ、そんなことだろうとは思ってた。ニノマエが柔らかく微笑む。その先に、あたしはいない。こいつの目に映っているのは一透だ。一透が見たっていう一条に向けられた笑顔ってのも、どうせそうなんだろう。


「あいつらは俺が迷った時、背中を押してくれたりはしない。手を引いて導いてくれたりはしない。俺が勝手に引いた線の外へ連れ出してくれたりはしない。仮にそれをしてくれたとしても、俺に最初の一歩をくれたのは一透だ。それだけはもう、変わらない」


 その笑みがすぐに悲しげな、自嘲するようなものになる。最近ずっと、一透がするのと同じ顔。


「俺だけだ。このままで、困るのは。お前がくれた優しさに欲望を返してしまうけど、俺はお前の必要なものになれないけれど、それでも俺にはお前が必要だから、なんて、言えないだろ」


「うるせえ!」


 我慢ならなくてスマホを投げつける。鈍い音を立ててニノマエの胸にあたしのスマホが激突した。


 やべえ、画面割れるか、と心配したが、テーブルや床にぶつかる前にキャッチされる。


 よくやった。いや、そもそもお前のせいだった。


「二人して勝手に相手のこと決めつけて同じようなことで悩みやがって! せめて話し合ってから悩め馬鹿野郎!」


「いや――」


「黙れ。黙ってまず読め」


「何を」


 口にしてから、ニノマエの視線があたしのスマホの画面に留まる。投げた拍子にズレたりしてなきゃ、距離を置くことにしたって報告された時のメッセージ履歴が映ってるはずだ。


 ちょっと距離を置くだけだから、絶縁とかじゃないから、前に進むための手段だから。そんな風に言うのが言い訳にしか聞こえなくて、本音は? ってあたしは聞いた。


『いやだよ』


『離れたくない』


『側にいたい』


『九十九くんの隣にいると安心するの。そこにしかない温もりがあるの。手放したくない』


『だけど九十九くんは、私じゃ安心出来なくなっちゃったから。私は九十九くんにとって、弱みを見せられる相手でいられなかったから』


『だから私、知らなきゃいけないの。九十九くんに必要なもの』


『私、九十九くんが苦しまなくていい居場所になりたい』


 今、あいつの目にはそんなメッセージが見えているはずだ。勝手に見せるのはマナー違反だろうが、あいつだってニノマエのこと探りまくってるんだ。たまには逆があってもいいだろ。


 もし画面がズレていたり、こいつがそれ以外のとこ見ようとしたりしても、まあいいだろ。


 見られて困る会話はしてねえし、それで見えるのだって、九十九くんがどうのと嬉しそうに話してる場面ばかりだ。


「それが同情や心配だけで言ってるように見えんのか。必要なものになれないとか、自分だけがとか。そんなもんは、お前がアレをしてくれたとかコレが嬉しかったとか、そんなんばっか聞かされるこっちの身にもなってから言え」


 下心が云々ってのも見当違いもいいとこだ。あいつだって、ニノマエが断らねえのをいいことに好き放題甘えてる部分あんだろ。


 ジャージの上着を忘れてこいつに借りた時なんか、授業中ずっと匂いを嗅いで……いや、これは言わなくていいか。


「あたしで埋めてやれんならそうしてる。そうじゃねえからお前を呼び出してんだろうが。それを――」


 思わずぎょっとしちまって言いよどむ。


 ……泣くなよ、くそ。声も出さずボロボロ涙こぼしやがって。気まずいだろうが。



−−−



「落ち着いたか?」


「ああ」


 涙を拭いながらスマホを返してくる。めんどくせえ事ばっか考えてっけど、こうして見ると意外と分かりやすいな、こいつ。そんなとこも、似た者同士か。


「今日あたしに言ったこと、あいつにもちゃんと伝えてやれ。あいつはきっと、それを待ってる」


「分かっている。……迷惑かけたな」


 やっぱり、分かりやすいやつ。いつだか一透も言ってたな。口に出さないだけで分かりやすいやつだって。向き合ってみなきゃ、分からねえもんだな。


「借りは返したからな」


「貸しを作った覚えはない」


 ああ、これも。そういやこういう奴だった。結季の上履き探してた時からずっと。


「なら、ここの支払いお前持ちな」


「ああ」


「バカ、冗談だよ」


 そう言ったのに、会計の時勝手に支払われた。電子決済ってずりいな。そういうのは一透にやれよって言ったら、倍以上で返されるんだなんて疲れた顔で言いやがるから、つい笑ってしまう。


 変なとこ身勝手なくせに変なとこで気ぃ使い過ぎで、ほんと、めんどくせえ奴ら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る