第96話 例えば青とか、緑とか
休み時間は大体一緒にいる、と言っても、お昼休みだけはこれまで通り、女子三人で過ごすことにしていた。部活に精を出す二人と確実に一緒にいられる時間はそこしかないからだ。
本当は九十九くんもここに入れようと画策したのだけれど、結季ちゃんには嫌そうな顔をされ、九十九くんには逃げられた。
「今日もべったりだったな」
真咲ちゃんが言うのは、九十九くんとのことだろう。
「ひよこみたいだよね」
「ひよこ?」
「親鶏の後を一生懸命ついていくひよこ」
結季ちゃんの例えは適切なものに思えた。九十九くんから離れまいと後をついていく私はきっと、客観的に見たらそんな感じだと思う。
二人の心にあるのは、ちょっとの呆れと、そして心配。私がそうなったきっかけを知っているが故に。
「結局、先輩も大丈夫だったんだろ?」
「一旦はね」
今年のバレンタインデー。十二月に知り合って仲良くなった先輩、
それから、心のエネルギーを使い果たしてしまったように身動きが取れなくなってしまった先輩の下に、進藤くんは毎日のように通い詰めたらしい。
結果、卒業式の日、進藤くん伝いに先輩からの手紙を受け取った。それによると、先輩は少しだけ立ち直れたようだったけれど、私は知っている。
これで終わりではない。先輩を苦しめる要因が綺麗さっぱり無くなったわけではないのだ。支え続けなければ、いつかまた折れてしまう。
進藤くんは、その役割を請け負ってくれた。
「ニノマエくんは、まだ気にしてそうなの?」
「うん。たぶん」
本当は、私も先輩に会いに行きたかった。だけど、進藤くんは連れて行ってはくれなかったし、どこにいるのかも教えてくれなかった。
揺れなくなったら、また。結局、そう手紙で伝えてもらったから、私は待つことしか出来ずにいる。
その代わり、進藤くんは九十九くんの住所を教えてくれた。風邪を引いた彼へのお見舞いという口実もあったからかもしれない。
だから進藤くんが先輩の下へ通い詰めるように、私も九十九くんの下へ通い詰めた。週末が来る度に、彼を外に連れ出した。
気分転換、なんて言うつもりはない。先輩のことを想って、自分の責任と向き合って。だから苦しい。苦しいことは辛いことだけど、無駄なことでも、無くていいことでもなく、その根っこには大事なものがある。
無理にそれから目を逸らさせようとすることは、自らの責任や冬紗先輩に誠実であろうとする彼に、失礼なことだと思ったから。
私はただ、側にいた。私も一緒に向き合いたくて。一緒に背負いたくて。必要な苦しみと向き合う君を、一人にしておきたくなくて。
側に居続けた。抜糸が済んで、彼の掌の傷も薄まってきた頃。ようやく彼は、それまでとあまり変わらない様子を見せてくれるようになった。
だけど、きっと。彼の胸の内には、今でも消えない傷がある。私はそれを、ひしひしと感じていた。
「少しくらいそっとしておいてやった方がいいんじゃねえか?」
「一人にしておくと、九十九くん、一人で背負い込んじゃうから」
「だからって、ちょっとやり過ぎじゃない? 週末もずっとニノマエくんといるんでしょ」
「うん。やり過ぎかな?」
わたしから見れば、と首肯される。加減なんて、私には分からない。
ただ、私は、一度先輩を見殺しにしかけた。大丈夫だと決め込んで、一番不安定な時も、まるで気づけずにいた。九十九くんが気づいてくれなければ万が一があったかもしれない。
詰まる所、それが私にとってトラウマになっているのだろう。きっと大丈夫。そう言って九十九くんから目を逸らすのが怖い。ふと目を離してしまった隙に、居なくなってしまいそうで。
「毎週毎週、どこで何してんだ? お前ら」
「特には、何も。最近は九十九くんの家で、本を読んだり」
家!? なんて、そんな二人して声を張り上げなくても。
「お家に通ってるの? 一透ちゃん」
「うん」
「親御さんはいるんだよな?」
「いない時も多いかな」
真咲ちゃんは手を目に当てて天を仰ぎ、結季ちゃんは唇をわなわなと震わせて顔を青くする。
そんなに大層なことだろうか。結季ちゃんのお家にだって行ったことはあるのに。
「何か、変なことしてたりするわけじゃないんだよね」
「しないよ」
九十九くんに限って、そんな心配はないだろう。むしろ距離を取ろうとする九十九くんに私の方から張り付きに行っているくらいだ。
していることだって、床に座ってベッドを背もたれに本を読む九十九くん、に私ももたれ掛かって借りた本を読んだりとか、そのくらいだ。
あとは、意外なことに、九十九くんの部屋には携帯ゲーム機もあった。少し古い機種で、ゲームソフトも一人用のものが多く、対戦が出来るものであっても、ゲーム機本体もソフトも一つずつしかなくて一人でしか遊べない状態だったけれど。
それを借りたこともあった。ただ、私はゲームはあまり上手くなく、自分でやるよりも人がやっているのを見る方が好きだったので、時折、九十九くんにせがんでプレイしてもらっては手元を覗き込んだりもしている。
あと他にしたことがあることと言えば、疲れていたのか、座ったまま小説を手に眠ってしまった九十九くんの寝顔をひたすら眺め続けることくらいだろうか。
だから安心して、と話したのに、何故か向けられた視線は冷ややかだった。
「それで、ニノマエくんは?」
「ちょっと鬱陶しそうな顔はするけど、好きにさせてくれてるよ」
「こいつもこいつだけど、ニノマエもニノマエだな」
どうしようもないものを見るような目をしないで欲しい。正直、私だってこれが適切な男女の距離ではないことくらいは自覚している。
だけど、そんなことを気にしている余裕がないのだ。九十九くんから離れたくない。目を離したくない。少しも、彼の傷や痛みを見過ごしたくない。
「弁えるべきところは弁えているつもりだから、大丈夫だよ」
「一透ちゃんがそう言うなら、まあいいけど」
今だって九十九くんと離れて二人と食事をとっているし、トイレまでついていくのは言われた通りやめるつもりだ。嫌だと言われたことまでは、無理にはしない。
「ベッドの下とか、辞書のカバーの中とか探るなよ。何が出てきても知らねえぞ」
「大丈夫。何もなかったよ」
「一透ちゃん……探ったの……?」
「どこが弁えてんだよ」
やはり駄目だったのだろうか。まあ駄目と言われても、九十九くんの部屋はもう一通り散策し終えているのだけれど。
なんなら、下着が仕舞われている場所まで知っている。ここは何だろう? と開けた引き出しが偶然そうで、タイミングよくお茶を淹れてくれた九十九くんが部屋に戻ってきた時は、それはそれは物凄い空気になった。あの引き出しだけは、もう二度と開けない。
うん。やはりちょっとやり過ぎたかもしれない。二人の叱責は甘んじて受けよう。間違えたなら反省すればいいのだ。心の中で頭を下げる。ごめんなさい。もうしません。
でも、黒や紺以外の下着もあっていいと思うよ、九十九くん。
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