第137話 新しい一歩目
修学旅行、最後の夜。学年全体でのレクリエーションが執り行われた。
ダンス部のパフォーマンスやクイズ大会。軽音部の弾き語りもある。あの楽器はどうやって持ち込んだのだろう。
ステージと化したラウンジ脇のテラスに向かうようにして、ホテルのプライベートビーチから観覧すること三十分。なんだか煌びやかで賑やかな空気に疲れてしまって移動する。
ビーチ側からラウンジを越えて物陰へ。丁度いいところにベンチを見つけた。周囲は暗いけど、ステージは輝いている。眺めやすくて丁度いいか。
賑やかなのは嫌いじゃない。思いっきりはしゃぐのだって。むしろ好きな方だと思う。
だけど、陽のあたる眩しい場所よりも、少し離れて見守れる木陰の中が好きになってしまったのは。これも、彼の影響かな。
「混ざらなくていいのか」
顔を思い浮かべた人の声が暗闇から聞こえてきた。ベンチごとひっくり返りそうになって、ガタガタと音を鳴らしてしまう。
「つ、九十九くん?」
よく見ると、一つ奥のベンチに誰か居る。暗くて見えないけれど、九十九くんだろう。
「九十九くんは、見に行かないの?」
「ここでいい」
「じゃあ、隣に行っていい?」
聞いておいて、すぐに移動してしまうつもりだった。だけど、返事がなくて動きを止める。
「九十九くん?」
「……今日は、連れて行かないのか」
今日は。前は? そういえば、皆と関われるところに連れ出してくれたと、彼は言った。覚えはある。今回もまた、連れ出した方がいいだろうか。
「一緒に行く?」
「いや、ここでいい」
「うん。私も、九十九くんとここに居たい」
言いながら移動する。近くなった分、さっきまでよりは姿がよく見えるけれど、まだ表情が読めない程度には暗い。
これならそんなに緊張せずにいられそうだ。しばらくはもつだろう。
「九十九くん。修学旅行、楽しかった?」
「ああ」
「一日目、大変だったけど、勉強になったね。そういえば、叩いてごめん」
「いい」
ああ、そうだ。彼とはいつもこんな風に話していたんだった。
「シーサーの交換、約束だからね」
「分かっている」
「連写した私の写真、消してくれた?」
「お前も俺の寝顔消してくれたら消す」
「嫌です。……水族館も綺麗だったね。ショーとか見れる時間があったら良かったのに」
「……そうだな」
暗くて顔が見えないからか。修学旅行も残り少しだという寂しさで緊張が紛れるからか。何だか自然体でいられる。ずっと、こうだったらいいのに。
「今日も、ごめんね」
「お前まで濡れなくて良かっただろ」
「でも、一緒が良かったから」
「……そうだな」
明日はどんな事があるかな、何を食べられるかな、なんて。そんな話をしようとしたところだった。
「一緒が良かった。朝も昼も、夜も。資料館を回るのも、シーサーを作るのも、水族館も。一緒に居たかった」
思わず九十九くんの方を見る。今のは本当に九十九くんの言葉だろうか、なんて、そんなことまで考えてしまう。
「……悪い。口にするつもりはなかった」
それは、本心ではあるということだ。
「ごめん、私が逃げちゃうから」
「いい」
九十九くんは、俯いている。表情は見えないけれど、声に力がない。あの日の後夜祭の時間みたいに。
「俺がお前に触れたいと言ったから頑張らせてしまっているのに、無理しなくて良いなんてどの口が言えるって話で。そう言った癖に、またこうして甘えてしまう。なあ、お前も」
躊躇いながら、怯えながら、それでも言わずにいられないみたいに、君は言う。
「お前も、俺と距離を置くと決めた時、思ったりしたのか? こんな、身勝手な自分が嫌だって」
あの日のことが、気持ちが、胸に再び溢れてくる。
「うん」
ごめんね、九十九くん。全部受け止めてくれて優しいな、なんて思ってた。君の不安も、戸惑いも、聞いていたのに。平気なのだと思ってしまっていた。
「私も、そうだったよ。美法ちゃんに笑いかける九十九くんを見て、ずるいと思った。何で私じゃないのって思った。他の誰とも仲良くならなくていいから、私と一緒にいて欲しかった」
「なのに、距離を置くことを選んで、それでもずっと、俺のことを見てくれていた。距離が離れても、居なくならないでいてくれた」
ちゃんと出来ていたかは、私には分からない。九十九くんがまた私を捕まえてくれていなければ、そう言ってもらえたか分からない。
「俺は、出来なかった。離れられなくて、待ってもいられなかった。いつも自分のことばかり」
そんな事ない、とは言えなかった。言う必要も、ないと思った。
「お前が思ってくれているような人間でいたかった。優しくて、人のことを思いやれて、歩み寄れるような、そんな人間に。なのに俺は、いつの間にか身勝手な気持ちしか持てなくなってる」
「んふ」
九十九くんが顔を上げて、こちらを向くのが分かる。表情も。暗くて見えないけれど、きっと今、君は驚いたような顔をしている。
「ふふ、ふふふふっ」
「……笑うところか」
「だって、その身勝手が、私と一緒にいたい、なんだもん」
九十九くんは真剣に言ってくれているのだと分かるけど、分かるからこそ、嬉しくて仕方がない。頬が緩んでしまう。
「私もそうだよ、九十九くん」
「一緒にするな。俺はそんなに、純粋な気持ちばかりをお前に向けている訳じゃない」
「それも、私もだよ」
君の手を取る。私を傷つけやしないかと、怯えるように強張る手。
自分の気持ちだけで精一杯だったときはあんなに慌ててしまったのに、君の気持ちが分かると、もう逃げ出したいだなんて思わない。
「私も、九十九くんが思うほど、純粋なだけの女の子じゃないよ。君に触れたいし、君に触れて欲しい」
掴み上げた君の手を、自分の胸に押し当てる。一番心臓に近い場所。心が、鼓動で伝わる場所。
「伝わる?」
「っ、おい」
「自分の身体を大切にしていないから、こうしているわけじゃないよ。私よりも私を大切にしてくれる君にだから、委ねられるの」
君の身勝手は、私と一緒にいたいと思うこと。私の我儘は、君と一緒にいること。私達はお互いを求め合っている。
それを君が教えてくれたから。もう私じゃない方が、なんて思わない。君にとっての幸せから、自分を切り離したりしない。
君に向けられる沢山の無関心にも、新しく仲良くなった人の好きにも、負けたりしない。
私が一番、君を求めてる。
「九十九くん」
だけど、九十九くん。私はそれさえ叶えばそれでいいなんて、思ってないよ。
「私を君の、一にしてください」
それが、私と君の新しい一歩目。その上に。
私は君と、九十九の幸せを積み上げる。
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