第93話 鮮血

過激なシーンが含まれます。

心の不安定な方はご注意下さい。

_____




 進藤くんに逃げられたあと、教室でいつもの二人と食事をとる。九十九くんではなく、進藤くんの方に向かっていったのを見ていたのだろう。なんだか凄く圧を感じる視線が結季ちゃんから飛んでくる。


 だけど、飛んでくるのは視線だけ。チョコレート作りのあと、強引に踏み込み過ぎだと真咲ちゃんからお叱りがあったらしく、あれ以来口は出さないようにしてくれている。視線は飛んでくるけれど。


 その真咲ちゃんはというと、


「お前の気持ちが何であれ、あたしらはお前の味方だからな。まあ、行き詰まったら、相談くらいしろよ」


 と、それだけを言って見守る姿勢を貫いてくれている。


 優しく見守ってくれる真咲ちゃんにも、私のためを思って踏み込んできてくれる結季ちゃんにも、これ以上なく助けられている。


 だから、ちゃんと答えを出したいとは思っているのだけれど、あの日の結季ちゃんからの質問に対する答えはまだ見つかっていない。


 そのお陰で、私の方も彼への接し方を見失ってしまい、なんだかギクシャクしてしまっている。チョコレートもまだ渡せていない。


 つい後回しにし続けてしまい、今に至ってしまった。もうここまで来たら放課後でいいだろう。


 適当に渡しておしまいにするだけなら、すぐにでも出来る。でも、進藤くんも、特別でいいと言ってくれた。今更何かを追加したりはしないけれど、渡し方くらいは改まってもいいだろう。


 それでいい加減、このぎこちない関係も修復できたら良いなと思う。



−−−



 放課後になった。いい加減、背中に刺さる結季ちゃんからの圧力にも耐えきれない。勇気を出して、九十九くんに声をかける。


「九十九くん。一緒に帰ろ」


「……ああ」


 その返事から、何かの迷いや戸惑いを感じるのは、これで何度目だろうか。


 あの日の結季ちゃんの問いがあってから、やたらと細かいことばかりが気になってしまう。


 九十九くんが私に向ける目には、やっぱり、邪な気持ちなんていうものがあるようになんて見えないけれど。


 じゃあ、君は。君には、私はどう見えているのかな。


 初めてのデートのとき、君はどんな気持ちだった?


 私は、本当は、少しだけドキドキしていたよ。君に会ったら、もうすっかりいつも通りになったけれど。


 文化祭のとき、かわいいと言ってくれたのは。社交辞令だった? 本心だった? そこに、深い意味はなかった?


 私が隣にいると、安心すると言ってくれたのは。それは、今でもそう? 居心地悪く思っていたり、しない?


 君にとって、私は何でいられるかな。


「九十九くん」


「二人とも、ちょっと……ごめん、邪魔した?」


 思わず口から何かが零れ落ちそうになったところを、進藤くんが割って入った。助かった、かもしれない。こういうとき、私がうっかり口を滑らした言葉は大抵碌な結果を生まない。


「いや。何だ」


「いやね、冬紗先輩から駅前の広場に呼び出しがあったんだけど、二人も一緒にどうかなって」


「一人で行け」


 先輩には会いたいが、まだ九十九くんにチョコレートを渡していないのでどうしようかな、などと悩む隙もなく、九十九くんが断った。


「ハジメ、まだ先輩のこと苦手なのかい? いい機会だから、そろそろ克服――」


「今日が何の日かくらい分かっているだろう」


 進藤くんの言葉が止まる。そうか。自分のことばかり考えていたけれど、先輩にとっても、今日は。


「俺達を言い訳に逃げようとするな」


「……こういう時だけは、君を敵に回すべきじゃないね」


 苦笑する進藤くんの目は、本当に九十九くんを敵だなんていう風に見てたりはしない。


「頑張って、進藤くん」


「うん。ありがとう、二人とも。行ってくる」


 前を向いて走り出す進藤くんの背中に、迷いはない。なのにどうして、隣の君の方がそんな顔をしているのだろう。


「逃げるな、だなんて、どの口が言えるんだかな」


 それは、自分への戒めだろうか。


「九十九くんは、逃げてないよ」


 冬紗先輩からも、進藤くんからも、私からも。今日だって、一緒に帰るのを断ったりしなかった。距離を置いて向き合い方を探すのと、逃げるのは同じことじゃない。


「先輩には、ちょっと会いたかったけど。結果も直接聞けたら嬉しかっただろうし」


「結果?」


 九十九くんは、まあ知らないか。私も個人的なメッセージのやり取りで聞いただけだ。


「冬紗先輩、今日第一志望の結果出るんだって」


 彼が、息を呑む音が聞こえた。


「九十九くん?」


 九十九くんの心の靄が黒ずんでいく。もぞもぞと蠢く。強い不安と、迷いの匂い。


 そういえば、九十九くんはクリスマス以降、先輩と会っていないのだろうか。


「九十九くん、大丈夫だよ。私、元旦にも先輩に会ったけど、私と進藤くんの写真、楽しみにしてくれるって言ってた。九十九くんがあげたペンダントにも、お兄さんが撮った写真を入れてた。先輩は、大丈夫だよ」


「……そうか」


 匂いも、動きも、弱くなる。だけど、色は薄まらない。それがなんだか、私がそう言ったからって、自分を言い聞かせようとしてるみたいに見えたから。


「私は、大丈夫だと思う。だけど、九十九くんが不安なら、行こう」


 まっすぐ、彼に手を差し出す。


 考えて、心配になってしまうなら、行動してみればいいのだ。それから、その結果や責任と一生懸命に向き合う。君が教えてくれたこと。


 そんな顔で、そこにあるかもしれない誰かの痛みから目を逸らす理由を探すなんて、君らしくない。


 そんな君は、見たくない。


 迷っても、葛藤しても。それでも君は、私の手を取ってくれたから。強く握って走り出す。


 君も、私の手を引いてくれた。その時君は、私の番が来たら頼りにしてくれると言ってくれた。その時返せって、言ってくれた。それを、文化祭のときだけの話だなんて、私は思っていない。


 今度は、私が君の手を引く番なんだ。



−−−



 私が手を引けたのなんて最初だけで、校舎を飛び出す頃には、もう九十九くんは前を向いていた。


 私はいつの間にか、私の前を走る九十九くんについていくのでやっとの状態になっている。人通りや信号のお陰で、九十九くんが全力疾走出来ずにいなければ、私は九十九くんを見失っていたかも知れない。


 ついて行くのは大変だけれど。あんなに意気込んだのに、私が手を引いたのなんて一瞬だったけど。誰かのために一心不乱に駆ける九十九くんの背中は、広くてとても頼もしい。


 やっぱり君は、こうでなくっちゃ。


 駅に飛び込む。進藤くんの言っていた広場は、学校側の出口の真反対だ。まっすぐに構内を駆け抜ける。広場はもうすぐ見えてくる。


「いっ」


 胸が痛い。これは、前を走る九十九くんだろうか。彼は人にぶつかるのにも構うことなく加速する。


 柔らかいとか、硬いとか、なんとなくの質感を触覚でキャッチすることはたまにあったことだけど、私の〝感覚〟が人の心を痛みで感じ取ったのは、初めてのことだった。


 彼が掻き分けた人の中を、私も駆け抜ける。駅を抜けた。広場。奥に、進藤くんと冬紗先輩。


 先輩の手には、何か、鈍色の光。それが、首に――。


「九十九くん!」






 鮮血が迸った。


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