第66話 前進=軽口
放課後、いつものように、部活に向かう真咲ちゃんと結季ちゃんに手を振って別れようとすると、その手を取られる。
「いいか、歩道の狭い道や人気のない道は避けるんだぞ」
「これ、わたしが小学校の時にもらった防犯ブザー持ってきたから、何かあったら鳴らすんだよ」
確かに最近の私はぼーっとしているけれど、これはあんまりな扱いだと思う。
「子どもじゃないんだから、大丈夫だよ」
「いや、最近のお前は子どもより危なっかしいんだよ」
ぐうの音もでない。
「ニノマエくんが出たら鳴らすんだよ」
結季ちゃんに関しては、何やら別の心配もしていそうだ。
「九十九くんは不審者じゃないよ」
「ストーカーは一透の方だしな」
「す、ストーカーじゃないもん」
心外だ、とは思うけど、呆れ返った視線を向けられてもなお真っ向から否定できるほどの自信はなかった。
最近はあまりこそこそせず、ちゃんと真っ直ぐ接しているつもりなんだけどな。
「なんにせよ、気をつけて帰れよ」
「またね、一透ちゃん」
「うん。またね、二人とも」
今度こそ、手を振って二人と別れる。昇降口へ降りて上履きを履き替えていると、後ろから声がかかる。
「今日は、どこか寄るのか」
九十九くんだ。彼も同じように靴を履き替える。
「ううん、真っ直ぐ帰るよ。九十九くんは?」
「……駅まで、送る」
そう言って、先に履き替えて私を待つ彼も、私を心配しているのか。それとも、これが彼なりの「一緒に帰ろう」なのか。
きっと、どっちもなのだろうな。そんなことを考えながら、彼と並んで帰路に着いた。
「九十九くん、これ」
「なんだ」
「防犯ブザー。結季ちゃんが貸してくれたの。何かあったら鳴らしてって」
「何かってなんだ……」
私から防犯ブザーを手渡され、困った顔をする九十九くん。何かがなんなのかは私にも分からない。
「結季ちゃんは、九十九くんが出たら鳴らせって」
「随分嫌われたな」
「嫌ってないよ」
彼女は九十九くんを嫌っているわけではない。ただ、色んな感情が
防犯ブザーを私に返す九十九くんは、どちらでも良さそうだ。結季ちゃんのことをどうでもいいと思っているのではない。自分が人から悪く思われたり、興味を持たれないのに慣れてしまっているのだ。
私はそれを、悲しく思うけれど。
「九十九くん」
「悪い。わかってる」
何かを言おうとすれば、こう返される。彼は今、ゆっくりだけど変わろうとしているのだ。私の気持ちも、分かってくれているのだろう。彼はいつも、人の気持ちのために動くから。
だから私も、それを見守るつもりでいる。分かってくれているのなら余計なことを言う必要もない。
しばらくそうして歩いていると、九十九くんが切り出した。
「写真部の先輩と、何かあったのか」
「進藤くん?」
「ああ。詳しくは聞いていないが」
そうだろうなと思う。彼の情報源になりそうなのは、そこくらいだ。
ただ、何かあったかと言われても、なんと言えばいいかわからず困ってしまう。特別な事があったわけではない。私が勝手に、見てしまっただけで。
「仲良くお出かけしたよ」
だから、そうとしか答えられない。
「何を悩んでる」
それで十分かと思ったのに、九十九くんはさらに聞いてきた。彼がこんなに食い下がるのは珍しい。
「九十九くんは、どうして迷わないの? 聞かないほうがいいんじゃないかとか、踏み込んだらいけないんじゃないかとか」
つまるところ、私が悩んでいるのはそれだった。垣間見えた先輩の心の暗い部分に、触れて良いのかわからずにいる。
「お前が言うか」
なのに、九十九くんから返ってきたのは、心からの呆れだった。
「思うに決まっている。俺は、それで踏み込めずに失敗したことの方が多い」
きっと、それだけではないのだろうけれど、それでも何のことを言っているのか、心当たりがある部分はあった。
「そんな俺に、お前が踏み込んできてくれたんだろ」
彼の目は、真っ直ぐだった。いつも通りに。
「だから俺は、少なくともお前には、踏み込むことをやめたりはしない。聞かない方がいいことも、踏み込んだらいけないこともあると思うけど、知ろうとすることすらやめて、お前の痛みや自分がしてやれることからも目を逸らしてしまう方が怖いから」
それが、答えだった。彼から私への。そして、私から冬紗先輩への。
「大丈夫」
彼はいつも、気づかせてくれる。
「俺は、目を逸らさず、いつも真っ直ぐに向かってきてくれるお前に助けられてる。だから、大丈夫」
返せたと思っても、対等になれたと思っても、やっぱり私は彼に甘えている。今でも彼は、たくさんのものを私にくれる。
だけど、それだけじゃなくて。私が彼に渡したものも、ちゃんと彼の中にある。
私達は変わっていないように見えて、少しずつ、お互いを分け合って変化しながら、前に進んでいるんだ。
「九十九くん」
なんだ、って目線が伝えてくる。
「泣いちゃうから、やめて」
一瞬呆けた顔をしてから、小さく笑って、彼は言う。
「泣き虫」
「……うるさいな」
「また泣きそうになったら、電話してくればいい」
「そういうの、ずるいからね。九十九くん」
「何がだ」
「ぜんぶ」
私が思い切り甘えて彼を振り回すことはこれまでにもあったけれど、こんな風に軽口を叩きあうのは、初めてのことだった。
その日はそれ以上、九十九くんは何かを聞いてくることはなかった。私の迷いが晴れたことが伝わったのだろう。
でもきっと、ちゃんと見守ってくれていて、また迷うことがあれば助けに来てくれるのだ。今回みたいに、さり気なく。
だから、駅についてから届いた冬紗先輩からのメッセージには、迷うことなく返事をすることが出来た。
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