36 狩ってみた
翌日、朝はまたトーシャを部屋に残して、工事現場に向かうべく外に出た。
しかし、いつもと町の様子が違う。
通りに人が多く、高声を交わしながら足を速めているようだ。
特に忙しないのは、北の方向か。
遠く、ピーー、という甲高い笛の音のようなものが聞こえてきている。
こちらに小走りで移動する人が多いのを見ると、避難指示とかそんなものが想像される。
逆に、そちら方向へ衛兵が数人向かっているようだ。
顔見知りを見つけて、駆け足で近づいた。走る速さに合わせて横に並び、問いかける。
「どうしたんですか?」
「ガブリンが出た。まだ北の森の中だが、町外れの住宅からでも見えるほど近づいているそうだ。北側の住民には、避難しろと呼びかけている」
「一匹ですか」
「見えたのは、一匹だそうだ」
「あれがとうございます!」
礼を言って、すぐに踵を返す。
宿の部屋に飛び込んで、怒鳴り声を叩き込んだ。
「トーシャ、魔物狩りに行くぞ!」
「何だ、どうした?」
「北の森に一匹、例のガブリンが現れたそうだ」
「あいつか!」
慌てて支度しながら、トーシャも怒鳴り返す。
剣を腰に差して、すぐに出てきた。
「それにしても、狩れるのか?」
「一匹ならまず、大丈夫だ。仕留めるだけなら僕一人でもできる。ただトーシャのレベルアップのためには、少なくとも自分で止めを刺さなきゃいけないんだろう? 僕が相手の動きを止めたところで、剣を使え。できるか?」
「やるしかねえな。頼んだぞ」
「ああ」
宿を出て、北に向かう。
門に続く人通りが多い道は避けて、数本分東寄りの通りに足を急がせた。
「足は大丈夫か?」
「ああ。全力疾走は無理だが、この程度なら走れる。痛みももうない」
「よし」
町外れに近づく。
五百メートルほど西に見える門のところには十人ほど衛兵が集まって、それ以上外に出ずに様子を窺っているようだ。
こちら側にはすでに壁が建設されてきているが、まだ高さは一・五メートル程度というところだ。ふつうの人間で楽々越えられるし、あの図体の魔物には何の障害にもなりそうにない。
そのため、壁の中から森の全容が見えている。こちらから町民が魔物を見つけたということだろう。
今ははっきりと、その姿は見えないが。
目を凝らすと、森の木の間に動くものがあるようだ。
『鑑定』すると光が見え、【ガブリンと名づけられた魔物】の表記があった。
頷き合い、友人とともに建設中の壁を越える。
「おい、何だお前ら!」
「危ないぞ、すぐ戻れ!」
向こうの門から声がかけられたが。
気にせず数十メートルの草地を駆け抜けて、森へ飛び込んだ。
魔物の位置から五十メートルほど横手を狙って、木立の間を辿る。
こんな木の間では戦闘が難しいし、万一相手が町方向へ走り出したら、制止が間に合わないかもしれない。もう少し逆方向へ誘導してから、戦端を開こうと思うのだ。
大きく北側へ迂回して、やはり五十メートルほどの距離をとる。
そこにトーシャを待機させて、半分ほど距離を詰め。大きな毛むくじゃらの背中へ向けて、思い切り石礫を投げつけた。
二個、三個。
続けざまにゴツゴツ、と鈍い音が響いて、魔物がこちらを振り向いた。
ぐわあああーー。
大きな口から咆哮が上がり、こちらを睨みつけてくる。
本来なら一見しただけでたちまち足が竦んでいそうな、さながら悪鬼のような形相だ。
敵と認めたか、餌認識したものか。たちまちどすどすと、足音高く向かってきた。
ただ木立に阻まれ、茂みに足を取られて、以前の草原で見たより速度は出ないようだ。
もう一個礫を投げて気を惹いてから、振り返って呼びかけた。
「トーシャ、走れ!」
「おお!」
北へ向けて、一散に走り出す。
木や草に阻まれるのは同じだが、図体を比べると追手より有利なはずだ。
先日来て、少しこの先に木立が途絶えて草地になっている場所があるのを知っていた。まずは、そこが目標だ。
「大丈夫か、トーシャ?」
「お、おお……」
やはり完治していない足で、隣の走りが鈍ってきている。
数十メートル後ろには草や落ち葉を踏み躙る地響きのような足音、低木を払い折る破壊音が、少しずつ距離を縮めてきている。
ある程度の距離を保って空き地へ出ることが勝利条件と踏んでいるので、もうひと踏ん張り、相棒を励ますしかない。
「もう少しだ、頑張れ!」
「おお――」
どすどす、ばきばき、と背筋を凍らすような音に急かされ。
焦燥に足がもつれんばかりになりかけながら。
ぐわあああーー。
大咆哮がすぐ背中傍から浴びせられる、そんな恐慌の中。
「そこだ!」
木立の終わり、その隙間にやや広く開けた緑の草地を目にして、声を高める。
「ラストスパートだ、トーシャ!」
「おお!」
木々の障害が消えて、平らな草原にひときわ足を速める。
こちらから見て、縦二十メートル横五十メートルほどの、森の只中に開けた平地だ。
二人して、たたらを踏むような足どりで、その中央辺りまで駆け込む。
ゴールした感動の余裕のありようもなく、息弾ませたまま向き直る。
気を落ち着かす暇なども、もらえるはずもない。一呼吸の後にはもう目の前の低木がなぎ倒され、毛むくじゃらの巨体が勢いのまま飛び出してきた。
「剣の用意、いいか?」
「おう!」
そんな言い交わしの間にも、十数メートル先の巨躯がスピード緩めず、肉薄してくる。
ぐわあああーー。
勝ち誇りのように、一声高々と
丸太のような両腕を大きく挙げ広げ。
肉薄。
迫り来る。
こちらの倍もある高さから、掴みかからんと指先まで力込められた両手が。
斜め上から、振り下ろされ。
ぐわあああーー。
牙の間に糸引く涎まで、大写しに迫って見えてきた――。
瞬間。
ドスーン。
地響きを立てて、その巨体はもんどり打ち、顔面から草地に突っ込んでいた。
踏み出した足、すぐ膝下に出現した直方体の石につまずいた、その結果だ。
「行け!」
「おう!」
すかさず、抜刀していたトーシャが前へ躍り出た。
相手が体勢を直す隙を与えず、その首元、延髄へと剣を突き立てる。
使えるのは右手だけだが、そこに全体重を乗せて。
表皮の硬さが案じられたが、そこはさすが神様謹製の剣だった。ズブリと、たちまちその刀長の半分ほどが毛皮の奥に埋まっていた。
ぐわあーー。
顔をもたげた雄叫びは、一瞬で。
ひときわ大きく全身を震わせた後。
さしもの巨躯も、間もなく動きを失っていた。
「やったか?」
「おお!」
会心の笑顔で、トーシャは愛剣を引き抜く。
血を払って、鞘に収める。
直後、その目が大きく瞠られ、天を仰いだ。
「お!」
「どうした?」
「レベルアップ、した!」
「おお、おめでとう!」
傍目には何の変化も見られないが、本人にだけ分かる報せがあるのだろう。
大きく、剣士は何度も頷いている。
動きを失った巨体の向こうに鎮座した石ブロックを『収納』し直しながら、問いかけた。
「やっぱり、止めを刺すので条件を満たすんだな。何か感覚的に変わるのか?」
「いや、特にはないが。気のせいかな、身体に力が行き渡る気がするな」
「戦闘能力なんだから、その場になってみないと分からないのかな」
「かもしれん」
「とにかくも、ここへ来た目的は達したわけだ」
魔物の町への侵攻を防ぐのとトーシャのレベルアップが目的だったのだから、これで満点の結果と言える。
じゃあ戻るか、と周囲を見渡す。
そこで、妙な気配。例えて言えば首筋にひりつくようなものを感じた。
「え……?」
「何だ、こりゃ」
気を取り直して、耳を澄ますと。さっきから背中を脅かしていたものと同様の音声が、遠くに聞こえているのだ。
ばりばりと木を倒すような。がさがさと藪をかき分けるような。
向かい、北側にさらに続く森の奥かららしい。
「大きいな。そこらの獣じゃないようだ」
「こいつの仲間、かな」
「かもしれん」
検討を続ける必要は、さほどなかった。
言い交わしている間にも騒音はぐいぐいと近づき、間もなくすぐ向こうの森の木が倒れるのが見えた。
その間から、予想通りの魔物の巨体が現れる。
「やっぱり、まだいたのか」
「そのようだな」
顔を引き締めて、トーシャは再び大剣を抜き放った。
「今度は最初から、俺に任せてくれないか。さっきの手順を一人でできるか、試してみたい」
「分かった」
掴んでいた木の幹を投げ捨て、魔物はドスドスとこちらへ向けて駆け出した。
ぐわあああーー。
餌を見つけた、そんな歓喜の籠もったような軽快に弾む足どりだ。
剣先を斜めに下げた姿勢で、トーシャはタイミングを計っている。
巨体の接近が、十数メートル、十メートル、と距離を縮め。
大きく足を踏み出した。
そのすぐ先に、石ブロックを出現させる。
「早い――」
こちらの呟きは、意味をなさなかった。
半歩先に現れた障害物に気がついた魔物は、咄嗟に対処行動をとっていた。
その巨体に信じられないほどの、跳躍。
つまずかせる目的で低いブロックを使っているので、間に合えば跳び越えは可能なのだ。
さながらハードル走の選手のように高々と斜め上へと身を躍らせ、ブロックを越えたその足は、トーシャのすぐ面前に着地しようとしている。
「く――」
「助勢する!」
呼びかけて、一歩踏み出した。
次の瞬間。
魔物の巨体は、地表の下まで沈んでいた。
着地するはずの地面から、大穴分の土を『収納』した結果だ。直径三メートル、深さ二メートル見当の穴に、その胴体がすっぽり収まっていた。
さらに続けて。その頭上から今収納した土の九割見当を振り落とす。
ぐわあーー。
雄叫びを上げる巨体が、たちまち首から上だけを残して埋め尽くされた。
なすすべなく、魔物はその頭だけを振り立て続ける。
「感謝!」
一声上げて、トーシャはその後ろに回った。
地面から突き出した首の後ろ、またその延髄辺りへ剣を振り下ろす。
横向きで体重がかからない分、一度で止めとはならなかった。それでも二度、三度の斬りつけで、大きな頭部がゴトンと傾く。
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