113 殺菌してみた

 年が明けたとはいえ、初詣でや新春大売り出しといった習慣はない。

 一の月の一の日は仕事を休みとし、二の日から働き出す、という単純なルールのようだ。

 新年の挨拶回りも、商売上懇意にしている相手同士で行われる程度らしい。ふつうには、近所で知り合いと顔を合わせると「今年もよろしく」と言葉を交わすくらいだという。

 ということで、二の日には見習い修行の者たちの出勤を見送る。

 元日本人として何となく落ち着かないので、三の日にはイザーク商会に挨拶に出向いた。ジョルジョ会長は全身で上機嫌を表すかの所作で迎えてくれた。


「今年は、正念場だ。イーストで、天下をとる」

「ご武運を祈ります、って感じですね」


 ほとんどこちらの手を離れて、もうあとは応援するしかないという、やや第三者的目線になってしまう。

 それでもこの商会の業績が今後こちらの収入に直結するのだから、全力応援は惜しまないところだ。


「例の新しい味の包み焼きも好評で、例年よりかなり売り上げを伸ばしている。うちの家内も大喜びだよ」

「それはよかったです」


 そんな近況の報告を交わした後、頼み事をされた。

 一度、イーストの製産場を見に来て欲しいという。一年の中で最も気温の低いこの時期、発酵させたイーストの完成タイミングの見極めが難しいということらしい。

 雪が積もっているここしばらくは外出する用事もなく言わば暇を持て余している身分なので、快諾する。二日後に会長とともに出向くことにした。

 製産場は町の東端に近い位置どりで、徒歩で三十分ほどの距離にある。歩きにくい雪道だが、ここしばらく出不精気味になっているところ、よい運動になりそうだ。


 当日は会長と、橇で荷物を運ぶ職員三名とともに、雪道を踏んで東へ向かった。

 住宅地を抜けると、夏場は畑になっているらしい雪原の中に、いくつかぽつぽつと何らかの施設が点在するだけの見晴らしになる。

 以前にも一度訪ねた場所だが、積雪前とは景色が一変した印象だ。

 木の壁や柵程度に囲まれたそんな施設を巡る格好の雪を踏み固めた道を辿り、最端の石造りの建物に到る。

 作業所に招き入れられ、温度管理の具合やイースト発酵の見極めなどについて打ち合わせをする。

 簡単な注意点の確認程度で、昼前に用事は終わった。

 帰り道、往路よりは軽量の出荷品を積んだ橇の後ろを歩きながら、会長に尋ねた。


「前から気になっていたんですが、そこの奥手にある広い施設、牛を飼っているんですか」

「ああ、うちの商会も懇意にしているが、主に牛車用の牛を育てている牧場だね。量は少ないが、牛の肉も卸している。若い牛の肉は、高級品なんだよ」

「そうなんですか。牛の乳を売りに出すということはしていないんですか」

「牛の乳? 聞いたことはない――いや、そういえばずっと西の方の国ではそういうのが飲まれていると聞いた気がするな」

「この国では馴染みがないですか。確かに、見たことがないですものね」

「何かまた、ハックくんにそんな知識があるのかね」

「そんなくわしいわけではないんですが。かなり栄養価の高い飲物だし、料理にも重宝すると聞いたことがあります」

「ふうん。いやしかし、はっきり覚えがないが、味が悪いとか飲むと腹を壊すとか、そんな話を聞いた気がするな。西の国の方とは牛の種類が違うのか」

「そうなんですか」

「しかし、ハックくんの知識や直感みたいなのは馬鹿にできないと、十分身に染みているからね。ちょっと寄って、話を聞いていこうか。付き合ってもらえるかね」

「ああ、はい」


 門から雪が退けられた道を辿り、家屋に入る。

 話の通り会長は顔馴染みらしく、応対した職員はすぐに牧場長だという恰幅のいい老人を呼んできた。

 向かい合って椅子にかけ、今年は子牛の成育がよさそうだ、などという話を交わして。

 会長が牛の乳について尋ねると、牧場長はううむと唸った。


「栄養があるのは分かっているのだがね、売り物にはならんのさ。匂いを嫌うもんがいるのは慣れ次第だと思うんだが、飲んだ後で腹を壊す者が多いのは無視できねえ」

「何となく聞いた気はするが、やはりそうなのかね」

「ああ。栄養がいいのはまちがいないらしいんだが。患者に手っとり早く栄養つけさせるのにと、医者が買いに来ることがあるぐらいだ」

「そうなのかい」

「それを考えるともったいない気もするんだがな。しかし売り物にならねえんだから、仕方ない。子牛に飲ませても余る分は、毎日捨てているさ」

「腹を壊すというのは、一度熱しておいても駄目なんですか」

「一回沸かしたら、ぶくぶくで見た目も悪くなっちまうしな。膜とか滓とかみたいなもんができちまうんだが、偉い人の話じゃ、それで栄養分が抜けちまうってことだし」

「なるほど」


 こちらからの質問にも、あっさり答えてくれる。

 牛乳の殺菌ってどうするのがいちばん効果的だったろうか、と一通り思い巡らすが、明瞭な回答は浮かばない。

 当てずっぽうで何かしら試してみることなら、できるだろうか。


「そんなぶくぶくにならないように火を抑えて熱しても、駄目なんでしょうか」

「俺は試したことはねえんだが、やってみた者の話じゃ駄目だったらしい。やっぱり腹壊す者は壊すと」

「でも、遠い国ではこれを飲んでいるところがあるっていうんですよね。牛の種類が違うとかですか」

「いや。実際見たわけじゃないが、大きな違いはないと聞く。だから何か方法があるとは思うんだが、それが伝わってこないんさ」

「そうなんですか。情報が秘匿されているんでしょうか」

「牛の乳だけなら遠くまで売りに出せるもんでもないから、自分たちの利益を守るために必死に秘密にするってことも考えにくいがな。

あちらの国では、乳から作るチーズっていう加工品が高級食材として他の国にまで売りに出されてるという。そっちの製造法を秘密にしたいという事情じゃねえかな」

「へええ、なるほど」

「なるほど、チーズね。私も一度口にしたことがあるが、確かに高価な食材だという話だ」


 ジョルジョ会長も身を乗り出して頷いた。

 こちらとしては、『チーズ』というドンピシャリ聞き覚えのある名称が出てきて、驚きだ。

 もちろん『言語』スキルが翻訳しているわけだが、いつものような【地球の○○に近い】という扱いでなく直接この名称になったということは、十分前世のそれと同一視できるものなのだろう。

「実物を見てみるかい?」と誘われて、厩舎に移動した。

 年齢ごとに分けて飼育しているらしい牛が大勢のろのろ歩き回る小屋の脇、物置のような中にこの後廃棄するのだという牛乳が大きな一樽に集められている。

 これが一日分の量だとすると、飲用に使えるならば百人以上の口に入りそうだ。

 覗かせてもらって『鑑定』してみる。


【牛乳。雑菌を含む。このまま飲むと人体に害をもたらす恐れがある。】


 と出る。

 これもふつうに【牛乳】と表現されることからして、地球のものと大差ないと思ってよさそうだ。まあ搾乳用に品種改良などをした牛のものではないので、品質に高望みはできないのかもしれない。

 もっと詳細な『鑑定』を求めれば具体的な雑菌の種類や含む栄養素なども見えてくるが、今はそこまで必要としない。

 それでもとにかく、うまく殺菌さえすれば飲用に耐える可能性はあるのではないかと思われる。


「これ、譲ってもらうことはできますか」

「ああ。捨てるもんなんだから、勝手に持っていけ。飲んで腹を壊しても、責任は持たんが」

「ありがとうございます」


 交渉の結果、こちらも廃棄真際だというかめに入れて、申し訳ないほどの安価で譲ってもらうことになった。

 目分量、およそ五リットルといったところか。

 商会の曳いていた橇に乗せてもらって、街中に戻った。


「これがまた、商売の種になりそうなのかね」

「工夫次第で飲めるようにはできるかもしれない、という程度ですね。せいぜい自家用です」


 尋ねてきたジョルジョ会長に「飲めるようになっても、商会で扱う気にはなりませんよね?」と確認すると、「そうだな」と頷きが返った。

 商会の人たちと別れる角からは、瓶を抱えてえっちらおっちら歩くことになった。


「何これ、妙な汁だね」

「牛の乳なんだが、見たことはなかったか?」

「ない」


 戦利品の一部を鍋に移して火にかけていると、ニールが寄ってきて首を傾げた。

 初めて目にするのなら確かに、あまり飲食物とは認識できないかもしれない。

 それでもまあ助手が来たのでこれ幸いと、手伝いと記録をさせることにする。

 うんと頷いて、ニールは手馴れた様子で筆記の道具を揃えた。


「このまま飲んだら腹を壊したりする者が多いようなんだが、うまく加熱して原因を取り除いたら、凄く栄養のある飲物になるはずなんだ。特にここのみんなのような成長期の子どもには、効果が高いはずだ」

「へええ」


 地球のものと似ていれば何でも取り入れる、というつもりもないのだが。

 とにかく牛乳は子どもの身体に有用だろうし、殺菌に成功する望みは高いと思われるのだ。

 方法は『加熱』だけのはずで、温度と時間をいろいろ試行錯誤すればうまい具合を見つけられるだろう。

 これまでのイーストやミソなどでもそうだったが、基本的な作業手順に思い当たりさえすれば、あとは根気よくくり返すことで当たりを見つけられる期待は持てる。

 記録をしながら根気よく試行をくり返すという作業には、ニールが性格的に合っているようで、頼りにできる。

 何よりもこちらの強みは、『鑑定』だ。今回の場合なら試行の都度雑菌と栄養分の残り具合が確かめられるのだから、容易に最もよい方法を見極めることができる。

 つまりはだから、問題になるのはくり返す根気だけなのだ。


「確かめたいのは加熱する温度と時間だ。これをいろいろ変えながら、いちばんいい具合を見極める」

「分かった」


 前世のおぼろげな記憶をたぐる限り、「低温殺菌」という方法が温度六十何℃で数十分加熱だったと思う。その辺りを目安に、試行をくり返すことにする。

 温度計はないので、よく洗った指で触れて「かなり熱いけど十以上数える程度そのままにできる」「熱っ!と感じるけど五~六くらいは数えられる」「触っていられない」という感じの区別でいく。

 時間については、砂時計を使っている。四半時しはんとき用のものを何回ひっくり返したか、で今回の実験は十分だろう。

 いろいろ試して、「熱っ!と感じるけど五~六くらいは数えられる」温度で、砂時計を三回ひっくり返した辺りが最適と分かった。


【人体に有害な雑菌はほぼない】

 となり、

【カルシウム、蛋白質などの栄養素を含む】

 という状態だ。


「この辺で大丈夫と思う。まず試しに、俺が飲んでみる」

「ほんとに大丈夫なの?」

「もし失敗でも、最悪腹を壊す程度だ」

「ええーーー」


 まず一口含んでしばらく待ち、アレルギー反応などが出ないのを確かめる。生前牛乳アレルギーはなかったはずだが、念のためだ。

 味は、紛うことない牛乳そのものだ。スーパーの紙パックのものより、多少濃度が高いだろうか。

 それからコップ一杯程度を飲んで、半日程度様子を見ることにした。

 結果、何ら異常はないことになった。

『鑑定』を信じる限り、当然の帰結だ。


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