112 年越ししてみた

 仲間たちの中では、継続的に自家用のトウフの製造を行っていくことにした。

 レナーテとビルギットが興味を示してきたので、ニールとともに三日に一度程度製造を任せることにする。毎日のスープの具材として、ほぼ定番のものになっていた。

 また、茹でキマメを絞った後に残る滓のようなものもオカラという食材になって、十分栄養価もある。そう話すとナジャが乗り気になって、食材としての使用の工夫を始めた。

 本家のトウフに比べると口当たりの悪さが多少あるが、調理の工夫でそれも軽減される。何にせよみんな、食料に窮していた時期の記憶がまだ鮮明なので、そういったところへの好き嫌いはほとんどないのだ。

 それでもやはり全員一致して、トウフも歯応えのあるものがいいという意見になったが。

 一度自分一人で、柔らかく舌触りのよいものを二丁、試作してみた。


「毎度、お邪魔しまーす」

「何だよ、いきなり」


 夕方トーシャの下宿を訪ねると、本人は帰宅したばかりというところだった。

 この友人は結局、冬の間この街に残ることにして、今は衛兵の臨時雇いになって壁の外の見回りに加わっているという話だ。

 相変わらず何もない部屋の床に座って火鉢を囲み、『収納』に用意していたものを取り出す。


「手土産だ。一緒に食うぞ」

「何だ、そりゃ」


 二枚の皿にそれぞれ一丁ずつ載せた直方体を四等分し、大葉に似た香草を刻んだ薬味とタマリをかけただけのものだ。

 とは言え、前世での「豆腐一丁」よりはかなり大きく、二倍程度には見える外見になっている。

 丸くした目でまじまじと観察し、トーシャは呻き声を漏らした。


「まさか……冷や奴か、これ?」

「そうだ」

「こんなものがこの世界で食えるとは、想像もしていなかったぞ。お前が作ったのか?」

「まあ、そういうことだ。ニガリが見つかったんでね」

「生前特にこれが好物だったというわけでもないが、手に入るとは思わなかったものを目の前にすると、堪らんな」

「まあ、慌てるな」


 さっそく手を伸ばす友人を、掌を立てて止める。

 続けて、『収納』から取り出すものがあるのだ。

 薪用の木材の切れ端から『切り取り収納』で削って作った、棒状のものが四本。


「これは、こいつを使って食うのが作法だ」

「何だよ――って、おい、箸まで作ったのかよ」

「ものはついでだからな」

「気持ちは分かる。しかしよお、冷や奴ってのは慣れないもんには箸じゃ食いづらい代表みたいなものじゃないか。俺ももちろんずっと箸を使ってはいたが、よく言われる若いもんの例に洩れず、それほど巧みに使えるわけじゃないぞ」

「奇偶だな、僕もだ。しかしそれも含めて、一興じゃないか。下手な箸使いで崩れてしまおうが、和食はこれでいくべきだ」

「ああはいはい、分かったよ」


 苦笑いで、トーシャは皿と箸を受け取った。

 今にも笑い出しそうな目配せを交わし、頷き合って、白い固まりに箸を入れる。おっかなびっくり震える手で、一片を口に運ぶ。

 一口。舌触りも味わいも、現時点で望む限り会心のできだった。


「旨いじゃないか!」

「ああ、いいできだったな。こっちの連中はもっと硬く作った方がお好みらしいんで、ここまで柔らかく作ったのはこれが初めてだったんだが」

「この柔らかさのよさが分からないなんて、可哀相に、だな」

「まったくだ」


 一口目は最大の注意を払ったので無事箸に乗せることができたが、その後は二人とも何度も失敗し、冷や奴の直方体は形を失ってきた。

「下手くそめ」と互いに笑い合い、転げんばかりになりながら、食べ続ける。

 四等分の固まり一つが消えたところで、「そうだ、これがあった」と、トーシャは棚からかめのようなものを下ろしてきた。


「本当は米の飯か日本酒が欲しいところだがな、それでもこれ、衛兵たちが呑む中では高級な方の酒だということだ。たまに一人で寝酒にしているんだが」

「いいねえ、もらおう」


 この世界に来てから、と言うより前世を含めても、飲酒をするのは初めてだ。

 前に人から勧められたときには前世の常識でためらいを覚えたものだが、こちらではもう成人扱いなのだからそろそろ新しい習慣に慣れてもいいだろう。

 何より、トーシャの部屋でなら酔い潰れても安心だ。この寒い季節、二人とも潰れて凍えるのだけは避けたいところだが。

 最近のお互いの活動などを話しながら、冷や奴を肴に酒を酌み交わす。

 もともとたいして酒の量はなかったので、ほろ酔い程度で宴はお開きを余儀なくされた。それでも楽しく笑い合い、最後にはぼろぼろになった冷や奴を皿の端に口を当てて食べ尽くす。互いのそんな恰好に、またひとしきり笑いを浴びせかけ合う。


「じゃあ、また」

「おお、ご馳走さん。今度は季節を考えて、湯豆腐にしてくれ」

「考慮する」


 歩き出した外は、すっかり夜の帳が下りていた。

 それでも店仕舞い後の商店が続く通りには、プラッツに比べると門口に灯された明かりがいくつか見られ、まったく闇に包まれるというほどではない。

 行き交う人と会うこともなく、数十分の歩行で家に帰り着いた。

 もういつもの就寝時刻になる頃で、わずか二階の窓に明かりが見える程度になっている。

 階段に向かうと、用を足してきたのかサスキアとニールが奥から戻ってきたところに出会った。


「やあハック、お帰り」

「おう、ただいま」


 サスキアとは気さくに声を交わしたが。

 近づいてきていたニールが、たちまち顔をそむけていた。


「ハック、お酒臭い」

「お、すまん」


 小鼻の上に皺を刻んで顔をしかめ。

 そのままバタバタと、階段を駆け上がっていってしまう。

 苦笑で見送って、サスキアは肩をすくめた。


「ニールは酔っ払いを近くに寄せた経験がほとんどないからな、免疫がないんだ」

「そうなのか」

「まあ、気にしないでくれ。今夜はトーシャ殿と楽しくやれたのかな」

「ああ。トーシャのところにあった少しばかりの酒を飲んだだけなんだがな。まあ、楽しかったよ。サスキアも不快なら、先に上がってくれ」

「私はまあ、兵士たちの宴会に付き合ったこともあるから、不快ということはない」

「そうか」


 それでも相手を先に昇らせて、少し離れて続いた。

 男子部屋ではマティアスがもう眠り、ブルーノとルーベンが床に就く支度をしているところだったが、やはり匂いを笑われた。

 二人とも死んだ親たちが酒好きだったということで、慣れっこではあるらしい。

 まあやはりこの家には酒の匂いを持ち込むべきではないな、と少し反省した。


 前世の歳末商戦とは比ぶべくもないが、やはりこの年もあと数日という頃になると、周囲は慌ただしさを増していた。

 十二の月の二十九の日にはそれぞれの工房などで職員と見習いが全員集められ、この年の仕事納めを祝う。

 三十の日にはそれぞれの家で、年送りの日を過ごす。

 前にも聞いたように二十ときを目処に「霊送りの儀」となるが、特に子どものいる家庭ではその前に、いつもより少し豪華な食事をとる慣わしだ。

 この家ではトーシャも招いて、十八時頃から夕食にした。

 予定通りナジャを中心に包み焼きを見事に仕上げ、ミソ味のスープや豆と野菜の煮込みなどとともに食卓に並べられる。

 ブルーノの号令とともに、子どもたちは歓声を上げて料理に手を伸ばした。


「本当に、今年の前半にはこんな年末を迎えられるとは想像もしていなかったぜ」

「みんなの努力が報われたってことだな」


 ブルーノの声が湿っぽくなりそうなところへ、あっさり機先を制して返しておく。

 気がついてか、この家のリーダーは苦笑いになっていた。


「新しい年は、もっといいことがあるようにしなけりゃな。俺もそうだし、マリヤナたちも正式に雇われる見込みが高いわけだろう」

「うん、頑張らなきゃね」

「ハックのお陰でここの生活がすっかり安定しているから、安心して修行に励めるってもんだよなあ」

「うんうん」

「そういやトーシャさん、その後魔物なんかが現れたって情報はないのかい」

「ああ、あのトカゲのやつ以降はまったく目撃されていない。冬の間は何処かに隠れて大人しくしているのかもな」

「じゃあまあ、その点でもしばらくは心配しなくてよさそうなわけか」


 いつも以上に饒舌になったブルーノがみんなに声をかけ、明るいやりとりが交わされる。

 生地を四角く閉じて焼いたキツネ色の包み焼きにかぶりつき、子どもたちから歓声が上がる。

「こりゃ旨いな」と、トーシャも唸り頷いている。

 調理したナジャとマリヤナは、いかにも得意げな表情だ。

「これがこの国の伝統の味なんだな」と、サスキアがニールに笑いかけている。


 しばらくして、外から遠く鐘の音が聞こえてきた。

「黙祷、しようぜ」とブルーノが号令し、全員が窓に向けて胡座の姿勢を正す。

 膝の上で両手の指を組み合わせ、静かにこうべを垂れて目を閉じる。

 先に亡くした家族や先祖の霊を、送るのだ。

 ブルーノとルーベン、マリヤナは、昨秋故郷の村の飢饉で親を亡くし、当てもなく町に出てきたという。年の暮は何とか農家の物置を借りて過ごさせてもらったらしい。

 ナジャとレナーテ、ビルギット、シュテフィはこの年の春頃、それぞれの村で魔物に襲われるなどで親を亡くしたという。

 マティアスとカロリーネは、ほとんど自分でも分かっていない。気がついたらプラッツの町で一人残されていたという話だ。

 それぞれ事情は異なるが、昨年から今年にかけて親を亡くしたということでは皆変わらないようだ。

 くわしくは語らないが、サスキアとニールも今年親を失ったということで同じだ、という。

 その点ではこちら、トーシャと二人は正確には親を亡くしたというわけではない。あちらの世界では、親の方が子を失ったということになっているはずだ。

 それでも事実上親と離れて二度と会えない事態になっているのだから、亡くしたというのと変わらないだろう。

 ともかくも鐘の音に向けて頭を垂れ、あちらの世での親の無事を祈る。

 何回鳴らされたのかは分からないが、やがて鐘の音は絶えていた。おそらくのところ、百八回よりは少なかったのだと思う。


「じゃあな、ご馳走さん」

「おう、よい年を」


 すっかり闇に包まれた雪道を、トーシャは帰っていった。

 残されたこちらも、寝ることにする。

 囲炉裏の火を消すと、家の中もほぼ闇に包まれる。

 四角い陶器の箱に炭を入れて燃やす火鉢のような暖房器具と、獣脂を使った燭台を各部屋分それぞれ手にして階段を昇り、寝室に入った。


「起きたら、新しい年だぜ。マティアス、よく眠るんだぞ」

「うん」

「おやすみ」

「おやすみ」


 口々に声をかけ、すべて火を消して毛皮に包まる。

 それこそ年始には予想のしようもなかった怒濤のような年が、ようやく終わろうとしていた。


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