107 呼び出されてみた
「ちょっとあまり公にはできないのだが、最近領主邸で不可解な出来事があってね」
「そうなのですか」
領主邸に出向くと、先日家宰と面会した応接室に招かれた。
事前の申し渡しの通りこの日は、前回同席していた文官が一人だけで応対する。
挨拶の後、最初の切り出しがこのような言い回しだった。
「まあ本当に詳しく話せないのだが、元シュナーベル男爵領の領邸にあったはずの行政書類などが手に入ってね。現在中身を精査しているところなわけだが、急ぎ君に確認しなければならない件が見つかったのだ」
「え、と……何でしょう」
「うむ……何と言うか、取り引きをするつもりでもないのだが……君にはどうか、善処を願いたいと言うかね」
「その――はっきり言っていただかないと、何とも返答に窮するのですが」
「うん、うん、いや
なかなか、歯切れのいい切り出しに移らない。
内心溜息しながら、しばらく文官の持って回った口上に付き合うしかなかった。
行政書類が見つかった、その精査を急いでいる、という点については得心がいく。
しかしそこに、何かこちらに直結する事項があったものだろうか。イーストに関することなら、まずイザーク商会に話を聞くことになりそうなものだが。
このカスパルという文官の様子だと、かなり取扱いに慎重を要する要件のようだ。
そのうち、文官は「いや、端的に尋ねるがね」と顔を引き締めた。
「かの元シュナーベル男爵領内で、ハックくんが岩塩の鉱脈を発見したというのは、事実だろうか」
「え? あ、はい、確かに」
「そしてその報酬として、金貨一枚が支払われている」
「はい、そうです」
まったく想定していなかった件を切り出されて、一瞬返答が詰まってしまった。
わずかに安堵めいた息をついて、さらに文官は表情を引き締めている。
「そうか。いや、誤解しないでもらいたい。別に不意を突いて事を認めさせようとしたとか、そのようなさもしい意図ではないのだ」
「は、あ」
「いや本当に何と言うか、だね。まったく微妙と言うか、扱いに神経を使うと言うか、そういう案件なのだよこれは」
「そうなのですか」
なかなか相手の本音が分からないわけだが、とりあえずあの男爵領邸備品の出現そのものに関する話ではなかったらしいので、こちらも安堵する。
確かにあの岩塩の件は記録に残っていただろうし、領にとって重要な意味を持っておかしくはない。
「何と言うか、だね。平民の言い回しでいくと、いわゆる、ぶっちゃけると、だね。塩というものは、国家的にも取扱いに慎重を要するわけだ」
「ああ、はい。大雑把にですが、聞いたことがあります」
「そうか。まあその聞いたことと重複するかもしれないが、簡略に確認するとだね。塩に関しては大量の所有も売買も、無断ですることはできない。これらは領主が国に届け出をして許可を得た上でだけ認められることになっている。特に岩塩の発見と海水からの製塩は、細かに国に報告することになっている」
「はい」
「そういう事情で慎重な扱いが必要になるわけだが、今回の件では、問題が二点あるのだ」
「えーと……どういうことでしょう」
「一点は、記録されている塩の予想埋蔵量に鑑みて、ハックくんに支払われた報酬額が低すぎること」
「そう、なんですか」
「もう一点は、記録を隅々まで調べても、その岩塩の
「はあ? 不明って――」
「あり得ないわな。発見者の名も、報酬の額も、現地調査に行った日付も人員も記録に残されているのに、その場所だけが何処にも記載されていない」
「よほど記録者の間が抜けていたか、はたまた――」
「意図的にその点だけを秘匿したか、だね」
「はあ」
「ちなみにその岩塩発見について、男爵領から国に報告を上げた事実も見つかっていない」
「なるほど」
報告に手間取っていた、という可能性もなくはないかもしれないが。
現地調査をしてからもう二ヶ月になるのだ。意図的に秘匿しようとしていたと思われても、抗弁できないだろう。
「どうも領を挙げて秘匿を徹底しようとした節があるのでね。元領主やその周辺を締め上げて訊き出すという選択もあるのだが、この発見者がこちらのハックくんと同一ならば協力を願った方が話が早いかということになったのだ。できれば、岩塩の在処については早急に確認したい」
「なるほど、分かりました。お教えしますよ」
「助かる」
ツェヒリン川沿い、イムカンプ山地の中で滝になっているところのすぐ上流側の森に上がる岩肌、と以前男爵に教えたのと同じ説明をし、さらに開いた地図でだいたいの場所を指し示した。
かなり大雑把な地図だが、川の形はそれなりに描かれているのでそれほど誤差はないのではないか。
「うん、助かった。ではこれは、岩塩発見報酬の差額だ」
「あ、はい、ありがとうございます」
渡されたのは、金貨二枚だった。これが正当な報酬額だとしたら、以前のものは三分の一に値切られていたことになる。
「今日の会談最初から、この金額を出すから場所を教えろ、という取り引きにすれば話は早かったかもしれないがね。まちがえないようにしておいてほしいのだが、この支払いと場所の聞きとりは、関連しているとは言っても別件なんだよ。岩塩の発見場所は領に報告するのが、領民の義務だ。またその発見に対して正当な報酬を支払うのが、領の決まりだ。これは取り引きや駆け引きのようなものであってはならない」
「そうなんですか」
「まあ少し時期的に急がなければならない事情があるので、性急になってしまったがね。何事もなく協力が得られて、幸いだよ」
「ああ、そうか。季節の事情、冬が近いからですか」
「そう。あのイムカンプ山地は、間もなく雪が降って入れなくなる。その前に、岩塩埋蔵の事実は確かめておきたいからね」
「なるほど」
急ぐ事情があったということらしい。
本来ならば場所の聞きとりも報酬の支払いもそれぞれ根拠のあることで、難しいことを考える要素もなさそうだ。
場所の報告は領民の義務で、秘匿したら罰せられることになる。
報酬についてはきちんと相当額の支払いがされなければ、今後発見した者が正直に報告する保障がなくなりかねない。
旧男爵領では怪しげな処理を目論んでいた節があるが、この侯爵領では公明正大に扱うと公言していく方針なのだろう。
それ以上明言するつもりはないようだが、この日の最初にこの文官の歯切れが悪かった理由は、おそらく一点を憂慮してのことと思われる。
もしもこのハックという男が岩塩の発見者であることを認めなかったり、それこそ報酬要求の駆け引きを目論んだりされれば、ややこしいことになるというわけだ。
男爵領の書類からハックという名前は出てきたが、こちらの男と同一人物である証明はない。
最初から報酬との取り引きで聞き出せばまず問題はなさそうだが、公式手続きとして褒められたものではない、ということらしい。
「では、今日の用件は以上だよ」
「はい、ありがとうございます」頭を下げて、それから少し思索した。「そう言えば、伺ってもいいでしょうか。先日ジョルジョ会長がお訊きしていたことですが、プラッツの北や東方面の魔物への備えがその後どうなっているか、動きはありますか」
「ああ、あれね。領地の北東の端に監視用の砦を作る方向で検討が進んでいるようだ」
「そうですか」
「将来的にもあちらを固めておくのは必要なことだ、という判断のようだね。ただ最近の情報では、向こうにほぼ魔物の動きは見られないらしい。むしろこちらの西から南の方が、確たるものではないが山地で妙な動物の目撃があるとか」
「魔物が全体的に南へ移動しているのかもしれませんね。しかしそれも、これから冬にかけての一時的なものかもしれない」
「そう。そんな意見も出ていて、北も南も監視を怠らないでいく方針だ」
「そうですか。分かりました」
「じゃあ、以上でいいかな」
最初とはかなり変わって機嫌のいい表情で、カスパルは報酬受け取りサインをもらった書類を大切そうに閉じていた。
何となくの印象で、こんな平民の小僧相手、問い糾したいことがあるなら頭ごなし強硬にしてもいいのではないかと思ってしまうが、そこそこ尊重してくれているようだ。
公式手続きは瑕疵のないように、角を立てないようにというのが、この領の方針なのか、家宰かこの文官の性格から来るものなのか。
あるいは先日も考えた、ハックという人物個人に対する配慮から来ているのかもしれない。
いずれにせよ個人的には、あちらの男爵領の場合に比べてそれなりに信用がおける気がしてくる。
何にせよこの日最初の憂いは晴れて、安堵して領主邸を辞することになった。
「ああ、ハックさん」
イザーク商会支店の前を通りかかると、顔見知りの小僧に呼び止められた。会長が話があるという。
奥に招き入れられ、ジョルジョ会長と向かい合う。
用件はイースト製造にまつわるちょっとした質問で、すぐに解決した。
その後、茶を飲みながら寛いで世間話になった。
今し方領主邸に呼ばれた用事について話をすると、「なるほど」と会長は頷いている。
「岩塩か。領主様にとっても、これは軽んじていられない案件だろうね」
「やっぱり、塩は重要なものですか」
「全国何処でも重要性は変わらないが、この領にとっては特に大きい問題だろうね」
「そうなんですか。特殊な事情でもありましたか」
「うん。知っての通り、ここの領地は海に面していないからね。製塩業というものが成立しないので、岩塩の産出と他領からの買い入れに頼るしかない。小麦を初めとする農産物は国内有数の規模で、山林から得られる資源も豊富なのだから、極端に言い切ってしまえば、領民が生きていくために必要なもので自給できないのは塩だけ、ということになるようだ」
「はあ。そこまで極端な事情がありましたか」
「しかもだ。塩の買い入れは南方の領から行っているが、その輸送はほぼ、南隣のツァグロセク侯爵領を通る街道を使うしかない。このハイステル侯爵領にとって唯一の泣き所といってもよく、頻繁にあちらの侯爵領との紛争の元になっているらしい」
「そうなんですか」
「少し下世話な言い方をさせてもらえれば、そのツァグロセク侯爵という方は、何かにつけこちらのハイステル侯爵様にちょっかいをかけるのを生きがいにしている、というんだな。何度も戦をして戦績はほぼ互角らしく、未だ事あるごとに腕比べとばかり、兵を興してくるという。その都度、ハイステル侯爵様としては塩の輸送を断たれるのがいちばんの痛手で、応戦せざるを得ない。まあ塩を売る側の領や王宮の目などもあるから、本格的に長期間の影響が出る事態にはなかなかならないと言うが」
「聞いただけでは、何とも傍迷惑な話ですねえ」
「まったくだ。今まで我々は男爵領で直接の影響が少なかったが、今後はそちらも注視していかなければならない。イーストの輸送に直接響く事態もあり得るのだからね」
「なるほど」
話の流れで、会長は地図を出してきて説明を続けた。
さっき領主邸で見たものより広範囲だが、さらに簡略化されて正確さについては怪しげのようだ。
これも先日門番から聞いたように、この領から西の隣国、南西の領地へ向けていくつか街道はあるが、どれも山を越える細いルートで、ほとんど大量の荷物は運べないらしい。
今も話に出たがそういう意味で唯一まともな運搬径路は、東寄りの南に向いた街道一本だけだという。それが、ツァグロセク侯爵領の北西の角を通過してさらに別の領へ抜けるようになっている。
つまりは、どうもせいぜい二~三キロ程度の長さだが、そのツァグロセク侯爵領を通過する部分の街道が、悶着の絶えない地域ということのようだ。
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