106 試みてみた

 そんな会話を職員としていると、横手から労働者らしい年輩の男が口を入れてきた。

 顔見知りでもなく、とにかく誰彼なく噂話をしたいらしい。


「それがよお。聞いたところじゃとんでもないなんてもんじゃなくとんでもない、あのプラッツにあった元の領主邸から消えていたっていう備品類らしいぜ」

「へええ、そうなんですか」

「家具とか絨毯とか、そんなものが一切合切積み重なっていたってさ。そんなのが簡単に人が入れない中庭に、すぐ前に見回りが見たばかりのところに、いきなりいつの間にか出現したんだって。人の力じゃ運び込めるはずもない、精霊か何かの仕業に違えねえって、大騒ぎらしいぜ」

「へええ」

「そうなんですか」


 口入れ屋職員と並んで、同じ口調で相鎚を入れていた。

 改めてさざめく室内を見回して、感嘆の息をついてみせる。


「それが本当なら、騒ぎになって不思議はありませんね」

「だよなあ」


 起きたことがあまりに突拍子もなく、奪還したばかりの領地絡みとあって扱いは慎重を要する。領主邸ではこの件に間して箝口令が敷かれたということだが、それこそ人の口に戸は立てられず、たちまち市井に噂は広がってしまったようだ。

 それでもここにいる人たちの口ぶりの限りでは、起きたことがとても人間業ではあり得ないらしいという論拠を並べ立てるばかりで、それ以上内容に深みは出てきそうにない。

 周りの人とさらにいくつか同じようなやりとりをして、その建物を出た。

 帰宅すべく、商店街を抜ける。住宅地へ入る四つ角で、横手から声をかけられた。

 もう見慣れた、金髪に防具と帯剣。剣士姿の友人だ。


「よお、お前のところに行こうと思って来たんだが」

「そうか」

「お前の仕業だろう、噂になってるやつ」

「まあ、な」


 この地点からだと両方の住居がほぼ等距離なので、トーシャの下宿に行くかと誘われた。

 他人には聞かせられない話題なので、すぐに同意する。

 かなり古びた二階建て家屋に入り、階段を昇る。

 いくつか並ぶ部屋の一つが、この友人の住居だ。

 本当に簡素な寝床程度しかない六畳程度の一室に入り、床に腰を下ろした。

 向かい合って胡座をかき、トーシャは剣を脇に置いて腕組みをした。


「つまりは、あの男爵邸から『収納』したものすべて、こちらの領主邸に進呈したわけか」

「まあ、そういうことだ。正確に言うと、一部を除いてということになるけどな」

「一部?」

「『収納』の中を調べたら、例の最初に決闘をした相手、エルンストって奴の部屋と机が見つかったんでね。そこにあった手提げ金庫と個人所有の剣はいただいておいた。決闘結果の正当な権利だからさ。金庫の中には、ふつうの町民の年間収入より少し多いかという程度の金額があったな」

「なるほどな」

「あと武器庫にあったものの中から、安物の剣を一丁と稽古用の刃を潰した剣を二丁、もらっておいた。こないだの魔物相手のときのように、使い道があるかもしれないからな」

「それだけか? 他にも価値のあるものはいろいろありそうだが」

「価値はあっても大っぴらに使えるものはないだろうからね。調度品や宝石類は、もし売ったらすぐに足が付くだろうし。男爵領の予算規模の現金なんて、少額ずつなら使ってもバレないかもしれないが、そんなこそこそしなけりゃならないものは意味がないし、今こちらで金に困ってはいないしな。とにかくすべて、あるべきところに戻して活用してもらうのがいちばんだろう。本来なら全部、こちらの侯爵領で接収していたはずのものなんだから」

「まあ、そうか」

「書類関係は、それがないと今後の統治に困るものがあるだろうし。現金のほとんどはあちらの領地で徴収した税のものだろうから、あちらのために使ってもらいたい。その辺希望通りにいくか分かったものではないが、先日の家宰さんの口ぶりだとそっちの予算が不足しているみたいだから、まあある程度はそのように使われるんじゃないか。何の保障もないが、どう転ぼうが元々こちらに収まるのが本筋だったんだ」

「そうは言えるな」

「心残りは、もう一人の決闘相手、ハインリヒって隊長さんの財産が見つからなかったことだな。たぶん他に家を持っていたんだろう」

「なるほど」

「他の近衛兵たちが今どういう扱いになっているか分からないが、とりあえず兵舎にあった現金類はすべて領主の金庫に混ぜておいたから、今後もし所有権を主張しても自分の分の証明に手間がかかるだろうな。しかしそれだとエルンストの所持金分が他のやつと区別がつかなくて特別扱いをして差し上げる点が不足するから、もし財産の返却が行われたとしても大事にしていた愛剣だけは戻らないようにしておいた」

「やることが細かいな、相変わらず」


 他に反応のしようもないようで、友人はただ苦笑している。

 うんうん頷いてから、首を傾げ。


「それにしても、大丈夫か? 起きたことは誰もが信じられないだろうが、とにかくプラッツからマックロートへ移動した結果だということで、お前たちに疑いがかかるってことはないのか」

「ここまでとんでもない事態になって、人間の関与が疑われることはないと思う。今回の領主邸中庭は周囲の防壁から十数メートル離れているから、あれだけの家財類を一気に外から運び込むにはクレーン車でも使わなければ不可能だ。様子を窺ったところでは見回りの兵が通り過ぎたばかりだったから、こっそり大勢の人手を使ってというのも絶対にあり得ない。あちらの男爵邸でやったこともそうだが、ここまで大がかりに人間業であり得ないことが起きたら、誰ももう現実的な可能性を考えることはないだろう。神様か精霊さんの仕業としか思われようがない」

「まあ、そうなるか」

「プラッツからの移動という観点ならタイミング的にジョルジョ会長の方がよっぽど疑われそうだが、それにしたってあり得ないということで、取り調べを受けることもないと思うぞ」

「そうか――まあ、そうだな」


 長々と息を吐き、トーシャは軽く首を振った。

 腕組みを解いてやや後ろに手をつき、大きく胸を反らしている。


「とにかくも、とんでもないよな、お前の『収納』は」

「まったくだな。こんな大がかりなことは、これっきりにしたいものだが」

「事情が許してくれればだよな。これからだって、魔物の襲来も、噴火も、他領との戦争も、あり得ないとは言えないぞ」

「こちらまでお鉢が回ってくるのは、勘弁願いたいもんだな」


 少し息を抜いて、トーシャが見せてもらいに行ったというトカゲ魔物の皮加工の話を聞いた。

 皮加工職人が鉄加工職の助けを借りるなどして苦労の末、何とか製品化の目処を立てていたという。


「俺も何か防具などを頼みたい気もするんだが、当分無理だな、あれは。職人三人で数百人規模の装備を製作するんだそうで、半年程度はかかりっきりだろうってことだ」

「さもありなん、だな」

「まあこっちに素材費が回ってくるのは確実だから、気長に待てという衛兵の話だ」

「なるほどね。それにしても、トーシャは今後どうするつもりなんだ? ひと月程度はここに残れという家宰さんの指示だったが、その後は」

「前にも言ったように、南の方まで足を伸ばしたいんだが。もうひと月も経ったらここらは冬に入って、プラッツの方ほどでなくてもそれなりに雪も積もるらしいからな。春を待つか、南の方ならまだ動きやすいかもしれない予想で出かけてみるか、考えているところだ」

「冬場になったら魔物の動きがどうなるか、まったく情報がないものな」

「ああ、全国で見ても魔物の確定した目撃が聞こえてきたのは、この春以降らしいからな。冬の情報はまったくなしだ」


 まあゆっくり考えるさ、と言うトーシャともうしばらく話をして、それでも昼前には辞去した。

 住居に戻り、内職をしている二人の邪魔をしないようにしながら、ミソの樽や麹を弄る。

 午後からはサスキアとニールと共に、西の森へ出かけた。

 自分たちの食糧用のノウサギを一羽狩り、ニールに薬草採取をさせる。

 もう季節的に遅いかもしれないな、などと話し合いながら、一応家で栽培を試みるための薬草の株を掘って持ち帰ることにした。


 その後数日は、そうしたくり返しになった。

 裁縫修行と内職の日課は、問題なく進められている。

 数回森と往復して、ニールの薬草畑は充実してきた。薬草以外にも、この秋の残り期間で実を結びそうな植物の移植栽培も試みている。

 麹などを使ったいくつかの試みも、それなりに形が見えてきた。

 温度計のようなものがないのでなかなか難渋したが、おおよその体感温度や保温の方法をいろいろ試してニールに記録させながら作った甘酒モドキが何とか形になり、子どもたちを喜ばせることができた。


「わあ、何これ?」

「甘ーーい!」


 前世での甘酒は麹と米粥を混ぜて作るものという気がしたが、ここでは麹だけでの製法を模索してみた。おそらく米を使ったものより甘味は劣る気もするが、それでも甘いもの自体ほぼ他にないのだから、歓迎されて当然だ。

 何しろこの地で砂糖は貴重で高価なので、なかなか庶民の口に入らない。こちらでも少量ずつ購入して、イーストの発酵を促す用途に利用するのがせいぜいだ。

 そういう事情で、とにかく甘味を持つ食品は希少で喜ばれる。さらに麹由来の甘酒は栄養価も高いはずなので、子どもたちにはうってつけだろう。

 かなり水で薄めたものでも、熱くした飲物は全員に大歓迎された。

 ニールとサスキア、小さな子たちにも手伝わせて麹の粒を潰し、見かけをよくしてアマサケと呼ぶことにした飲物をレオナルトの料理屋に持ち込んでみると、こちらでも熱烈歓迎された。


「これはいい! これからの寒い季節に、熱い飲物は喜ばれる。その上甘味があって栄養豊富だなど、言うことなしだ」

「夏場には、冷やしてもいけると思いますよ」

「そうか、ありがたい」


 というわけで、定期購入の契約が取れた。

 ゆくゆくはこれも、麹だけを販売してその後の製造は料理屋に任せる方法を模索したいと思う。

 当面はニールに製産を任せ、内職の女子が手の空いた時間に手伝う、という体制にした。

 サスキアと小さな子たちは、もっぱら粒を潰す要員だ。

 ほぼ麹があるだけこの製産に回せるので、しばらくはけっこうな収入になるし、子どもたちの飲料としても供給を続けることができる。


 男子二人と女子四人は、順調に見習い修行を続けている。

 ニールはサスキアに見守られながら、畑の世話とアマサケ製造に励んでいる。

 そうしてまた、数日が過ぎたところで。


「ハックなる者、領主邸に来てもらいたい」


 役人が訪ねてきて、申し渡された。

 理由の説明はない。

 ただ、家宰づきの文官カスパルが、用があるという。


――うーーん……。


 ここしばらくの我が身を、かえりみてしまう。

 後ろ暗いところがないこともない、わけだが。

 何か、役人に疑われるようなボロを出しただろうか。


――はっきりした証拠を掴まれたということなら、もっと強硬な呼び出しになりそうなものだよな。


 何にせよ、ここで出頭拒否するなど反抗的な態度をとるのは、得策でなかろうと思われる。

 明朝の呼び出しに、了解の返事をした。

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