108 移植してみた

「塩が絡むのと絡まないのとでは、かなり事情が違うのですか」

「うん。私もまだあまりこの領の事情を調べていないし、特に軍事的なところは分かりかねるんだがね。簡単に言うと塩絡みでこの街道を閉鎖されたら、そこまで軍を派遣して早急に解放を図らなければならない。あちらの侯爵領軍は待ってましたとばかり、我が領地への進軍は許さぬ、と襲いかかってくる。塩について問題がないなら、そこまで緊急性はないので様子見になる。あちらの領がちょっかいをかける意図なら領の境界に迫ってくることになるから、そこで迎え撃てばいい。戦闘地があちらの領内か領の境界かという違いだけでも、ずいぶん戦略的にも異なるだろうね」

「そうなんですか」


 地図を指さしての会長の説明に、頷く。

 ついでに、もう少し広く見回すと。

 確かにこのハイステル侯爵領には、海に面した地域がない。

 東から北にかけてはかなりの高山に囲まれていて、ほぼ人の往き来ができない。東の山の向こうは別の国だが、北の高山を越えた者の記録はなく、その先がどうなっているのかまったく知られていないという。

 西はそれよりは険しさの少ない山地で、細い街道を抜けて隣のクラインシュミットという王国に通じている。

 ここから距離だけの話で最も近い海と言えば、そのクラインシュミット王国の北部ということになるらしい。しかし簡略地図に申し訳程度の記載があるが、そこまででも優に五百キロは超えているようだ。

 国内の海ということになると、ずっと南方でほぼ千キロを超えたところが最も近いということになる。

 一通りふむふむと頷いてはみても、それ以上何か分かるものでもない。


「とにかくもこの領にとって、その岩塩の発見はありがたい限りなんじゃないかね。ちょっと聞いたところでは、これまでの岩塩採掘による領の塩の自給率は四割程度だとか。それが五割から六割などに上がるとしたら、色々な面で余裕が出てくるのではないか。今も言ったように、隣の領との紛争でも時間的に余裕をもって対処できるということになると思うね」

「なるほど、そういうことになりますか」

「戦絡みのことは我々商人の立場でどうこうできるものではないが、もちろんないに越したことはない。南への物の搬送経路の確保といった面だけでも、あの地の平穏は願いたいものだ」

「そうですね」


 二人でほぼ同意し合って、商会を辞去した。


 その後も、岩塩の調査団がイムカンプ山地に向けて派遣された、東端の村近くに魔物監視の砦建設が始まった、といった情報がイザーク商会を通じてもたらされた。

 十一の月が始まると、いつ雪が降り出しても不思議はないという。

 家の暖房状況、冬物衣料、食料備蓄など、近所の人やみんなの修業先にも相談しながら、何とか十の月中に形を整えることができた。

 月が変わった日、ニール、サスキアとともに森へ出かけた。

 ノウサギ狩りと薬草採取、その他の植物類に役立つものはないか探す目的で三日に一度程度出かけてきていたが、もうあと数度で今年の森歩きもお終いか、と思える。

 この日も薬草の株を掘り出そうとしているニールに、サスキアが尋ねかけていた。


「まだ移植をするのか。雪が降ったら家の畑も埋もれてしまうのではないか」

「ん。その辺も試してみたい。雪の中で春まで置いたら、どうなるのか」

「なるほどな」


 そんな会話を聞きながらノウサギを一羽狩り、茂みのあちこちを観察していると、『鑑定』の告げるものがあった。

 雑草の中にいくつか生えている丈がそれほど高くない植物で、この季節でも丸い緑の実を残し、その数個が赤っぽく変色している。


「ニール、家の畑にはまだ空きがあったよな」

「うん」

「この四五本を持ち帰って植えてみたいんだが、大丈夫か」

「うん、余裕」

「サスキア、運ぶのを手伝ってくれるか」

「うむ、いいぞ」


 協力して根ごと掘り出し、袋に入れる。

 薬草の株より大きめだが、サスキアと二人分担して持つ分には問題ないだろう。


「二人はちょっとそこで待っていてくれ」

「分かった」


 荷物を預けて少し奥へ進み、手頃な岩を迂回する。

 少し待つと、例によってノウサギが一羽疾走してきた。

 岩ブロックとの衝突で昏倒させ、今回は止めを刺さずに袋に収める。


「何だ? それは解体しないのか」

「ああ。生きたまま持ち帰って、あちらでちょっと試してみたいことがあるんだ」

「ふうん」


 不審顔のサスキアとニールを伴って、家に戻る。

 横手の畑にニールと腰を屈めて植物の移植をしていると、内職仕事を終えたらしいナジャが覗いて、大きな声を上げた。


「え、ハック、それアカマソウじゃない? その実、毒があるんだよ」

「そう知られているのか」

「確かに、緑のも赤のも、何か毒々しい」


 言われて、ニールは覗き込む顔をしかめた。

 サスキアもナジャも同意して、頷いている。


「いや俺が知っているものだと、実が青いうちは多少毒性があるが、赤くなったものは食べて問題がないはずなんだ」

「そうなの?」


 ナジャは首を傾げた。

 農村育ちの彼女は、このアカマソウは毒があるから決して口にしないように、と言い聞かされていたそうだ。

 本来ならいくら前世の何やらに似ていようがこちらの先人の知識を尊重するべきなのだろうが、一応『鑑定』の保証がある。


【アカマソウ。地球のトマトに近い。実が緑色のうちは、微毒がある。赤く熟した実は食用可。夏から秋遅くまで実をつける。】


 と、出ているのだ。

 これについては想像だが、古くから緑の実の毒性が知られて敬遠されていたのではないか。

 一方赤の方は、ニールも言うように「毒々しい」という印象になるらしい。

 一般的に緑の野菜類はいろいろあるが、赤い色で食用のものはほとんどない。一応アヒイの実はあるが、従来食用とはされていなかったようだ。

 季節的な問題はあるかもしれないがここでは、苺もサクランボも似たようなものを見かけたことがない。リンゴでさえ赤いものはなく、熟しても黄色いものが出回っているだけだ。

 ということで、アカマソウの赤い実を試食する者は、これまでほぼいなかったのではないかと思われる。

『アカマソウ』という名称自体日本語の近い言葉に翻訳されてこちらに届いているようだが、何となく『赤魔草』なのではないかという気がする。「赤く毒々しい見かけだし、実際毒があるので近づくな」という戒めの意味ではないか。


「問題がない、という程度だったら別に無理して口にする必要もないわけだけどさ。赤い実はまず他にない独特の風味があるし、栄養的にも優れているはずなんだ」

「本当にい?」


 顔をしかめた白い目で、ナジャは覗き込んできた。

 頷き返して、傍に置いていた荷物に戻る。

 そろそろ失神から目覚めたらしく、袋に詰められたノウサギがじたばたを始めていたところだ。

 首に紐を巻いて袋から出してやり、家の横手に紐の端を固定する。


「まずは毒がないことを確かめなきゃ始まらないからな、こいつに毒味をしてもらおうと思うんだ」

「ああ」サスキアが頷いた。「なるほど、そのために生け捕りしてきたのか」

「そういうこと」


 植え替えたアカマソウの赤く熟した実を一つもいできて、いくつかに切り分ける。

 ノウサギの鼻先に置いてやると、すぐ勢いよく食べ出した。


「これで、明日くらいまで様子を見ることにしよう」

「分かった」


 ナジャとニールも意味を理解して、同意している。

 他の子たちにも明日までノウサギとアカマソウに近づかないよう言い聞かせて、そのまま放置することにした。

 翌朝、ノウサギに変化がないことが確かめられた。

 出勤前のナジャと二人で、赤い実の小さな一切れを試しに口に入れてみた。


「あ、思ったより味がある。瑞々しいって言うか、酸味が強いんだね」

「うん。甘味もなくはないが、ほんのかすか程度だな」


 前世の日本の夏に思い切りかぶりついたものとは、別物という印象だ。

 汁気たっぷりというほどではなく、予想よりは少し硬い手応えがある。

 それでもナジャの言うように独特の酸味があり、トマトらしい何となくの旨味みたいなものが奥に感じられないでもない。

 とりあえず使えそうだということで、この日はもう一度ニールとサスキアを連れて森に行き、さらにアカマソウを探して株を持ち帰ってきた。


「今は緑の実が多いけど、しばらく置いておくと赤く熟していくはずだ」

「もう冬も近いが、そんなにうまくいくのか?」

「全部熟すのは期待できないにしても、数日でそこそこは何とかならないかと思うんだがな」

「ふうむ」


 袋に入れた株を抱えて、サスキアは首を傾げている。

 自分でも味見はしてみたがそれほど旨いとは思わず、こんな手間をかける意味があるのかと疑問の様子だ。

 合計十数本の移植を果たし、赤く熟した実を二十個あまり採取できた。

 この日家にいたマリヤナの内職の手が空いたところで手伝ってもらい、赤い実を刻んで塩味で煮込む作業をした。

 煮込むための火加減調整などが難しく、調理が得意な子に手伝ってもらう必要があるのだ。

 ニールも加えた三人で交代してかき混ぜ作業をし、何度か味見をしてほどよい粘度で火から下ろす。

 少し冷ますと、さらにどろどろのペースト状に近くなった。マリヤナが味見をして、軽く目を瞠っている。


「生で食べたときとはずいぶん変わっているねえ。甘味が増えて、何だか複雑な味になっているっていうか」

「これをスープの味つけに使ったら、変わったものができると思わないか」

「うんうん、試してみよう」


 この日の夕食は今までにない味つけのノウサギ肉スープになって、全員が大喜びになっていた。

 すっかりみんなが気に入ったことを確かめて、食後にマリヤナとナジャ、ニールを呼んで話をする。特に呼ばなくても、サスキアはニールの後ろに控えて耳をそばだてていた。


「これから数日、マリヤナとナジャに内職の合間を見てやってみてもらいたいことがあるんだ」

「なになに?」

「今日作ったアカマソウソースとアマサケともうひとつのものを混ぜて、ノウサギ焼肉の味つけに合うソースを工夫してもらいたい」

「もうひとつのものって?」

「ニールは知っているはずだが、イザーク商会が運んできてくれた長期熟成のミソの樽のうち、水分が多いのがあっただろう。あの汁を、使う。味の方向性はミソと同じだが、癖が少なく塩味が強い感じで、そういう調味料に使えると思うんだ。タマリと呼ぶことにするが」

「へええ、面白そう」

「いろいろ配分の割合や、熱の通し方などを工夫してもらいたい。ニールはその試した配分とかを毎回記録すること。マリヤナとナジャは一日置きになるけど、ニールを仲立ちにして打ち合わせをして、試すのを継続してもらいたい」

「うん、分かった」


 三人で、楽しそうに頷き合っている。

 二人の女の子は調理技術が優れているし、これまでにもニールを加えてこのような実験、試行錯誤のようなことは何度もしてきているので、全面的に任せてもいいと思う。


「その間俺は、森や山を歩いてもっとアカマソウが採れないか探してみる。ここの畑に植えたのも順次赤くなったら使えるはずだが、野生のままのものも赤いものだけ採取してきたいと思う」

「うん、了解」


 相談して役割分担を決め、明日から動き始めることになった。


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