6 石庖丁を使ってみた
砂地の上にほぼ満遍なくごろごろと岩が転がっているという状態の河原を、下流に向けて歩き出す。
歩きやすい砂地を辿れる分には何とか快適だが、しばしば岩の群集に行く手を阻まれ、苦労してその隙間を抜けることになった。
森の中では草をかき分けるためと襲撃に備えるために木刀を手放せなかったが、ここでは岩の間を抜けるのにむしろ邪魔なので、両手は自由にすることにした。もしもの場合にも、木刀と小石はすぐ手の中に取り出せる。
今日も晴天で、直射日光が強くなってきている。帽子の代わりになるものはないのでなるべく日陰になっている箇所を辿り、こまめに水を補給することにした。
水を飲むのに水筒やコップのようなものもないわけで、掌の上に取り出して口に運ぶしかないか、と思いかけ、気がついた。
『取り出し』は、周囲およそ十メートル以内の任意の場所にできる。ということは、直接口の中に取り出すこともできるのだ。
実際やってみると、快適だった。
おおよそ一口分の量を口中に取り出すと、昨日の夕方に川の水を『収納』したそのまま、冷たく美味だった。
何より、いちいち立ち止まったりせず両手も使わず水分補給できるというのが、何気に便利だ。
もし将来、囚人として捕らえられて両手を拘束されることがあっても、喉の乾きに悩まされることはないということになる。
固形の食べ物も一口分ずつを用意しておけば、同様に摂取できることになりそうだ。
――いや、食事も飲水も、できればゆっくり寛いでとりたいのは山々だけどね。
もちろん、休憩をとることも大事だ。
一時間に一度程度を目安に日陰を選んで腰を下ろし、水分補給もそれに合わせてすることにした。
下るにつれ、森の側は岩の多い崖になったり草地のスロープになったりと変化していた。
昨日河原に降りた地点ではかなり森の方が高くなっていたのだが、そのうち次第に高度差が少なくなってきた。ほとんど木の間から直接河原に出られるようになり、木々の日陰が快適そうに作られている。ほとんど自然に、足はそちらに近づいていく。
と、不穏な気配に足が止まった。
森近くの岩陰に、何かがいる。
警戒していると、待つほどもなく飛び出してくるものがあった。
ノウサギだ。まず三匹。その後ろにもまだ隠れていそうな。
――いや、ウサギは『匹』ではなく『羽』で数えるんだっけ。
何となく現実逃避的に、考えてしまう。
そうしているうち、二十メートルほど先にウサギが五羽整列を終えていた。それが一斉にこちらへ向けて駆け出してくる。
「わあ!」
昨日の不意打ちでの顛末を思い出し、恐怖で叫びが口をつく。
――何だって、こいつら――。
何で、こちらに襲いかかってくるんだ?
草食のはずだろう? 餌を求めてというわけじゃないのだろうに。
「待て、お前ら。落ち着いて考えろ。俺を襲っても、何もいいことはないんじゃないのか?」
そんな呼びかけに、もちろん応じる様子はなかった。
明らかにあちらは、足が早い。
しかも、五羽の集団だ。
背を向けて逃げる余裕はないだろう。
何も持っていなかった手に、木刀と石礫を取り出す。左手で木刀を構え、右手で石を投げつける。
次々と取り出した石を投げると、一個が命中した。しかしやはり石頭に効果はなく、速度を緩めることなく殺到してくる。
慌てて近くの岩に飛び乗ると、すぐに一羽が跳躍してきた。
辛うじてその頭を木刀で打ち落とす。
続けて二羽目、三羽目を同様に。
落ちた三羽もまだの二羽も、一瞬だけ足を止めたが。そのまま、ととと、と十メートルほど距離をとってからこちらに向き直った。
つまりは助走距離をとって、勢いをつけて飛びかかってくるつもりなのだろう。
「まだ来んのかよ……」
すぐさまこちら向きに、疾走を開始する。
小石を投げつけ、木刀を構えて防御姿勢。
そうしながら、
「ん? 待てよ」
不意に思いつくものがあった。
惑う暇もなく、実行。
『収納』していた大岩を、奴らのすぐ前に出現させたのだ。
高さ一メートル、幅一・五メートル、厚さ五十センチほどの岩の壁だ。勢いのついた疾走で、すぐ鼻先にいきなり現れたそんなものを避けきれるわけがない。
たちまち、がつ、がつ、と鈍い衝突音が響いてきた。
少し様子を見ていると、ややふらふらとした足どりで、三羽のウサギが退却していった。
大岩の陰を覗くと、二羽が倒れてひくひくと痙攣している。
「おお……」
一瞬だけためらいがあったが振り切り、その側頭に木刀を打ち下ろした。鈍い手応えとともに、二羽のウサギは完全に動きを止めていた。
試してみると、『収納』することができた。つまり、明らかに生命を失っているということだ。
ふうう、と大きく息をつく。
「勝った……」
たかが数羽のウサギとの戦闘に過ぎないのだが。
とにかくも、この世界に来て初めての勝利だ。
――あまり『正々堂々』の勝負結果という気もしないわけだけど。
それでも『収納』『取り出し』も立派なこちらの能力のうち、と割り切ることにする。何しろ今後も、この能力頼りでないとどんな野生動物にも対抗できそうにない。
逆に、今のような『疾走の目の前に岩を出現させる』という方法なら、かなりの確実性をもって動物を撃退することができそうだ。もしかすると、イノシシやオオカミのような動物にも効果があるかもしれない。
頭の上に出現させて押し潰すという方法も考えられるが、疾走中だとタイミングを外して逃れられる可能性がある。この『目の前』というやり方の方が確実性があるだろう。
第一、押し潰す方法だと事後の見た目がかなりグロになりそうだ。今の方法ならまだ、ふつうの狩猟結果として許容範囲という気がする。
そう、ノウサギは『食用可』なのだ。ここはただの殺戮に終わらせず、こちらの腹に納める算段をするのが、自然に対する礼儀というものだろう。
とはいえ。
――まだまだ、克服しなければならない課題が山積みだよなあ。
このウサギ肉を口に入れるためには。
少なくとも、刃物と火を調達する必要があるだろう。
解体して火を通す処置をしなければ、なかなか口にする勇気が起きそうにない。
まあ本格的に飢え死に寸前の状態に陥ったら、そんなこと構わず生のまま
確か野生動物を仕留めた際には、早急に血抜きと内臓取り出しをした方がいいはずだ。その算段を考えたいと思う。
しかしまあそれらの処置は、腐敗や悪臭がつくのを防ぐのが目的のはずで、『収納』の中で時間が止まっているのだとしたら、それほど急ぐ必要はないのかもしれない。
「まずはとにかく――刃物と火の調達だ」
刃物とはいっても、その辺に転がっていることを期待するわけにはいかない。何か鉄製品を手に入れるのも、まず期待薄だろう。
そもそもこの世界に『鉄』が存在するかどうかも分からないわけだが。あの
おそらくこんな山中で、金属製品の入手は不可能だ。鉄鉱石を見つけて加工、などということもできようはずがない。
金属製品を見つけることは、諦める。とすると、自然と残る選択肢は『石器』ということになる。
「原始人、かよ」
ツッコミを入れたいのは山々だが、何にせよ他に思いつけそうにない。
使い勝手の善し悪しなど、構っていられない。とにかく、何か割れた石の類いで刃物として使えそうなものを、探すことだ。
ということで下流へ向けた移動途中、岩地の中で割れたようなものがないか、捜し回ることにする。自力で割ったり磨いたりする技術も道具もないのだから、偶然できているものを見つける他ない。河原にはこれだけ大量の岩石類が転がっているのだから、一つくらいないだろうか。
しかしやはり、
「そうそううまい話はないよなあ」
地震や地殻変動が最近あったということでもなければ、そうそううまい具合に岩がぶつかり合って割れるなどという現象はないのだろう。河原というのはどちらかというと、長い年月をかけて転がった石が丸みを帯びて落ち着く場所なのではないか。
ちなみに岩に向けて『鑑定』をしてみても、【名称不明。堆積岩の一種】という程度の情報しか返らない。これはおそらく『鑑定』の不備というより、この世界で石に関する分類研究が進んでいないせいではないかという気がする。石はあくまで石であって、それ以上の名称をつける必要を感じていないのだろう。
それでもそんなことをくり返しているうち、一つの小岩にわずかな付加情報があった。
【名称不明。堆積岩の一種。比較的薄く割れる性質がある】
薄く割れるということは、刃物のような形状になる期待が持てるということだ。
同じ種類の岩が割れたものがないか、と周囲を見回す。が、やはりそんな都合のいいものは見つからない。
――ここは、自力で試してみるべきか。
そんなものを作る技術は持ち合わせていないのだから、運任せでもやってみるしかないだろう。
直径五十センチくらいの
しかし腰の高さまで持ち上げるのがやっとというそれを岩の上に落としても、ごろりと空しく転がるだけで、割れる気配もなかった。
自分の人力では、これ以上の力を加えるのは無理だ。
では、他に方法はあるか?
滑車と紐で引き上げるなどということが、できようはずもない。
長い棒をテコの原理で使って、小岩を宙に放り上げることはできないか。
そんな様々な案を思い巡らすうち、閃いた。
あまりに、単純な方法だが。
「もしかして、できるんじゃないか?」
試してみるだけでも、何の困難もない。
件の石を、『収納』。当然ながら、あっさりとできてしまう。
周囲を見回し、できるだけ大きな、天辺が尖り気味の岩を探す。
まあこんなものでいいか、と特定し、その真上。数メートルほどの高さの空中に、さっきの石を出現させた。
当然重力に従って、石は急降下する。
こちらは急いで、少し離れた岩陰に回り、両手で頭を覆った。
間もなく。
ガコーーン、と、小気味のいい破裂音が河原に響き渡った。
ぱらぱらと、細かい破片が周囲に降り注ぐ。
収まったところで顔を出すと、目算通り。
落下させた石は、いくつかの破片と化していた。
『鑑定』様の指摘は正しく、比較的薄い形状の破片が多い。
より分け、吟味して、
「やった」
なんとか、用途に適いそうなものを見つけた。
片手に収まる大きさで、割れた断面の角が刃物のように薄くなっている。もちろん庖丁やナイフのようにはいかないだろうが、脆いものなら切り裂くことができそうだ。
さっそく、試してみようと思う。
川べりに寄っていき、狩ったノウサギを一羽取り出す。
水の上で、その首に石製の刀を当てる。
「この、この――」
なかなか思うに任せない数度の往復で茶色の毛皮に切れ目が入り、ぷしゅ、と赤い血が噴き出した。ここら辺が頸動脈かという予想は、まちがいなかったようだ。
そのまま後ろ脚を手に持ってぶら下げ、血抜きを行った。
方法がこれで正しいものか判定法も知らないが、ほとんど血が出なくなったところでよしとする。
一度水で洗ってから、次には腹に刀を入れる。
また数度の試行錯誤で切り裂くことができ、何とか内臓類を引張り出した。これらのどれかが破れると悪臭がひどくなると聞いたことがあるので、できるだけ丁寧に処理を行う。
内臓のある程度は食べられる気もするのだが、今は冒険はやめておくことにする。川べり近くの砂を掘って、すべて埋めてしまった。
何か他の獣が寄ってきても、つまらない。
「ふうう……」
そこまで処理を終えた一羽を水で洗い、また『収納』し直した。
何とか役に立つことが分かったので、石庖丁も大事に『収納』しておく。
あとは火があれば、この肉を食することができるだろう。
――しかし、火か。
昨夜さんざん試してみて、自力で火を熾す目算は立っていない。
火山の近くならともかく、こんな河原や森のどこかに火種が落ちているわけもない。
『ファイヤーなんとか』といった魔法が使えるはずもない。
「くそ、あの
こんな不便な場所に落とすなら、せめて火くらいは使えるようにしてくれればいいものを。
本当に、最低限の能力。野生動物との戦闘さえままならない程度、ときている。
何度くり返しても、愚痴り足りないのだが。
――『鑑定』と『収納』だけで、どうしろと言うんだ。
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