26 夜道を歩いてみた

 毎日工事労働に通って、一週間以上が過ぎた。

 夕食を共にしながら、ダグマーが「仕事は明日で終わりにして、村に帰る」と告げてきた。

 ほぼ予定していた日数が過ぎ、収入も得られたらしい。家に戻って、畑仕事の手も必要になる頃合いということのようだ。

 ダグマーの村は、領都から南西へほぼ一日行程の距離だという。こちらから王都方面へ向かう際の最初の宿泊地として好都合な位置どりで、宿などはないが野営用地を解放しているのだそうだ。


「ハックにはずいぶん世話になった。あちらへ来ることがあったら、俺の家に泊まっていってくれ、歓迎する」

「こちらこそ、いろいろ教えてもらって助かりました。その際はぜひ、寄らせてください」

「おお、楽しみにしてる」


 翌日には、ノウサギ肉の量を増やして焼肉でダグマーの旅立ちを祝った。

 その翌朝早く、気のいい青髪の男は元気に帰郷の途についていた。

 こちらは、いつも通り仕事に出る。

 九日間連続の労働で、持ち金は銀貨百枚分を超えている。

 そろそろ一度休みをとって今後のことを検討しようか、などと考えながら、土嚢運搬のノルマを終えた。

 親しくしていた相部屋の男がいなくなったことだし、宿泊の方法も再考したい。部屋を借りるという選択もあるか。しばらく野宿を試してもいいか。

 森で狩りを終え、肉と内臓を売り。

 その後は、少し暗くなるまで町中を歩いてみることにした。何処か空き地などで野宿を検討するとしたら、日没後の様子を見ておきたい。

 まあ今日までは木賃宿に前払いしてあるので、戻るわけだが。


――へええ。


 数軒の店が建ち並ぶ通りを見ていると、日暮れ近くなるにつれて急激に人の姿が減り出した。同時に、店も閉じ始める。

 照明が必要になる時間帯に商売はしない、という倣いなのだろう。

 住民たちも家に入って、夜道を歩くということはまずしないらしい。

 木賃宿の近くではこの時間帯でも料理屋への行き帰りの姿がぽつぽつあったので、こちらの言わばメインストリートがこういう状態とは知らなかった。

 試しに小路へ入ってみると、ほぼ真っ暗だった。周囲の家も中で照明を使っているのかどうか、板の窓を閉め切っているのでほとんど分からない。たまに少し隙間から明るみが覗く程度だ。

 今日は半月が雲間に見え隠れしているので行く先がまったく見えないというわけでもないが、新月の夜なら場所によってそれこそ、鼻を抓まれても分からない、という状況ができても不思議なさそうに思える。

 差しかかった道は高い板塀に囲まれ、とりわけ暗がりが深まりそうになってきた。


――この時間帯以降は出歩かないのが当然、危うきに近づくなかれ、ということだな。


 思い、大通りに戻ろうと踵を返す。

 と。

 振り向いたすぐ先に、立つ人影があった。かなり大柄な、男らしい。

 がさ、という音に元向いていた方を見やると、もう一人の男が近づいてきている。


――挟まれた?


 向き直ると、正面の男の手には長いものが握られている。剣、だろうか。

 後ろの男は徒手に見えたが。

 一応偶然の通りすがりという可能性を考えて、脇の板塀に背を寄せて道を空けてみた。

 しかし両方向から二人の男は動きを合わせ、数歩の距離を空けて立ち止まっている。

 ちょうど雲に陰っていた月が顔を出し、朧げに風体が見えてきた。

 二人とも、見覚えがある。初日の宿で一緒に食事をした、赤髪と灰色髪の男たちだ。そう言えば、名前を聞いていない。


「えーと……出稼ぎの先輩たち、ですよね。何か御用でしたか」

「ちぇっ。覚えてやがったか」


 剣を持った赤髪が、隣の灰色髪にちらり視線を送った。

 あまり高級そうではないが、鞘もなく抜き身の刃幅が広い剣は明らかに金属製で、本物に見える。

 それをわずかに持ち上げて、赤髪の男はにやりと笑いかけてきた。


「悪いがあんちゃん、金を出してくれや」

「金、ですか」

「ないとは言わせねえぞ。毎日、工事とノウサギ狩りで稼いでいるはずだ。何処かに預けたり隠したりしているようでもねえ。少なくとも昨日今日の稼ぎは、まちがいなくそのままそこに持っているはずだ」

「はあ……」


 どうもここ数日、ずっと見張られていたらしい。今日は工事現場から尾行されていたのだろうか。

 他の出稼ぎ者たちに比べても多く稼いでいる事実に気づかれ、目をつけられていたらしい。

 銀貨百枚以上――まあ何とか、背中の鞄に収まると解釈されるか。実際にはもちろん、『収納』してしまっているわけだが。

 両側を見回しても、人の通りは期待できそうにない。大声を出したら、近所の家から誰か出てきてくれるという可能性はあるだろうか。

 その辺、当然男たちの方がこの世界の常識に通じているわけで。


――まず、住民たちにそんな親切心や好奇心はないはず、という見込みで行動しているんだろうなあ。


 どちらかというと、外の剣呑な気配には関わり合いになりたくないという人がほとんど、という見越しなのではないか。

 それが現実だということなら、大声で騒ぐのは無駄。へたをすると相手を激昂させて、穏便に済むものをそうでなくする可能性さえあるかもしれない。

 相手が戦闘の専門家とは思われないが、まちがいなくこちらより腕力はありそうだ。格闘して、勝ち目は薄いだろう。

 何より、一本だけだが向こうに剣があるというのが、致命的なハンディだ。


――二日分の稼ぎ程度を鞄の中に取り出して、「これしかないのでご勘弁を」と済ますことはできるか?


 それだけで引き下がる、という楽観はできそうにない。

 それより何よりこの男たち、こちらをどうするつもりなのか。

 この夜を選んだのは、もともとこのまま町を出る予定にしていたためかもしれない。しかしもしそうだとしても、被害者が顔とこれまでの宿泊先を知っているとなると、領兵隊などに通報されて行方を追われる可能性が出てくる。

 それでなくても、こちらがかなりの金額をそのまま身につけていると予想しているのだ。命を奪いさえすれば容易に手に入る、という判断になる。

 かなりの確率で、最初から見逃す気などないというつもりだと思っていいのではないか。


「分かってんだろう? 大人しく金を出さねえと、ただじゃ済まねえ。この剣、切れ味がよくねえ分、斬られたら痛いだろうぜえ」

「ああ、そうみたいですねえ」

「分かってんなら、さっさと金を出すんだな」

「出したら助けてもらえるという、保証はありますかねえ」


 赤髪はちらりと、仲間に横目を送る。

 灰色髪はそれに、軽く頷き返した。


「言い合いしてるだけ、時間の無駄だ。邪魔が入らないうちに、済ましてしまうぞ」

「いやそんな、急がなくても」

「うるせえ! そこ、動くな」


 一歩踏み込み、赤髪男は両手で剣を大きく振りかぶった。

 月光の下、一瞬刀身が光を走らせる。


「死ねえ!」

「わ!」


 太い、筋肉を張りつめさせた両腕が、振り下ろされる。

 ぶん、と空気を切り裂く音が走る。

 が。


「な――?」


 振った腕は、そのままただ空を切っていた。

 腰前まで落ちたその手に、何も握られていない。

 ひと呼吸の間を置いて。

 その背後から、かららん、と空虚な落下音が聞こえてきた。

 数メートル先の地面に、剣だけが転がり落ちているのだ。

 当然、剣が頭上に振りかぶられたところで『収納』し、即座にすぐ後ろ上の空間に出現させたせいだ。

 誰がどう見ても、当の本人にさえ、手を滑らせたせいとしか思いようがないだろう。


「え、え?」

「何やってんだ、お前?」


 呆然と自分の手を見る赤髪に、灰色髪が呆れた目を向けていた。

 その脇を抜けて、脱兎とばかり走り出す。

 少しは明るみのある、大通りの方角へ。


「あ、おい、こら待て――」


 しかし、思った以上に灰色髪の動きは素速かった。

 すぐに背後から手が伸び、右腕が捕まえられる。


「逃がして堪るか、この野郎」


 やはりこちらよりかなり強い腕力で、ぐい、と引き寄せられる。

 勢いで思わずバランスを崩し、倒れ込みそうになってしまった。


 ところで。

 こんな取り込み中、少し話題をずらして、申し訳ないが。

 この世界の標準として、男の服装は長ズボン、女はロングスカートだ。

 長ズボンとは言っても、現代日本のものやその手のマンガに描かれているような、オシャレに脚にフィットする太さというものはほぼない。

 特に庶民の普段着は、まず例外なく手作りか古着ばかりなのだ。古着でちょうど身体に合うものばかりが見つかるはずもなく、ほとんどの場合は妥協できる範囲で太めのものを選ぶに決まっている。

 しかも当然、ゴム紐などはない。ないが、まあ、余裕ありありの腰回りを紐でしっかり結びさえすれば、生活に不自由はない。

 それでなくても――特段誰に確認したわけでもないけど――普段着や仕事着のズボンは、余裕のある太めのものを着用するのが当たり前なのではないだろうか。

 そんな滑りや伸縮のいい高級な布地を使っているわけではないのだ。脚にフィットして動きが悪くなるより、余裕があって動きやすい方を選ぶだろう。

 太めで仕事の邪魔になる、という懸念を持つこともそうないのではないか。

 ちょっと違うかもしれないけど。

 命がけに近い状況で着用される太めの穿き物といえば、古くは武士の袴、新しくは工事現場のニッカポッカというものがある。どちらも着用される理由というのがあって、脚の動きを妨げないことと、足元の邪魔な物を感知しやすい利点があるのだ、という説を聞いたことがある。

 つまり、歴史が証明していると言っていいのではないか。

 かなり身体を動かす必要のある職業に和服の袴が向いていないのだとしたら、あんなに何百年も戦闘職(?)の武士に着用され続けていたはずがない。

 ――――――。

 いやいやいやいや。

 話が逸れすぎました。

 何が言いたいかというと、今目の前にいる男たちのズボンは、かなり余裕のある太さだということだ。

 ということは、すわ、もしも腰紐が切れてしまったら――。


「わ、わわああーー」


 ずでーーーーん。


 この灰色髪男のように、即座に太股までずり落ちたズボンに脚をとられ、たたらを踏んで腰砕ける、という事態になってまちがいないだろう。

 ただ、腰紐の結び目近く、一センチ程度を『切り取り収納』しただけなわけだが。

 これが現代日本のスリムジーンズだったら、こんなにうまくいかないだろう。


「何だ、クソ――」

「何やってんだ、お前?」


 さっきのお返しというわけではないだろうけど、今度は赤髪男が仲間に呆れ声をかけていた。

 とにかくもこの隙に、掴まれかけていた腕を振り払い、走り出す。

 一応、管理者神様保証の『短距離走で県大会に出場できるレベル』の足、のはず、だ。

 街道大通りに出るまでは追いつかれない、はず。

 そこまで行けば、口入れ屋の斜め向かいにある領兵隊の詰所が目に入る。大声を出せば、駆けつけてくるだろう。

 軽快に駆け。

 あと、数十メートル――。

 というところで、油断は禁物、という格言を思い知らされることになった。

 足元は舗装道路でもなく、整備された陸上トラックでもない、のだ。

 当然それらより、あちこちでこぼこ、石などが露出している危険は避けられないわけで。

 トップスピード近くになっていた分、踏み留まりもできなかった。

 ものの見事に蹴躓き、ざざざ、ともんどり打ちの末、膝をついてしまっていた。


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