25 偉い人と話してみた
それからさらに、二日ほど経ち。
それぞれの仕事も順調で、かなり手馴れてきていた。
工事現場でも、特に誰かと話を交わすということもないが、よく来ている者の顔は少しずつ覚えてくる。
やはり大半は出稼ぎの壮年男性で、とりわけどういうこともないが。ほぼ毎日見かける若年層の顔は、何とはなしに気になってしまう。
特にこの日は、自分と同年輩か少し下かという少年と、土嚢運搬先の置き場が隣になっていた。
ひとしきり汗を流し、とりどりに午の休憩をとる頃合いになる。
土嚢に凭れて干し肉を囓っていると、隣が少し賑やかになっていた。ちらり見やると、座った少年の側に同年代の少女が数人集まっている。
和やかに話している様子からして、仲間同士ということなのだろう。
「俺の方は何とかいけそうだけどな。マリヤナ、大丈夫か? さっきから足がふらふらして見えるぞ」
「……大丈夫、頑張る」
「あたしも頑張るから、マリヤナ、きつくなったら休みなさいよ」
「……ナジャ一人じゃ終わらない、百個」
「わたしの方が終わったら、二人の分も手伝えると思うから。無理はするな」
「そうだ。無理して倒れたら、元も子もないってやつだ。俺もなんとか早く終わらせて手伝う。マリヤナは絶対無理をするな。ナジャも、頑張りすぎはダメだぞ」
「……うん」
「分かった」
年長らしい少年と長身の少女が、かなり小柄な少女二人にアドバイスしているところのようだ。
ただの友だち同士というより、かなり切実に協力体制を作っているように聞こえる。
どういう事情か興味惹かれて耳を澄ましていると、逆側から声をかけられた。
「おお、お前、この間ずいぶん頑張っていた小僧だな。今日も来ていたのか」
「あ、はい」
金髪頬髯の偉丈夫、監視人が領主様と言っていた人だ。
座った姿勢から膝をついて頭を下げる。
「そんな畏まらなくていい」と、領主は手を振った。
「今日もいい調子で運んでいるじゃないか。あれから毎日、こんな調子か?」
「は、はい、一応」
「筋肉痛になったりしていないか」
「はい、今のところは」
「ほう、なかなか見込みありそうな小僧だな」
にやり笑って、無遠慮に顔を覗き込んでくる。
何とも人懐っこい性格の領主らしい。
――やべ。変なところで目をつけられたか?
体力を見込んでどうかしたいなどともし言われても、実際にはそのままの成果ではないのだから、誤魔化しに困ってしまう。
「ガタイのいい将来性のありそうな奴は、何処かで役に立ってもらいたいんだが……しかしお前、見た目はそうでもないよな」
「あ、はい、済みません」
「謝られる必要も、別にないが」覗き込んで、ううむ、と唸っている。「お前、どこか妙に変わっているな。農家の子どもには見えないが」
「あ、はあ……」
「何処の出身だ?」
「はあ……」こういう問い方をされるとまったくの嘘を答えるわけにもいかず、腹を括るしかない。「済みません、分からないんです」
「どういうことだ」
「何か事故に遭ったらしくて、怪我して気を失っているところをグルック村の人に助けられたんですが、その前のことを覚えていないんです」
「ほう――」
興味を持たれてしまったらしい。
すぐ横にどっしり胡座をかいて、領主は「詳しく話せ」と催促してきた。
仕方なく、説明する。
グルック村で親切にされたこと。
魔物の接近で村人たちは避難して、自分は徒歩でここまで辿り着いたこと。
今は工事人足と狩りで金を貯めて、生活の基盤を作りたいと思っていること。
一通りの話を、領主はふむふむと頷いて聞いている。
しかしこれ以上掘り下げて問い詰められると、何処でボロが出るか分かったものじゃない。
自分の境遇から話を逸らしたくて、ふと思い出したことを口にしていた。
「そう言えばこの領地では、山で塩を採ったりしているんですか?」
「何い、塩だと?」大男は、金色の眉をひそめた。「塩は近くの西の岩山で、わずかながら採掘できているが。まさかお前、山で塩を見つけたのか? 東から来たと言ったな、そっちの山でか?」
血走った目つきでずずいと身を乗り出して、胸ぐらを掴まんばかりに顔を寄せてくる。
予想をはるか越えた食いつきに、思わず口にしたことを後悔してしまった。
「え、え――そんな大ごとなんですか」
「当たり前だ、領民の生活に直結する問題なのだからな。新しく西の岩山と同程度にも採れれば、高い金を出して他所から買わずに済む。もっと採れるなら、他所に売って収入にもできる。その見つけた場所、教えてくれ」
「は、はい。でもちょっと見つけて舐めたらしょっぱかったってだけで、本当にちゃんとした量があるかは――」
「そんなことは、こちらで判断する。別にちゃんと見つからなくても、罰するなどはしない。本当に相当な量が見つかれば、相応の礼をする。これをちゃんとしないと、他に示しがつかんからな。逆に、これを秘匿して個人で金儲けしようなどとしたら国法に触れる罪だ、へたなことは考えるなよ」
「は、はい」
息を呑んでいると、両肩をがっしり掌で掴まれた。
金輪際逃がさないぞ、というつもりらしい。
「さあ言え、何処だ?」
「えーと……本当に、もし空振りでも罰せられませんよね」
「約束する」
「その――ツェヒリン川沿い、イムカンプ山地の中でちょっとした滝になっているところがあるんですが、そのすぐ上流側の森に上がる岩肌です」
「よし!」
大きく頷いて、領主は立ち上がった。
興奮のあまり、という調子で何度も掌を打ち合わせている。
「でかした、すぐに調べさせる。領主の名において、決して約束は違わないからな」すぐにも歩き出そうとして、慌てて振り向いてきた。「そうだ、小僧、名前は?」
「あ、ハックです」
「そうか。結果が分かれば、この工事現場か口入れ屋に連絡するからな。それまで、この町を出るなよ」
「はい、分かりました」
慌ただしく駆け出していく。
遠巻きに待機していたらしい御付の者たちも寄ってきて、共に駆け足になっているようだ。
一連のやりとりからして、やはり岩塩の存在というのは領政の上でもかなり重要事項になるらしい。
これ以上、他言しないようにした方がいいのだろう。
その夜のダグマーとの会話でも、塩の件は話さないようにした。
代わりに、改めて領主がどういう人なのかについて尋ねる。
「領主様か? どうも
「戦上手、ですか」
「ああ。十年近く前か、今の領地になるところを、ハイステル侯爵領だったところから攻め取ったんだからな」
こちらが過去の記憶がないことを明かしていたので、丁寧に教えてくれた。
それにしても「攻め取る」とはかなり物騒な言い回しだが、ダグマーはそこそこあっさりと口にしている。
どうもこのご時世、特段珍しいことでもないらしいのだ。
ゲルツァー王国自体も、かなり頻繁に近隣諸国と小競り合いをくり返している。さらに国内で爵位を得ている領主たちも、隙あらばという格好で他領と領地の奪い合いを続けている現状らしい。
こんな重要な情報、先のグルック村でもこの町でも、もっと早く仕入れているべきことだったのだろうが。
――あまりに常識的すぎて、誰も教えてくれなかったんだろうなあ。
考えてみると。
あの
実際見てみて、例えば火薬や鉄砲があからさまにはまだ出回っていない文化水準、のようだ。
中世と言えば、日本に当てはめるなら戦国時代より前、ということになるはずで、その見当であまり外れではないと思っていいだろう。
――いや、高校の選択科目で世界史をとっていなかったので、西洋の例はほとんど浮かばないんだ、情けないことに。
この国での爵位を持つ者たちの領地が、戦国時代の「美濃の国」「甲斐の国」といったものと似たような位置づけと考えて、何ら不思議はない。
ダグマーにしても単なる地方の一農民で、それほど全国に関する情報は持っていないようだが、それでもできる限りで訊き出したところ。
大雑把な感覚で、この国の情勢は日本の戦国時代と江戸時代の中間くらいのようだ。
単にその中間というと、安土桃山時代(だったか?)辺りになってしまうが、それよりは少し落ち着いている。無理矢理簡単に言い切ってしまうと、かの時代のアシカガさんがもう少しはしっかりしている感じ、と思えばいいか。
国の王都付近はかなり落ち着いていて、中央政府で各領主に爵位や役職を与えたり国税を徴収したりして、そこそこ国家運営はできているらしい。
しかしそれぞれの領地の間での微妙な地域や辺境地帯だと、それこそ「隙あらば」という感覚で軍力による奪い合いが跡を絶たないという。
現在のシュナーベル男爵領は、紛うことなくこの「辺境地帯」に当たる。
十年程度前、今のここの領主シュナーベル氏はまだ、ハイステル侯爵領の一地方の有力者に過ぎなかった。
それが、ハイステル侯爵が隣のツァグロセク侯爵領と揉め事を起こし、そちらに兵を集めていたその隙を突いて、わずかな戦力だけでこのプラッツ町にあった代官所を攻め落としてしまったのだという。
それに続けて、プラッツ以北はもちろん、南西に点在するいくつかの村を含めて「我が領地とする」と宣言。勝手に引いた境界線で、奪還を目指して寄せてきたハイステル侯爵軍を地の利もあって押さえきった。
こんな事例は過去に掃いて捨てるほどあったので、中央政府は静観。事実上の領主の地位を、シュナーベル氏は力尽くで得てしまったわけだ。
その後、七年前に起きたゲルツァー王国と隣国との戦乱で、派兵したシュナーベル氏は大きな武勲を上げ、男爵の爵位を得る。
以後、プラッツを領都として整備を進め、着々と領地を安定させて現在に至る、ということのようだ。
「それにしても、何というか……」
「何だ?」
「そんな、そこそこ近い時期に侵略とか戦とかがあったというわりには、この町の人たちもダグマーさんなんかも、何というか大らかに落ち着いた感じですよね」
「ああ、それはな。町民も農民も、直接には戦に巻き込まれていないからだろうな。その、領主様がこの町を攻め落としたってときは、本当に真っ直ぐ代官所だけを狙って押し入ったらしい。隣国との戦に参加したときも、領主様のもともとの兵と、あとは農民なんかからの志願兵だけを連れていったということでな」
「へええ」
「話では少数精鋭で奇襲が得意だってのと、領主様自らが先頭に立って、兵隊たちの士気が高いんだそうだ。領主様の顔に残っている傷は、その隣国との戦で真っ先に斬り込んだときのものらしいぞ」
「何とも、凄い話ですね」
「何かその話で、すっかり領地内での領主様の人気は高くなったっちゅうことだ」
「そうなんですか」
それでなくても民衆たちにとって、自分たちの町村を治める領主が誰であるということは、たいして拘りになっていないらしい。生活が苦しめられずある程度の余裕が得られればそれで十分、という感覚なのだろう。
特にこの地域は北の端の辺境ということもあって、そこそこ頻繁に支配者が入れ替わってきた歴史があるということだ。
そもそも二~三百年ほど前には、この国の一部と意識もされていなかったのではないかというほど、少数の現地人が細々と暮らすだけの過疎地だった。
その後、形式的にだけ国王の直轄地とされたこともある。古くから棲みついていた有力者があまり他地域と交流しない自治を行っていた時代もあるし、かなり遠方の領主に攻め取られて飛地のような領地の一部とされたこともある。
南西に隣接した地域がハイステル侯爵の領地となった後、しばらくしてこの辺北の端までの一帯が侯爵領に取り入れられて落ち着きを見た。それが六十年ほど前ということで、つまりこの地域は、百年弱の間に治める者が二度以上も替わっているのだ。
侯爵領だった頃も特段不自由はなかったし、今の男爵領としての位置づけにも不満はない。多少領税が高くなったが、以前は侯爵領の中でも端の方でいろいろなことが後回しになっていたのに比べて、今は直接領主の目が行き届いて活気が見られるようになっている。その意味ではどっちもどっちという程度の差だ。
ということで、町も周辺の村々もすっかり落ち着きを見せている現況ということらしい。
もしかすると、もともとその辺、大らかな性格の土地柄なのかもしれない。
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