72 拝謁してみた

 噴火の騒ぎも怪獣襲来騒動も落ち着いて、町中はいつもの営みを取り戻している。口入れ屋やイザーク商会の建物が並ぶ街道沿いに、人の行き来が絶えない様子だ。

 その口入れ屋の斜め向かい、兵の詰所前に、昨日会った中隊長が待ち構えていた。領主様からお言葉があるので、邸宅に招きたいという。

 詰所の中には、小隊長と数人の衛兵の姿が見えている。

 恰幅のいい中隊長に続いて歩き出しながら、尋ねてみた。


「領主様からお言葉って、僕たちだけですか。小隊長さんや他の兵の人たちは」

「昨日の首尾は褒められてしかるべきだが、兵たちにとっては当然の職務のうちだ。君たちは義をもって進んで協力してくれたとのこと。領主閣下はそこを特に労いたいとの仰せだ」

「そうなのですか」


 かなり高価そうな戦闘服めいた身なりの中隊長が先に立ち、詰所の兵よりやや小綺麗な外見の衛兵が二人後ろに続いてきている。

 どちら様も見慣れない顔姿からして、詰所よりは領主邸方面の勤務が多い人たちなのだろうと思われる。


「トーシャくんは、たいした剣の腕前なのだそうだね。その腰の長剣も、なかなかの業物らしい」

「はあ、恐縮です」

「何処で創られたものか、教えてもらうことはできるかな」

「いや、死んだ父から譲り受けたものなんで、俺にはよく分からない、す」

「そうなのか」


 残念そうに頷きながら、その目はちらちらとトーシャの腰に注がれている。

 兵士を職とする者にとって、それほどに羨ましい持ち物なのだろう。


――何しろとにかくも、神様謹製なんだからなあ。


 二十分ほど歩いて、領主邸に到着した。

 以前何度か訪ねたときと同様、門番二人の確認を受けて木の門をくぐる。

 しかし今日は入ってすぐの応接室ではなく、奥の方に招き入れられた。

 そこそこ豪華な控室で十分ほど待たされた後、改めてその先に案内される。厚い木の扉を入ると、中は学校の教室程度の広さの大部屋だった。

 そこそこ改まった領主への謁見に使われる部屋らしい。

 左手奥で一段高くなった教壇のようなところに豪華な椅子が設えられ、領主が座っている。その横手から奥の窓側、手前の壁側にそれぞれ四人ずつ、なかなか立派な身なりの青年から壮年と見える男たちが並び立つ。

 領主はそれほど華美な正装というほどでもないが、もちろん町中を歩くときや商人と会談するときより改まっているという印象の身なりだ。見慣れた頬の古傷と髯に覆われた顔を、厳めしく引き締めている。

 壁側の四人が何となく軍服めいた外見の服装なのでおそらく武官、窓側の四人が文官ということなのではないか。とにかくも領のある程度の重鎮が勢揃いしているという印象を受ける。

 中隊長に導かれて領主の正面――とはいえ、部屋の隅と隅ほどに離れている――に進み、「片膝をつくのだ」と囁かれてそれに従う。

 こうべを垂れていると、「おもてを上げよ」と正面から声をかけられた。

 少し脇に控えていた中隊長は静かに窓側へ移動して、武官の末席に並んでいる。


「トーシャとハックと言ったな。このたびの働き、大儀であった。昨日の魔物を町に入る前に撃退できたのは、真に僥倖。其方そなたたちの働きが大きかったと聞く。領を代表して、礼を言う」

「は」

「ありがとうございます」


 二人とも、こんな改まった場での作法も口のきき方もまったく知らない。無難に短く答えておく。

 顔を持ち上げながら、ちらりと両側を見ると。左手の文官たちはともかく、右手の武官たちには何処となく微妙な表情が窺える。

 上座の領主がちらりと視線を流すと、末席の文官が頭を下げ、手を二度叩いた。合図を受けて扉が開き、男が二人がかりで荷物を運んでくる。

 領主の脇に設えた卓に置かれたのは、小柄な人の身長半分ほどの長さで薄灰色をした円錐形の物体だった。

 二人の荷物運びが出ていき、末席の文官がやや主に向かい直った。


「昨日運び込まれたものを、見た目供覧に堪えるように処理いたしました。くだんの魔物の牙でございます」

「うむ」

「ほおお」


 両側に並び立つ家臣たちの大半は、初めて目にしたものらしい。

 複数の口からとりどりに唸りが漏れた。

 大まかな印象では、武官たちは声を抑えて目を瞠っているが、文官たちは驚嘆を露わにしているようだ。


「これは大きい」

「なるほど、魔物の丈は十ヤータほどもあったと聞くが、頷ける」

「これでは、直接襲われたら堪ったものではないな」

「よくこれを仕留めたものだ」


 文官たちは好奇心を隠さず覗き込み、武官たちは睨みつけるような視線を注いでいる。

 武官の末席についていた中隊長が、手にした木の皮を見ながら説明を入れた。


「そのような巨体で、しかも表皮は石や弓矢で傷つけることも叶わぬ固さだったということです」

「うむ、そういうことだったな。その上、口から火を噴くという」

「運よく、口内に投げ込んだ石が破裂して仕留めることができたと言うが」武官の一人が唸った。「その幸運がなければ、町への侵入は阻めそうになかったという。もしそのような事態になれば我々で、この領主邸前で最後の防衛戦に臨まねばならなかった」

「近衛兵団が出ればそのようなもの、造作もないわ」上座から二番目の武官が肩をすくめる。「今回の苦戦は、衛兵の質の問題だろう」

「控えよ、ハインリヒ」


 上座の武官が苦笑めいた顔でたしなめ、ハインリヒと呼ばれた男はまた肩をすくめて口を閉じる。

 領主もそちらへ「仕方のない奴だ」とでも言わんばかりの目を向けていた。


「とにかくも現実、このような魔物が現れたわけだ。今後もまた現れないとも限らぬ。十分に備えを再検討せよ」

「は、畏まりました」


 上座の武官が代表して答え、一斉に武官たちが一礼した。

 逆側の文官たちも頭を低くしている。

 頷いて、領主は正面に向き直った。つまりは、こちら二人の方へ。


「という状況なのだが、どうだお前たち、正式にこの領に仕えぬか」


 いきなりの要請に、思わず身構えてしまう。

 こうべを低くしながら、トーシャの目がちらりとこちらに流れた。


「そちらのトーシャ、剣の腕前は衛兵に混じっても上位らしいと聞く。昨日はともかく、先のオオカミの魔物の迎撃では、兵たちにも勝る見事な働きだったそうだな」

「は、ありがたきお言葉で、恐れ入ります」

「お前なら、近衛兵の中堅以上の待遇で受け入れよう。働き次第で、早晩それ以上の昇格も望まれる。見ての通りまだ領の態勢を固めている途上なのでな、人材はいくらでも欲しいところだ」

「は――」

「どうだ」

「畏れながら――」

「うむ」

「先のような魔物は、南の方面にも出没が増えてきていると聞きます。俺は、そのような魔物の征伐に腕を振るいたいと考えています」

「うむ、こちらに仕官はできぬと申すか」

「畏れながら」

「ふむ」


 口元は緩めたままながら、領主はひくと眉を寄せていた。

 しばしの黙考の後、視線の先がこちらに移る。


「ハックはどうだ。お前は武力面より、領の経済強化の方向で役立ってくれるものと考える。そちらの官職として優遇するぞ」

「は――」

「どうだ」

「申し訳ありませんが、まだ今の作業体制でいろいろ試してみたいものがありますので」

「こちらに仕官しても、そのような試すことはできるぞ」

「今の同居している子どもたちと、何とか工夫を続けたいと考えております」

「ふうむ――」


 首を振り、「振られたか」と両脇に苦笑の顔を回す。

 口端はわずかに持ち上げているが、目元はしかめられているようだ。

 まあ当然、このような若僧たちに拒絶されて愉快な気持ちではないだろう。


「まあ、よい。気が変わったら、言ってくるとよい」

「は」

「ハックには引き続き、今の活動を進めることを願いたい。領やこの町には、大きな助けとなっているのでな」

「はい」

「では、下がれ」

「は」


 再び中隊長に先導されて、退室する。

 別室で報奨金を受け取り、領主邸を辞することになった。

 まだ朝早いうちで、大通りに行き交う人の姿は絶えない。

 少し道を進んだところで、友人は問いかけてきた。


「領主の提案を断って、よかったのか? 領の後ろ楯で商売ができるなら、お前にはいい話だったんじゃないのか」

「うーーん……少し複雑なんだけど、今のままの方が僕には有利で、得るものも多いはずなんだよな。イザーク商会と独占の契約を結んでいるから、利益が保障されているんでね」

「そうなのか」

「それにあの領主閣下の提案は、他の子どもたちの待遇を含んでいないだろうからね。あいつらが自分たちだけでも生活を安定できるようになるまでは、手を貸してやりたい」

「ふうん、そういうことか」


 そんな会話をしながらいつものように大きな交叉点を過ぎて、庶民の町並に戻る。

 イザーク商会の前を通るところで、「ハックくん」と声をかけられた。見ると、店先で何か作業をしていたらしいアムシェルだ。


「よかった。旦那様が話したいということで、通るのを待っていたんだ」

「ああ、領主邸に呼ばれたことは、耳に入っていましたか」

「そういうことだね。時間が大丈夫なら、寄っていってもらえないか」

「分かりました」


 トーシャは先に帰らせて、奥に招き入れられる。

 いつものように商会長の執務室に通された。


「いやハックくん、忙しいところを申し訳ない。昨日はたいへんな働きだったそうだね」

「ああ、はい。衛兵の人たちに交じって、少し口出しした程度ですが」

「北の門の方へ見にいった店の者の話では、とんでもない大きさの魔物だったということじゃないか。遠くから見ただけでも震え上がるしかなかった、あれがもっと近づいていたら、町ごと滅ぼされていたんじゃないかと」

「ああ。まんざら大げさとも言えないかもしれませんね」

「前の魔物の襲来や火の川の騒動に比べても、ひときわ恐ろしい事態が迫っていたと言えそうだ。またしても領主様は、命存えたと胸を撫で下ろしているだろうね。今日は直に報奨の言葉をもらったのだろう?」

「ええ、友人のトーシャとともに、拝謁というんですかね、お偉方の中で言葉をかけていただきました」

「それだけ領主様も、お喜びだったんだろうね。何しろ、いろいろと気の休まらない話が続いているらしい」


 テーブル越しの向かいで、小柄な商会長は何度も頷いている。


「南のハイステル侯爵領との領界での緊張も、変わらず続いているようだしね。噂では、長年小競り合いの続いていたハイステル侯爵領と南のツァグロセク侯爵領の間で和議が結ばれる可能性が出ているそうで、もしそうなったら、また力関係が変わるだろう」

「そのハイステル侯爵領から、こちらに兵力を増やしてくるかもしれないわけですか」

「その可能性もあるということだ。領主様としては、気が気じゃないところだろうね」

「そうなんですか」

「まあ前にも言ったかもしれないが、我々商売人にとっては、治める領主様が変わっても大差はないと言えそうだ。年寄りの中には、昔のハイステル侯爵領だった時代の方がよかった、と言う者もいるくらいでね。もし本格的な戦になったとしても、このプラッツの町に向こうの兵が押し寄せることになったら、ここが戦場になる前に領主様は降伏するしかないだろうと言われているし。地形的に、領界で押さえ込む以外、こちらが優位に立てる可能性はないらしい」

「なるほど」


 何とも微妙な表情で、ジョルジョ会長は息をついている。

 近い将来について、さまざまな可能性を考慮していかなければならない、ということらしい。


「いやこんな話をするのもね、君や我々にとってもなかなか他人事ではないことになっているようなのだ」

「どういうことでしょう」

「知っての通り、最近のイーストの販売によって、税収が増加傾向にあるからね。まちがいないところでこれは、領にとって軍備増強の当てにされているはずだ。言い換えれば、ハックくんやこのイザーク商会が、領にとってかけがえのない存在になってきていることになる」

「ああ」

「領主様としても、ハックくんをないがしろにはできないお心持ちだろうね」

「なるほど」


 先ほどの仕官の提案も、そんな事情から持ち出されたものだろうか。


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