73 用心してみた

「そういうわけでね、領主様としては君をどうにかして押さえておきたいというお積もりがあるんじゃないかな」

「はあ」

「そこで――まんざらこれと無関係でもないから続けるが、今日話をしたかった本題なんだけどね」

「何でしょう」

「どうも、アイディレク商会とヘラー商会の動きがきな臭くなってきている。ここ数日、会長同士で密談をしているようなんだ」

「密談――会長同士が会うというのは、珍しいことなんですか」

「まったくないことではないが、どうもこっそり数日連続してというのがね。イーストの販売を王都に向けて広げている最中なのだから、そうそうそれ以外に目を向ける余地があるとも思えない。という点からするとこの件に絡む相談と思われるわけだが、この販路拡大においては特にトップが話し合って協力するとか譲り合うとかの必要はほぼ考えられないわけで、どうも不自然を覚える」

「まあ、そういう話でしたね。販路はほぼ無限にあるから、三つの商会でそれぞれ独自路線で行く。ヘラー商会が少し先んじて実績を上げていく、ということでしたか」

「そういうことだ。そのことからすると、会長同士が話し込む必要は考えにくいわけでね。そこで、嫌な可能性が思い浮かぶわけだ」

「何でしょう」

「先日のヘラー商会の企み、まだ諦められてはいないのではないか。今度はアイディレク商会も巻き込んで、協力して事に当たろうとしているのではないか、という想像だ」

「ああ……」


 ジョルジョ会長の指摘に、即座に頷いてしまう。

 というより、指摘されるまでもなく、常に頭の隅に置いていることだ。商会長たちにとって、イーストの製造法を手に入れたいという願望は必ずあるはずなのだ。


「あの二商会にとって、ハックくんたちのイースト製造とイザーク商会の卸し部分は、ぜひ我が物にしたいところだろうからね」

「でしょうね」

「実を言うと、内々に相談はされているんだ。イースト製造と卸しをマックロートやもっと南の王都に近い地でできないか、という。あちらに販路を広げるに当たって、まちがいなくその方が利便に勝るからね」

「まあ、そうですね」

「前に確認したように、ハックくんたちもうちの商会も、そうすることに不都合はない。しかしこの案は、領主様に反対されているんだ」

「ああ。今イザーク商会に領を出ていかれると、税収的に打撃というわけですね」

「そう。今イーストを扱う部門を移動することになると、イザーク商会の経営規模では本店ごと動かすのが現実的だからね。このプラッツで行っている農作物の買付や小売業は支店でもできるが、今やそれ以上の収入源になっているイーストとミソの扱いは本店規模でないとできない。前から相談しているようにイーストやミソの製造をある程度引き受けるということになったら、なおさらだ」

「そうなりますか」

「一方で、アイディレク商会やヘラー商会の規模なら、イーストの卸しを別の地で行うようにしても、支店の形でできる。そういうことなら、その支店の売上げ分も含めて税はこちらの領に納めることになる。ということはね、二商会が結託して強引な手立てでイザーク商会を潰すなどで卸し業を奪っても、領主様に黙認してもらえる可能性があるわけだ。領主様にとっても税さえ納められるなら、イースト製造を南に移して売上げが向上するのは喜ばしいことだからね」

「わ……」

「ところが、ここに問題が残る。ハックくんとは契約で、一年間イザーク商会以外にはイーストを卸さないということになっているからね。イザーク商会が完全に消滅したというなら契約もなくなるだろうが、もしこの店を物理的に破壊するなりして経営不能にしたとしても、私本人なり後継の者が生き延びてイザーク商会の名を名乗り続ける限り、契約は有効だ。現実、マックロートの支店が無事なら、そこにイザーク商会の名は残ることになる。この事態は、領主様も承認できないだろう」

「なるほど」

「一方で、その契約問題の打開策がある」


 苦い顔で、会長は向かいから視線を送ってきた。

 続きはすぐに思い当たるので、こちらも顔をしかめるしかない。


「僕を潰すこと、ですね。イーストの製造法を何とか奪いとるか、僕の命を奪って残りの孤児たちを囲い込む。イザーク商会との契約は僕の個人名だから、他の名義でイーストを製造するなら、それに縛られることはない」

「そういうことになる。おそらくさしあたって彼らが望むのはイースト製造の移動とイザーク商会の持つ卸しの権利だろうが、それを得るために真っ先に狙われるのはハックくんということになるわけだ」

「やれやれ、ですね」

「はっきり確証があるわけではないが、アイディレク商会は町のごろつきたちと繋がりがあるという噂がある。ヘラー商会は賄賂を使って、領兵の一部と懇意にしているといわれる。秘密裏にハックくんたちを狙うとか、少々の荒事は目を瞑ってもらうとか、できてしまうことも考えられるんだ。用心しておくに越したことはない」

「なるほど、分かりました」

「そんな恐れを抱いているくらいなら、さっさと今のうちにマックロートなりに移動してしまえばいいとも思えるんだがね。ハックくんたちはそれこそ夜逃げよろしく決行することも不可能ではないだろうが、はっきりした理由もなくそうやってイーストの取り引きをマックロートに移してしまってこちらの領主様と悶着を起こすのは、イザーク商会として望むことではないのだよ」

「ああ」


 やはり、納税の問題が立ちはだかるということらしい。

 そういう問題があるなら、あくまでイザーク商会の本店はプラッツにあるとして、イーストの取り引きを移動してもこれまで通り、マックロートでの収入分もシュナーベル男爵領に納税することにすればよいではないかとも思えるが、そう簡単に勝手をするわけにもいかないという。

 こういう本店支店の問題は全国に存在するので、国として基準を設けているというのだ。自称としての本店支店の区別に関係なく、最も収入の多い店の所在地で納税をするように、という。

 前に話を聞いたように、国内の各領の間ではいろいろと紛争が絶えない。その紛争の芽を少しでも摘むために、国としてできるだけ単純な指針を出したということのようだ。

 イザーク商会の実態では、イーストの取り引きを支店に移動すると明らかにそちらの収入が最大になってしまう。マックロートを治めるハイステル侯爵領が、それを見逃すはずがないのだ。


「まあ、領主様には内々に伝えているのだがね。もしこちらの活動が脅かされるような事態になれば、イザーク商会はハックくんたちを伴って他所へ移動すると。だからある程度は領としてこちらに配慮してもらえるとは思うのだが、それでも安心できるものではない。裏の手を使うなりして逸速いちはやくイーストの製造法を奪われたとしたら、領の徴税はそちらに向けられることになる。もう小さな商会や孤児たちに配慮してもらえる余地はなくなるだろう」

「ああ、そういうことになるでしょうね」


 これも前に考察したように、日本の室町時代、戦国時代より少し落ち着きがあるかどうか、と思われる世界なのだ。一応の法律や治安の態勢はあるにせよ、それが公平平等に作用する保障はまるでない。

 商人にせよ為政者にせよ、より利益がもたらされる方に肩入れする、ということでまちがいはない。

 領主にとっては、納税収入がそのまま軍備に直結する。言わば命がかかっているのだから、情に流されて甘い判断を下すなど絶対にあり得ないのだ。


「まあ引き続き領主様と相談をして、イースト製造の場所を移動する方策で何とか折り合いがつくようにしていきたい。販路を南に広げるためにこの点でもたもたしていたらみんなの損になるのだから、あまり時間をかけずに落とし所を見つけることができると思う」

「そうですか」


 くれぐれも警戒を怠らないように、と会長と言い交わしてイザーク商会を出た。

 道を北向きに折れると、もう噴火や魔物の跡形も残さず、緑の山々が遠く落ち着いて見えている。


「わーーー」

「こら待てーー」


 住居に近づくと、子どもの喚声が聞こえてきた。

 朝の一仕事を終えて、小さな子たちを遊ばせているのだろう。

 庭を覗くと鬼ごっこらしく、小さな三人とルーベンをニールが追いかけているようだ。

 駆けたり止まったり余裕の様子で、ルーベンが顔を向けてきた。


「ああハック、お帰り」

「おお、ただいま」


 少し新鮮なものを感じて見直すと、ニールとルーベン、マティアスの頭がさっぱりしている。ほとんど五分刈り状態だ。


「散髪したのかい」

「うん――はあ、はあ――」


 問いかけると頷いて答え、ニールは膝に手を置いて息を弾ませていた。

 いつもの休戦タイムで、慣れている子どもたちは立ち止まって体力の乏しい仲間の回復を待っている。


「無理せずに遊べよ。それから絶対、外に出たり目の届かないところへ行かないこと」

「「「分かったあーー」」」


 三人の子たちが、陽気に返事した。

 散髪はまだ続いているのかな、と土間を覗くと、トーシャを座らせてサスキアがその背後にいるのが見えた。

 ここでの散髪担当は、サスキアと決まっているのだ。

 もともとは、十日に一度程度頻繁にニールの髪を切る習慣にしていたらしい。それが同居を始めて、他の男子の頭の面倒も見ることになったという。こちらは毎回必ずではなく、ニールのついでの形で数回に一度という頻度になっている。

 今日はどうも、一ヶ月に及ぶ山歩きで伸びきったトーシャの頭を見かねて、強引にサスキアが押さえつけたのだという話を、傍らのブルーノが笑いながら説明してくれた。


「ハックもどうだ?」

「いや、俺は今回はいいよ」

「そうか」


 サスキアの申し出を、礼を言って断る。これまで数回切ってもらってその腕前は信用しているが、現状はそれほど必要を覚えない。

 ブルーノもこの日は断ったようだ。

 トーシャはそれでも長めがいいということで、見苦しくない程度に整えてもらっているらしい。


「助かった、ありがとう」

「どういたしまして、だ」


 笑い合って、トーシャは両肩を払い、サスキアは鋏を片づけている。

 奥から独特の香りがしているのは、女の子たちがキマメを茹でているところのようだ。これが上がれば、またミソの仕込みを再開することになる。

 この日はナジャが料理屋の仕事に出かけている以外全員揃っていて、イザーク商会からの要員も三名、脇で休憩しているところだ。

 ちょうどきりのいいところなので、ブルーノとサスキアを隣の部屋に呼んで今日の商会での話を伝えることにする。

 トーシャもつき合って、少し離れた床に腰を下ろしていた。


「――ということで、どうも微妙に怪しい話になっているようなんだ」

「なるほどな」

「何だかはっきりしなくて苛つくな。さっさとマックロート辺りへ移ってしまった方がすっきりする気がするぜ」

「俺たちとしてはそうなんだが、イザーク商会の意向を無視するわけにもいかないからな。俺たちが移動すると、否応なく商会も合わせなきゃならなくなる。会長さんとしては生れ故郷のこの町に愛着はあるし、領主様に不義理はしたくないということらしい。会長さんが何とかすると言っているのだから、しばらくはこちらで自衛を強化して様子を見るべきだろう」

「面倒な話だぜ」

「気をつけることや方針は、これまで打ち合わせてきた通りで変わらない。狙われるいちばんは俺だと思うが、人質にされないように他の子たちの安全に気をつける。いざとなったら躊躇なく、この町を捨てて隣の領へ移動する。今日聞いた話では、もしかすると領兵の一部が商会と結託している可能性があるらしい。そういう事態になった際には、とにかく逸早く逃げ延びるのが得策と言えそうだ」

「分かった」

「前にも言ったように、もし俺が拘束されるなどして帰らなくなったら、構わずみんなを連れて移動開始してくれ。そうだな、断りなく丸一日連絡がとれなくなったとき、あるいは何処か目立つところに白いものを合図に残したとき、ということにしよう」

「ずいぶん具体的に決め事をするんだな」サスキアが眉を寄せて唸った。「それだけ現実的に危険が迫っているということか」

「こちらからでは何とも分からないけどな。ジョルジョ会長さんの言う『きな臭い動き』というのを、真剣に受け止めておこう」

「分かったぜ」

「ブルーノとサスキアは、壁工事に行くのをやめてこちらの作業に参加することにしてくれないか。俺とニールの狩りも、肉屋と料理屋と相談してやり方を考える」

「うむ、そうだな。なるべく大勢で一緒にいるようにすべきだ」


 固い表情で、ブルーノとサスキアは頷き合う。

 当分、外に仕事に出るのはナジャだけになる。

 こちらは勤務先が人通りの多い場所に開いた料理屋で、ほとんど客足も絶えなくなっているので、襲撃などの心配はないだろう。これまでもそうだが、行き帰りは必ず年長者の誰かが付き添う形にしている。


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