50 話し合ってみた 1
木立の間を透かし見ると、人が三人、荷車のようなものを引いてきているようだ。
「やあ、本当にお前さんか。イノシシを仕留めたって?」
「はい、こっちです」
顔が見えるや、先頭の小太りの男が気忙しく声をかけてきた。肉屋のヤニスだ。
後ろから、サスキアと見知らぬ男が荷車を押してきている。
「へええ、首を斬っただけで他に傷はなしか」
「ええ。ノウサギと同じ要領でそこの岩に衝突させて、ふらついたところをそのサスキアが剣で止めを刺したので」
「こりゃ、たいしたものだ」
「本当だ。こんな大物、初めて見た」
近所から手伝いに連れてきたという男とともに獲物を覗き込んで、ヤニスはしきりに感嘆をくり返していた。
ニールを除く四人で力を合わせて持ち上げ、荷車に乗せることができた。やはりイノシシの重さは三百キロ以上見当ありそうだ。
「これなら、喜んで買い取ろう。こいつの肉ならおそらく、西の方の人たちも争って買いたがると思うぞ」
「そうなんですか」
町の西の方に住む領主や役人、商人たちにも、滅多に手に入らない新鮮なイノシシ肉は垂涎の品だという。
ついでにノウサギ肉も載せてもらって、全員で荷車を引き、押して、町へ向かった。
門を通る際には、衛兵も感心の声を上げていた。
「これは凄いな。さっき出ていったときには、荷車が要るほどの獲物など本当か、と半信半疑だったが」
「凄いでしょう。この子たち、たいしたものさね」
いつもは無愛想なことも多い肉屋の主人が、今日は満面ご機嫌の笑顔だ。
肉屋に運び込んで検分し、イノシシ一頭を金貨二枚と銀貨二十枚で買い取ることになった。
相場などはよく知らないが、こちらにとって十分な大金だ。魔物を一匹仕留めたときの報奨金が銀貨五十枚だったのだから、それに比べると破格に思えるほどだった。
――まあ、魔物は食用にならないようだからな。
サスキアとニールも、比較的落ち着いた様子で頷いている。
金貨を見て驚く様子もないところからして、やはり元の育ちは悪くないのだろう、と思う。
グルック村のヨルク一家は、生まれてから金貨など見たことがないと言っていたものだ。
その代金は、サスキアに持たせた。
一緒にノウサギ肉も売り、代金を受け取る。
料理屋に寄って、内臓を売る。
口入れ屋で依頼達成報告をし、薬草を買い取ってもらって、ニールに持たせる。
銅貨八十枚という少額だが、嬉しそうに鳶色の目を輝かせている。
口入れ屋を出たのは、もう午を過ぎた頃合いだった。
大通りを歩きながら、サスキアに尋ねてみた。
「あの小屋に、ものを書く道具はあるか」
「ないな」
「じゃあちょっと、そこの小間物屋に寄っていく」
「了解だ」
小間物屋で尋ねると、木の皮を加工した紙のようなものと木炭が原料らしい筆記用具を買うことができた。
店を出て、ニールに話す。
「今日この後、これに文字の種類を全部書いておいてくれるか」
「うん」
「何か、よく使われる順番とかあるのかな」
「ああ、アーバ表だな。基本の文字を全部並べたものが、初めて覚えるときに使われる」
サスキアの説明によると、前世のアルファベット一覧のようなものがやはりあるらしい。
「じゃあ、それな。他の人が書くときの手本になるように、丁寧に頼む」
「分かった」
生真面目な顔で、ニールは筆記道具を受け取っていた。
小屋に戻ると、ルーベンたち荷物運び作業組も小さな子たちの相手をしていた。
サスキアがイノシシを仕留めた話をすると、大喜びで喚声を上げている。
後でブルーノも交えて相談することになるが、このイノシシの代金は子どもたちの冬を越す支度に使うことにしよう、とサスキアと話していた。
「俺は少し出かけてくる。これからやることの準備に、いろいろ見て回りたいんでな」
「ああ、分かった」
荷物運び組を午後の作業に送り出した後、サスキアとニールを小屋に残して一人で出かけることにした。
ニールには文字表の作成を頼んである。
まず再び北の門から外に出て、門番から見えない程度まで壁沿いに移動した。
石壁の内側だとねぐらの小屋から近いだろう辺りに空き地を見つけて、午前に処理した丸太を取り出す。『切り取り収納』でそれを長さ二メートルほどの板に加工していく。
最初に切り取っていた枝も一度取り出して、水分を『収納』で乾燥させておく。
それらをすべて『収納』し直して、作業は終えた。
町中に戻って、通りに並ぶ店を見て回る。
いろいろと尋ね回って、もう捨てるような古布の類い、再使用ができそうな使い古しの釘などを買い求めた。
さらに肉屋に寄って、午前に使った荷車を貸してもらう。
買った品を荷車に積んで戻ると、ブルーノも荷物運び組ももう帰っていた。
「何だいハック、その荷車は」
「借りてきた。この後ちょっと、一緒に荷物運びをしてくれないか」
「荷物って?」
「領主様から魔物退治の褒美に、木材を譲ってもらえることになってな。板とか薪になりそうな枝とか、あっちの壁の外に用意されているんだ」
「へええ」
「その辺の屋根の修繕とか、俺がこれから作るもののための道具とか、何とかしたいんでな。ブルーノ、木工の経験があって道具も持っているって言ってたよな。頼めるか」
「あ、ああ。できるものならな。屋根の修繕の材料がもらえるなら、ありがたいぜ。そっちの奥の部屋とか、使えるようになる」
「頼んだ」
ブルーノと話して、入手してきた釘などを見てもらう。
ノコギリや木槌といった道具はブルーノが古いものを持っているので、木材があればある程度の作業はできるということだ。
そんな会話をしていると、ルーベンが駆け込んできた。
「ブルーノ、お客だ」
「客? 誰だ」
「それが、イザーク商会の旦那――」
「旦那? 商会長さんかよ」
戸口に出ると、小柄な中年の男がアムシェルを伴って立っていた。服装がそこそこ立派な様子からして、これが商会長らしい。
「イザーク商会の会長、ジョルジョです。君がここの代表ですか」
「は、はい、ブルーノです」
「サスキアです」
「ハックです」
挨拶をして、中に招く。
こういう相手と話すのがブルーノは苦手だということで、代わりに会長の真向かいに座らされることになった。両側に、ブルーノとサスキアが控える。
「ニールという子は、どちらですか」
「ああ、呼びます」
奥に声をかけると、警戒する様子で現れたニールは、静かにサスキアの隣に座った。
「ふうむ」と一同を見回して、会長は居住まいを正した。
「まずは、お詫びさせてもらいます。ニールくんには辛い目に遭わせてしまったようだ。申し訳なかった」
深く、頭を下げる。
あっさり一方的に謝罪されて、拍子抜けを覚えるほどだった。
もう少し誤魔化すなり取り引きをするなりという展開も、想像していたのだが。
「それは、調べた上で実態を把握したということでしょうか」
「そうですね。トッドという店員本人はまだ完全に認めていませんが、周りで見ていた者の証言は一致しています。理由なくそちらの子に高圧的な態度で接していたということはまちがいないようだ。また何より言い訳できないのは、ニールくんに正当な給与が支払われていなかった。これは帳簿の上で明らかです。この
「それはどうも、ご丁寧に。ありがとうございます」
両側を見ると。
ブルーノは緊張に顔を強ばらせて、何処か途方に暮れた表情だ。
サスキアは警戒を解かず、向かいに刺すような視線を向けている。
ニール本人は妙に泰然として、無表情を崩していない。
うーん、と思わず自分の頭を撫でてしまう。
「正直に申しますと、我々のような孤児に対して、会長さんがこれほど低姿勢で事実を認めてお詫びしてくださるとは、予想していませんでした。少々戸惑っています」
「商会にとって、お客の信用というものが最も大切ですのでね。小さな子どもに乱暴を働いた、ましてや金を搾取したなど、放置するわけにはいかない」
「そうなのですか」
「あのトッドというのは隣の領都マックロートに住む私の親戚筋の息子なんですがね、今回の件で叱責して、実家に帰します。些少ながらニールくんに慰謝の分を支払わせていただきます。それで納得してもらえないだろうか」
もう一度、両隣を確認する。
居並ぶ三人とも、不服の様子はないようだ。
「ご丁寧に、ありがとうございます。我々としましては、こんな子どもたちに仕事を与えていただいている商会長さんには感謝するばかりで、楯突くつもりはありません。ニールにご配慮いただいたことで、もう十分です」
「そうですか。ではこれで収めてもらって、子どもたちにも今まで通り仕事に来てもらえるかな」
ニールを見ると、小さく首を振っている。
「申し訳ありませんが、ニールについては精神的打撃が大きかったもので、当面そちらに伺うのはご勘弁いただきたいと思います」
「そうですか」
「残りの五人については、引き続きお願いしたいと思います。もしかすると毎日五人ということではなく、減員ということにさせていただくかもしれませんが」
「なるほど、分かりました」
頷いて「それで大丈夫か」と隣の店員に確認している。
「何とかいたします」とアムシェルは頷き返していた。
ニールに対して給与差額と慰謝料分が支払われて、それで手打ちとなった。
少し安堵の表情になって、ジョルジョは改めて部屋を見回していた。
「それにしても驚いたな、こんなところに子どもだけで生活していたとは」
「屋根がまともにあるのは、この部屋だけのようですね」
アムシェルと話し交わしながら、こちらの三人を見直す。
ニールは仲間たちの元へ戻って、夕食の支度を始めるところだ。
「年長の君たち三人には、感心する。自分一人で身を立てていくなら、もっと楽にできるだろうに」
「感心されていいのは、ブルーノだけだ。わたしは弟を護りたいがために、都合のよいところに身を寄せたにすぎない」
サスキアが床を見ながら、小さく肩をすくめた。
商人二人の目が、自然とこちらの少年に向く。
ふん、とブルーノは横に顔を捩じ向けた。
「小さい奴がただ死んでいくのは、我慢がならねえ。子どもには何の罪もないぜ。こいつらが生きにくくなっているのは、みんな大人のせいじゃねえか」
「それにまちがいはないね。確かに、みんな大人の責任だ」
「だったら、もっと――」
「しかし現実、君のような理想で子どもを助けていこうというのには無理があるのだよ。言ってしまえば、キリがないからね」
「キリ?」
「君たちのところにも、最近小さい子が増えたということじゃないか。一度戦が起きたり魔物の襲来があったりしたら、そのたびに親のない子は溢れ出る。それらのすべての面倒を見る余裕は何処にもない。領主様も商人たちもその他の町民たちも、自分の持つものを護るので精一杯だ」
「………」
「まだこのプラッツの町はマシな方なんだよ。ここしばらく戦に巻き込まれていない。ほとんど北の端だから、軍隊が通り過ぎるということもない。もっと南の同じ規模の町は、頻繁に軍が通過する、野盗に狙われる、などで気の休まる暇もないところが多いのだ。そういう情勢で親のない子の面倒を見る施設を作ったところで、近在の村などからそんな子をつれてきて押しつける者が後を絶たず、早晩運営も立ちゆかなくなるという事態が目に見えている」
「………」
「このプラッツでも、南の侯爵領からいつ奪還の軍勢が押し寄せるか分からず、領主様は気を抜けない思いが続いているはずだ。それに加えて最近は魔物の襲来に脅かされていて、護りの備えや兵力の増強に専念するしかないだろうからね」
「そう、すか」
下を向いたまま、ブルーノは深々と息をついた。
それを見る会長の顔は、やり込めて得意げ、というようには到底見えない。
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