76 浴びせてみた

 数歩歩み寄って、子どもたちと距離ができた。

 見てとって。


「断る!」


 いきなり、手にした桶の水を二人の顔目がけて浴びせかけた。

 もちろん、手桶の水の量、十メートル弱の距離から浴びせて、たいした打撃を与えることもできない。ほとんどが手前で落ちて、わずかな雫が顔に達したという程度だ。

 しかし、そこへ。

 その倍程度の水を、二人の頭上から落下させてやった。


「うわ、ぶわ――」

「何をしやがる!」


 慌てて頭を振り、顔を擦っている。

 さすがにこれなら、頭から顔一面、ずぶ濡れだ。


「この野郎、つまらねえ真似しやがって」

「許さねえ!」


 掌でぐいと目を拭い、こちらに向かって大股で踏み出す。

 次の瞬間。


「わあああーー」

「いててててーー」


 二人は、顔を覆ってその場で腰を折っていた。

 持った棒を投げ出して、両手で目を擦っている。

 そこへ駆け寄りながら、『収納』から木の棒を取り出した。

 前屈みになっている男たちの腹を目がけて、続けざまに横払いを入れてやる。


「ぐわ――」

「くそお――」


 さすがにノックアウトすることはできず、目と腹を押さえてたたらを踏む程度だが。

 立ち位置を逆転して、子どもたちを背に庇う恰好をとることはできた。

 そのまま棒を構えて備えていると。


「くそ――」

「覚えてやがれ!」


 よたよたと、揃って町方向へ逃げ出していった。

 それこそ、時代劇の三下のような捨て台詞を吐いて。

 視界は悪いはずだし腹の痛みはあるだろうが、足に不自由はないので、たちまちその後ろ姿は小さくなった。


――考えてみると、腹より向う脛でも殴りつけた方がよかったかな。


 逃げる後ろ姿を目で追いながら、ふと思う。

 しかし、逃げ足を奪ったとしても、二人相手に無事捕縛に成功できる保障はない。無理はしない方がいいだろう。

 何より、子どもたちの無事が最優先だ。

 振り返ると、四人は草地の上に身を起こし、座り込んでいた。


「大丈夫か、怪我はないか?」

「うん」

「うわーーん」

「怖かったーー」


 頷くニールの両側から、二人の女の子が腰に縋りついてきた。

 見たところ確かに、明らかな怪我などはないようだ。

 その頭を撫でてやりながら、ニールとマティアスを見回す。


「歩けるか? こんな人のいないところに長居したくない。家に帰ろう」

「うん」

「うう……」


 頷いて、マティアスは半分泣きべそになっていた。

 歩きながら訊くと、家の庭で遊んでいたとき、ウサギが走っていくのを見つけてマティアスがそれを追いかけたのだそうだ。

 女の子二人がすぐ後を追い、呼び止めても聞かなかったのでニールも追いかけた。何しろ四人の中では、マティアスがいちばん足が速いのだ。なかなか追いつけず、ここらまで来てしまった。

 この草地でウサギを見失って探していたところを、二人の男に襲いかかられたという。

 もしかすると、ウサギを放したのもあいつらの企みのうちかもしれない。


「ごめんなさい……」


 泣きじゃくりながら謝るマティアスの頭を、撫でてやる。

 叱責は、家に帰ってからでいいだろう。

 途中で脇の家に寄り、出てきた主婦に無断借用を詫びて水桶を返却した。

 訳を話すと、「そりゃたいへんだったねえ」と同情してくれた。

 何度も頭を下げて、そこを辞す。

 また歩き出しながら、女の子二人と手をつないだニールが横から見上げてきた。


「さっきの奴らに、水をかけたんだよね? それで何であんなに痛がってたの、あいつら」

「水の中に、アヒイの粉をしこたまぶち込んでやったからな」

「わあ――」


 最初にアヒイを摘んだときからその危険性を聞かされていたニールは、痛みを想像してだろう、顔をくしゃくしゃにしかめた。

 四人はそのとき草の上に伏せていたから、水がかかった瞬間は見ていないはずだ。だから、アヒイは水桶の水に入れていたということで納得されるだろう。


「それは、エグい」

「俺は戦闘力がないからな。せめて目潰しにできるんじゃないかと、アヒイの粉を持ち歩いているんだ。ただぶっかけるより水に入れた方が、少し離れて攻撃できる。目にも入りやすいし、相手が勝手に目を擦って被害を大きくしてくれるしな」

「なるほど」


 小路に折れると、東方向のかなり先まで見通せる。

 ほぼ人通りのないその道のはるか先、左右を見回す長身の姿が見えた。一キロメートルほどは離れていそうだ。

「サスキアだ」とニールが手を振る。と、何かが通じたように即座にこちらを見て、認識したようだ。たちまちこちらに向けて駆け出してくる。

 子どもたちを連れて元の十字路に差しかかるときには、全力疾走の少女も戻ってきていた。


「みんな、無事か?」

「うん。ハックに助けてもらった」

「助けて? 何か危険があったのか」


 ニールの返答に、ぎろりとサスキアの目がこちらに向けられる。


「ああ。男が二人、この子たちを攫おうとしているところだった」

「ハックが助けてくれたんだよ」

「お水をぶっかけたの」


 シュテフィとカロリーネが口々に言い足す。

 聞くや剣呑に眦を吊り上げて、サスキアはそれから深く息を吐いた。


「そうか、ハックはよくやってくれた。みんな、怪我はないのだな?」


 ニールと二人の女の子、マティアス、と順に肩を抱き、全身を見回して確かめる。

 無事の確認を終えて、ようやく女剣士の表情は緩められた。


「とにかく、早く家に戻ろう。みんな心配しているだろうし、安全体制の見直しをしなけりゃならない」

「うむ、そうだな」


 ニールとシュテフィの手を握って、サスキアは大股に歩き出した。ニールの逆側で手をつないだカロリーネが引きずられそうになるほどの勢いだ。

 わずかに苦笑いになって、マティアスの手を引き跡を追う。


「見つかったか!」

「よかった」


 帰宅すると、待っていたみんなに安堵の笑顔で迎えられた。

 全員を座らせて改めて、不用意に外に出ないように言い渡す。

 今回は、マティアスがノウサギを見つけて夢中で追いかけていったというのが発端のようだ。

 女の子二人もつられて、それについていった。

 ニールは静止の声をかけたが、届かなかったらしい。放っておけないので、家の中にいたルーベンに一声かけて跡を追った。

 このニールの判断には、異論があるかもしれない。自分で追わずに、ブルーノを呼んで任せるべきだったのではないか。何しろ小さな子たちと変わりないほど力がない上に、最も身柄を狙われているはずの立場なのだ。

 しかし結果を見ると、ニールが三人を抱きかかえて護っていたことで、暴漢たちの犯行を手間取らせていた。ニールがそこにいなければ、ばらばらの三人は苦もなく抱え上げられ連れ去られていただろう。ブルーノを呼んでから追跡を始めていたのでは、間に合わなかった可能性が高い。

 この点を見ると、ニールを責めることもできなくなってくる。

 ということで、四人共に軽率な行動は慎むように、という注意で済ます結果になった。

 みんなを解放して、ブルーノ、サスキアと簡単に確認を交わす。


「俺を見て、ハックという奴が出てきたのなら好都合だ、というようなことを言っていたからね。たまたま子どもを見つけて攫おうとしたってわけじゃなく、こちらを狙って計画的に襲ってきたということでまちがいない」

「そうか。昨日話していた危険が、現実になったということだな」

「気を引き締めて、警戒していこうぜ」


 まだ時刻は早朝のうちで、いつも作業を開始する頃合いにもなっていない。

 何とか気を切り替えて日常の動きを取り戻していると、イザーク商会の職員三人がやってきた。会長と相談して、仕込み作業に加わりながら護衛の役割も果たせるように、と派遣してもらっている人材だ。

 今朝の出来事を話すと、三人とも真剣な顔つきになっていた。

 作業が無事始まったのを確認して、サスキアと二人で家を出た。この件について、ジョルジョ会長と打ち合わせをしておく必要があると思うのだ。

 道すがら、領兵詰所で顔見知りの衛兵に今朝の件を告げておく。

 しかし暴漢の名前も知らず、何処かの商会との繋がりも証明できない、結果的に実害はなかった、ということで、あまり真剣に捜査をしてもらえる当ては持てそうにない手応えだ。

 イザーク商会で面会を申し込むと、話を聞いた会長はいかにも渋い顔になった。


「さっそく手を出してきたか。おそらく、アイディレク商会辺りが雇った町のごろつきの仕業だろうね」

「でしょうね。小さな子を人質にして、僕を脅迫するつもりだったのではないかと思います」

「まったく油断できませんな。マックロートへの移転の件は領主様と相談を詰めているところなので、もう少しで目処が立つと思う。しばらくの対処として、こちらで信用のおける用心棒を雇って、作業場を警護させることにしよう」

「それはありがたいですが。いいのですか?」

「うちの商会にとっても、今が正念場だからね。イーストの製産を堅持するのは最優先事項だよ」

「では、お願いします。それにしてもその領主様との相談というのは、見通しがもてるものなんですか」

「まあ何というか、綱引き状態なんですがね」


 ジョルジョ会長は、苦笑い風にやや顔をしかめた。

 それでも笑いが残っている分、見通しが暗いということではないらしい。


「何とか落着するとは思うよ。とにかく領主様も、イースト製産を移動することについては利があると、納得していらっしゃるはずだ」

「そうなんですか」


 綱引きの詳細については、当然ながら説明はない。商会と領の間で非公式に折衝が続いているということだろう。

 領にとって、今の状態のままイーストの取り引きを他領に移動するのは、納税先が変わることになるので容認できない。しかし納税が変わらない限りなら、イースト製産が南に移動するのが利益増大に繋がることは理解している。

 一方のイザーク商会は、ぜひともこの移動を実現したい。足枷になるのはこの町への愛着と、このまま強引に実行したら領の反発を受けて力尽くで押し留められかねないという懸念のはずだ。

 打開策は、単純と言えば単純だろう。

 イースト製産を移動した上で、納税先が変わらないようにすればいい。つまりは、プラッツのイザーク商会本店での売上げが、マックロートの支店にイースト取り引きを移動した後の売上げより多くなっていればいい。

 この町で領が行っている事業に伴う取り引きの一定の割合を、イザーク商会に任せることにすれば、早々に解決することだ。

 しかしこれはもちろん、口で言うほど単純に済む話ではない。

 領の事業については、まちがいなく既得権益が絡んでくる。具体的には、おそらく現状これらについて、ほぼすべてをアイディレク商会とヘラー商会が担っているのだろう。この方針が打ち出されたら、二商会からの反発は現状の比ではなくなるはずだ。

 要するに、この領との綱引きの実態は、いかにイザーク商会の売上げ増を二商会の反発を少なく実現するか、という点にかかっているのだと思う。

 イザーク商会にとっては、願ってもいない潮流のはずだ。

 まちがいのないところ、用心棒の雇用など安いもの、粘れるだけ粘って領から商会に有利な条件を引き出したいところなのだろう。


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